2003年1月1日に新年を迎えると、ヴァナ・ディールの各地に羊の行列が現れ、以後、干支にちなんだ動物が行進するのが毎年正月の恒例となった。また、この年はル・ルデの庭にAkeとOmeという名前のマンドラゴラが出現した。
みんなのヴァナ・ディール史
2003年2月5日
ヴァナ・ディールの出来事2003年2月5日、ミッションで訪れたBurning Circleに、一定数の獣人印章と交換したオーブをトレードすることで戦えるNM戦が追加された。当初は3カ所のBurning Circleでのみ行えたバトルのため“BCNM”と呼ばれていたが、のちにBurning Circle以外のバトルフィールドでも戦えるようになり、“印章BF”と呼称されるようになる。初期はリフレシュを入手できる唯一の手段として人気になり、その後もつぎつぎに新しい印章BFや報酬アイテムが追加され、現在(2021年)でも根強い人気を誇っている。
2003年4月以降
冒険者の歴史2003年4月以降は、『ジラートの幻影』の新エリアでもレベル上げが盛んに行われるようになった。なかでもレベル20台中盤の冒険者の狩り場として人気となったのがユタンガ大森林。カザムを出てすぐの場所でマンドラゴラ族やゴブリン族を狩ることができ、たとえメンバーが戦闘不能になっても、カザムで白魔道士にジョブチェンジしてレイズする、といったことができる便利な狩り場だった。一方で、当時はモンスターの特殊技の効果がほかのパーティにも及んだため、カザムを出た冒険者が戦闘中のマンドラゴラ族の夢想花で眠らされてしまうといったハプニングも。
2003年4月以降
冒険者の歴史2003年4月以降、レベル40付近のレベル上げではグスタフの洞門も注目された。まずは入口付近のコウモリ族やフライ族を狩ることが多く、それらと相性のよい突属性武器が得意な狩人や竜騎士などが活躍。やがてレベルが上がるにつれ、上層中央のトカゲ族やプギル族、下層のゴブリン族やスケルトン族なども狩りの対象になっていった。なお上層中央部にはワイバーン族のNMであるBuneが出現。レベル上げ中のパーティの脅威となったが、レベル75の冒険者が増えたあとは、戦利品のエンハンスソードを求めてすぐ狩られることが多くなった。
2003年4月以降
冒険者の歴史2003年4月以降は、複雑な構造のダンジョンである流砂洞もレベル上げに活用された。主にレベル45~50前後でスパイダー族や甲虫族を相手にレベル上げが行われたが、獲物が少ないときはアンティカ族も狩りの対象に。ただしアンティカ族は妨害音波による静寂や、砂の呪縛による敵対心リセットがやっかいで、必ずしも人気の獲物ではなかった。なお、高レベルでは重量扉の仕掛けの奥も狩り場の候補に。この扉は、ガルカ以外は開けるのに複数人が必要だったが、2011年にだいじなもの“重量石”が登場し、ひとりでも開けられるようになった。
2003年4月以降
冒険者の歴史2003年4月以降、レベル50台の狩り場としてクフタルの洞門も人気に。主に中層中央の広場にいるクラブ族やトカゲ族、ワーム族が狩りの対象になった。なお、ここにはNMのAmemetも出現。レベル帯によっては複数のパーティが協力して討伐する様子も見受けられた。なお2003年12月16日のレベルキャップ開放以降は、時間で開閉する岩の先にある下層も狩り場になったほか、ダンジョン内にHNMのGuivreも出現するように。このGuivreはダンジョン内全体を徘徊し、戦利品目当てに狩られることも少なかったため、レベル上げ中の冒険者にとって脅威となった。
2003年4~7月
冒険者の歴史2003年4~7月の、いわゆる“レベル65キャップ時代”では、レベル61以降のレベル上げに大きな変化があった。当時はレベル61以上になると、パーティメンバー間のレベル差修正が大幅に緩和されるかわりに、格上からの入手経験値が減少。結果的にレベル上げの戦闘も「強そうな相手だ」のモンスター相手に連戦する形になった。ただしナイトなどの盾役が不要になったり、黒魔道士のように連戦が不得意なジョブもあったため、2003年7月17日のバージョンアップで変更。レベル61以降の入手経験値の計算方法が、レベル60以下と同様になるように調整された。
2003年4~12月
冒険者の歴史2003年4~12月の間、主にボヤーダ樹でのレベル上げに活用されていたのが、両手斧のウェポンスキルであるシールドブレイクを活用した戦法。対象の回避率を一定割合で下げるシールドブレイクは、高レベルかつ氷属性が弱点のモンスターに対して非常に有効だった。そのため事前にTPをためて戦闘開始時にシールドブレイクを撃ち、相手の回避率を一気に下げる戦法が大流行。結果、シールドブレイクのみが偏重されるようになってしまったため、2003年12月16日に効果が調整され、割合ではなく一定値の回避率を下げる形に変更された。
2003年秋頃
