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プロデューサーセッション-WE DISCUSS VANA’ DIEL-
Season2 第1回
『プロマシアの呪縛』河本信昭&小川公一

『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物をゲストに迎え、プロデューサーと対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。これまではおもに『FFXI』の立ち上げ~初期のエピソードが語られることが多かったが、今回からはじまるSeason2では、藤戸プロデューサーと『FFXI』中期~後期の開発スタッフとの対談により、各拡張データディスクや追加シナリオの制作エピソードをうかがっていく。
 その第1回は、『FFXI』2代目ディレクターの河本信昭さんと、3代目ディレクターの小川公一さんを迎え、拡張データディスク第2弾『プロマシアの呪縛』の開発経緯について語ってもらった。

『プロマシアの呪縛』とは

2004年9月16日にリリースされた『FFXI』の拡張データディスク第2弾。タブナジア群島をおもな舞台として、新たな物語と多数のエリアが追加された。その一方、ジョブの追加やレベルキャップの開放などは行われなかった。

物語は真龍の王バハムートの出現にはじまり、冒険者は各地の異常現象の調査を進めていくうちに世界の真実の一端に触れ、やがて男神プロマシアをめぐる“世界の終わり”を賭けた戦いに巻き込まれていく。その物語の中では、ヒロインとして“忌むべき子”と呼ばれる少女・プリッシュが登場するほか、その親友であるウルミア、謎の少年セルテウス、“ひんがしの国”の使者テンゼンなど、新たなキャラクターたちが多数登場した。

新エリアとしては、かつてのタブナジア侯国の人々が築いた集落であるタブナジア地下壕をはじめ、タブナジア群島リージョンや既存エリアに多数のエリアが追加。フィールドについてはアットワ地溝、ウルガラン山脈などの特徴的な地形を持つものも多い。またプロミヴォンやフォミュナ水道、リヴェーヌ岩塊群などのダンジョンにはレベル制限が設定され、それを超えたレベルのキャラクターは一律同じレベルで探索する形となっていた(その後2010年にレベル制限は撤廃)。

新たなバトルコンテンツとしてはENMクエストやリンバスなどが実装され、デュナミスにも新しいエリアが追加されている。

河本信昭

イベントプランナーを経て、初代ディレクターの石井浩一氏から引き継ぐ形で、拡張データディスク『プロマシアの呪縛』のディレクターを務める。『アトルガンの秘宝』ではバージョンアップディレクター、『アルタナの神兵』では総合ディレクターを担当。現在では『ファイナルファンタジーXIV』のリードプロジェクトマネージャーを務めている。

小川公一

『プロマシアの呪縛』まではマッププランナーを担当。その後、拡張データディスク『アトルガンの秘宝』から『アルタナの神兵』まで『FFXI』のディレクターを務める。『FFXI』から離れた後は『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』のチーフプランナーなどを担当。

昼夜問わず6年間続いた運営サポート生活

  • 藤戸

    今回から、『プロマシアの呪縛』以降の『FFXI』の開発にかかわった方々を招いて、さまざまなお話をうかがっていこうと思います。まずは『プロマシアの呪縛』時代のエピソードということで河本さんと小川さんをゲストにお招きしましたが、その取っ掛かりとして河本さんがディレクターに就任されたときの経緯からお話しいただけますか?

  • 河本

    その前の段階から順番に話しますと、まず加藤さん(加藤正人氏。『ジラートの幻影』までのシナリオプロットを担当)がチームを抜けたときに、自分がイベント班のリーダーになりました。その後、今度はディレクターの石井さん(石井浩一氏)がチームから抜けることになり、「ディレクターをやってくれ」と言われて……という流れだったと記憶しています。

  • なぜ河本さんが指名されたのか心当たりはありますか?

  • 河本

    そのころの僕は、ゲームを作るというよりも、全体のデータを見たりして、運営に関わる仕事をすることが多かったのです。ですから、僕がつぎのディレクターに選ばれたのは、“『FFXI』の運営を支える役割”というニュアンスが強かったのではないでしょうか。

  • とは言っても、たいへんな重責を担うことになるわけですが、河本さんはすんなり引き受けたのですか?

  • 河本

    「なぜ僕なんですか?」などと質問をした記憶はなくて、「あ、わかりました」みたいな返答だったと思いますね(笑)。拡張データディスクを作るため、というよりも「石井さんがチームから抜けるなら、やらないとなあ」くらいの感覚だったと思います。

  • 当時の藤戸さんから見た河本さんはどのような方でしたか?

  • 藤戸

    自分は大阪から出てきたばかりで、東京のやりかたを見よう見まねで覚えて作業していたころでした。そんな自分から見て、河本さんは“『FFXI』が円滑に運営できるように動いている人”というふうに認識していましたね。たとえば、運営について話し合う“朝会”というものがあって、いまでも実施しているのですが、この“朝会”を作ったのは河本さんなんですよ。

  • “朝会”の流れは『FFXIV』チームにも引き継がれているようですね。

  • 小川

    『FFXI』では毎日たくさんのGMコールがあって、その報告を受けてみんなで対策を検討するのですが、それを“朝会”という形で行うためのフローを河本さんが作っていました。ほかにも、チームが瓦解しないように、さまざまなルール作りを河本さんがしていたように思います。

  • 河本

    GMコールの話で思い出しましたが、当時は運営でトラブルがあると、深夜でも関係なく僕のところに電話がかかってきていました。その対応のために、できるだけ会社の近くに住むようにしていたんです。

  • 自転車で駆けつけていたんですよね?(笑)。

  • 河本

    はい、まさにそうです。でも、急いで出社して問題を確認したとしても、解決できるプログラマーがその時間にいるとは限らない。そこで、誰なら対応できるのかを自分が確認して、「この問題だったら、この人だね。でもいまから出社するのは難しいから、朝になったら電話をしましょう」といった指示を出す形で、運営のサポートをしていました。そういった生活はβテストの時期から6年くらい続いたのではないでしょうか。確か、『アトルガンの秘宝』くらいまでは、ずっとその役目をしていた記憶があります。

『プロマシアの呪縛』制作スタート時の最大の問題

  • 拡張データディスク第1弾だった『ジラートの幻影』は、もともと初期構想に含まれていたということで、『プロマシアの呪縛』は実質的に“サービス開始後に制作がスタートした最初の拡張ディスク”とも言えるかと思います。どういった経緯でその開発が始まったのか教えてください。

  • 河本

    じつは『プロマシアの呪縛』を制作するにあたり最大の問題となっていたのが、とにかく開発スタッフが少なかったことなんです。たぶん、みなさんが考えるあのころの『FFXI』からは想像がつかないと思いますが、当時の現場では「『ジラートの幻影』の開発が終わったら、運営や開発規模をもっと小さくしてやっていこう」というテンションでした。しかも『プロマシアの呪縛』の企画がスタートしたのは、『ジラートの幻影』後に北米でWindows版が発売される前で、“『FFXI』が会社にどれくらい貢献できるタイトルなのか”がまだ見えていない時期だったのです。

  • 北米でWindows版が発売されたころとなると、2003年の10月ごろですね。

  • 河本

    その後、やっと“ワールドワイドで盛り上がっていきそうだ”という空気になってきたので、ようやくチームに人を増やせるぞと。ですから、『プロマシアの呪縛』はスタッフの人数がいちばん少ないころに企画が始まったわけです。それこそ、当時は藤戸さんが部下にできるようなスタッフはいなかったのではないでしょうか。

  • 藤戸

    いませんでしたね(苦笑)。

  • 河本

    おそらく、当時のいちばんの若手が伊藤さん(伊藤泉貴氏。プランナーを経て2010年にディレクターに就任)だったのかな? プランナーも10人いるかどうかという状況でした。

  • ということは『ジラートの幻影』の発売後、『FFXI』チームは解散に近い形になっていたのでしょうか?

  • 河本

    解散ではないのですが、もともと『FFXI』が一段落ついた時点でほかのプロジェクトに移ることが前提の人が多かったのです。とくにプログラマーはほとんど異動になり、メインの方々がザーっといなくなるような状況でした。そんな中で、つぎの拡張データディスクの話を始めたときは「自分たちはこれから何を作ればいいんだろう……?」というところからスタートしたわけです。

  • それは、けっこう途方に暮れますね……。

  • 河本

    しかもそれだけではなく、定期的に大型バージョンアップがあるので、拡張データディスクのことなんて考えていられないくらい忙しかったのです。でも、つぎの拡張に向けて動かなければいけないことに変わりはなく、バージョンアップ作業の裏でまずイベント班にシナリオを書いてもらい、デザイナーにマップなどを作ってもらうことからスタートしました。