冒険者の歴史2003年秋頃に冒険者のあいだで流行したのが、通称「よこだま」と呼ばれるテクニック。これはシーフの「不意打ち」が、モンスターの正面以外なら横からでも効果を発揮できたことにより開発された技術で、盾役の真横から「不意打ち」と「だまし討ち」を併用して使い、盾役の敵対心を一気に稼ぐことができた。それまではサブの盾役が「挑発」などでいったんモンスターを引きつけ、その後に「不意打ち」と「だまし討ち」をする必要があったが、このテクニックにより盾役がひとりで、かつ自身が敵対心をさほど稼がなくてもターゲット固定可能に。だが成功させるにはそれなりの練習が必要で不得意な人もいたほか、ナイトなどが敵対心を稼ぐ意味が薄れてしまったこともあり、2003年12月16日に「不意打ち」の仕様が変更。以降はモンスターの背後に回らないと成功しなくなった。
2003年10月28日
関係者秘話
駅前留学ならぬ「ヴァナ留学」がキーワードとなった時期です。多くのプレイヤーからは、言語別ワールドの設置を多く求められることになっていくのですが、そのままだとワールドを新規に複数立てても、すぐ許容人数を超えてしまいます。またその許容人数がピークタイムに一斉にログインしてくると、ログイン自体できない人も出てきます。ですので、当時のもっとも効率的な手法として、ピークタイムのズレを利用して、現行ワールドに同居してもらうことでピークタイムの一斉ログインを抑制し、また新たなワールド設立を最小限に抑えることになりました。
この時のために、定型文辞書機能自体は最初期から実装していました。ただ翻訳する相手言語がなかったため、単なる入力補完機能だけが見えている状況でした。翻訳機能が動き始めてからは、それが定型文辞書機能による文字列かどうかがわからなかったので、辞書使用者の文章が変に翻訳されて意味不明な文字列となることも報告されたことから、定型文には赤と緑のカッコが付属するようになりました。(ディレクター・藤戸洋司)
2003年10月28日
関係者秘話
当初の運営チームづくりは主にカスタマーサポートの体制が中心で、『EverQuest』などを手掛けていたSony Online Entertainment社(当時)に委託する形でスタート。MMO運営経験が既に豊富だった同社からは、多くのことを学びました(とはいえ、ルーツを辿るとだいたいみんな『Ultima Online』にたどり着くのですが……)。
2006年に北米でも自社体制に完全移行するまでの約2年半の間、現地を訪問するには自社の北米拠点のあるロサンゼルスから車で2時間ほどの移動があり、私は同乗しているだけでしたが、自分で運転していた上司が結構大変そうでした。(グローバルコミュニティプロデューサー・室内俊夫)
2003年10月28日
関係者秘話北米版のサポートを始めた頃、カスタマーサポートやGM関連の運営はサンディエゴにあるSony Online Entertainment社(当時)のチームと共同経営していました。とても素晴らしいパートナーで色々学ばせてもらい、その知識で長年に渡るサポート対応を広め、進化し続けることができました。ただ、スクウェア・エニックスの一部スタッフはサンディエゴまでの100マイル以上(約161km)の長距離を毎週通うのを1年以上も続けていました! あと、ちょうどサービス開始の頃にサンディエゴ史上最悪の山火事が発生してしまい、それでも運営を続けるためにマスクを着用して仕事をするスタッフもいました。いろいろと多忙な時期でした!(C&Sシニアディレクター・黒澤靖志)
2003年12月16日
関係者秘話サポジョブなし1対1の全ジョブ別バトルということで、検証は手分けをして行いました。白魔道士やシーフのように特殊なクリア方法があるジョブもいたので、何回か挑戦して勝てればよしという難度を目指しました。部内テスターの数名に付き合ってもらって徹夜で最終調整を行い、かなりイテレーション(一連の工程を短期間で反復すること)を繰り返したと思います。勝率が5割以上あればよしという基準で、赤魔道士は担当のテスターさんが上手でほぼ10割の勝率でした。それが、プライベートプレイではクリアまで3戦かかったというのが驚きでした。(プロデューサー・松井聡彦)
2003年12月16日
ヴァナ・ディールの出来事2003年12月16日、夢想阿修羅拳やサベッジブレードなどの、新たなウェポンスキルを取得するクエストが実装。クエストを進行させるためには、“トライアル”の名を冠した武器を使い、ウェポンスキルやそれによる技連携を一定回数使う必要があった。なお、クエストが進行可能になると武器の潜在能力が消えることから、この行為は通称「潜在はずし」と呼ばれ、パーティでのスキル上げなどと同時に「潜在はずし」を行う冒険者の姿が多く見受けられた。また、武器の潜在能力が消えたあとはNMと戦う必要があり、協力者を募った“WSNMツアー”も頻繁に開催された。