  • 小川

    拡張データディスクのマスターアップまでにどれだけのものを用意できるかという点では、かなりシビアな作業でしたね。

  • 藤戸

    いまでこそオンラインで大容量のデータを配信できるようになりましたが、当時はナローバンドが基準でしたから、バージョンアップで大きいデータを配信することは現実的ではありませんでした。ですから、“拡張データディスク自体にどれだけのデータを載せられるか”というのがキモだったのです。なかでもマップと音楽はとりわけデータが大きいので、そこだけは絶対にディスクに入れておかなければなりません。一方で、装備のグラフィックデータなどは意外と容量が小さいのですが、たくさんの装備があるのでこちらもなるべくディスクに入れておきたい。そこで、「できる限りデータが載った状態でリリースできるのはいつか?」ということを考え、そこを目標に素材を作っていきました。

まずは“物語と冒険の場所を増やす”ことからスタート

  • 『プロマシアの呪縛』の実際の制作期間はどれくらいだったのでしょうか?

  • 河本

    先行で作ってもらっていたシナリオやマップでも、約1年くらいでしょうか。“中身(=コンテンツ)”を作る時間は本当に少なくて、3カ月か4カ月でガーッと作る感じでしたね。

  • その過程では、新ジョブの実装も検討されたのでしょうか?

  • 河本

    そのころは松井さん(松井聡彦氏。『FFXI』4代目ディレクター/2代目プロデューサー。当時はバトルディレクター)以外に中身を作れる人がいないような状況で、さらにバージョンアップ作業に必死だったので、新ジョブなどは考えられる状態ではありませんでした。「新ジョブは……ダメですよね……?」という感じで、“無理だろうけど一応聞いておく”みたいな空気で相談したのは覚えています。

  • 最初から新ジョブをあきらめなければならないほど、現場はたいへんだったと。

  • 河本

    はい。そんな空気の中で「いまの自分たちにできることはなんだろう?」と考えたとき、真っ先に出たのは「シナリオは絶対に追加すべき」という話でした。というのも、僕らが当初に思っていた以上に、「多くのプレイヤーの方がシナリオに期待してくださっている」ということを感じていたからです。そのほかには「レベル75になって最前線にいる人も、これから冒険を始める人も、いっしょに遊べるようにしたい」というのも最初からコンセプトとしてありました。

  • 小川

    ですから、まずはシナリオとマップを用意して「物語と冒険する場所を増やそう」というところから『プロマシアの呪縛』の開発はスタートしています。そしてシナリオやマップを作っているあいだ、バトル班やアイテム班はバージョンアップ作業だけに専念していたと思います。

  • 河本

    『プロマシアの呪縛』の開発初期は、ほとんど弥詠子さん(佐藤弥詠子氏。プランナーとして『プロマシアの呪縛』などのシナリオを担当)や小川さんに先行で作業してもらっていたイメージですね。モンスターの発注も、「こういうモンスターを出すからお願いね」と話して作ってもらってはいましたが、それを実装できる形に組み上げるための期間は本当に短かったです。ふだんのバージョンアップ作業が終わった後に「さぁ(拡張のほうに)行くぞ!」といった感じで、いわば根性で作り上げた感じです……。

  • そういったきびしい状況での開発だったわけですが、それにしてはシナリオのボリュームがとんでもない気も……。

  • 河本

    それは僕が思っていた以上に、弥詠子さんがイメージを膨らませてくれた結果ですね(苦笑)。

  • 途中で「この規模は難しい」という判断にはならなかったのでしょうか。

  • 河本

    結果的には作りきりましたし、たとえディスクにすべて収まらなかったとしても、「バージョンアップでなんとかしよう」という感じだったかと思います。正直、目の前のことに必死だったので、「(拡張データディスクを)出してからが勝負だ」という気持ちが強かったですね。

  • 小川

    とにかく「つぎの準備だけはしておこう」といった感じでした。

  • 河本

    ちなみに弥詠子さんの話が出たので話しておきますと、『プロマシアの呪縛』のシナリオを弥詠子さんに任せようと思ったのは、ウィンダスのシナリオの評判がよかったこともありますが、それ以外の理由もあります。じつは、サンドリアのシナリオも弥詠子さんがリライトしていて、そのシナリオを自分自身でプレイしてみて、「これはいける!」と思ったのが大きかったですね。

  • それがきっかけだったのですね。

  • 河本

    当時の僕はディレクターでもなんでもなかったのですが、実際にプレイしてみたら本当におもしろくて、「すごかった! つぎはどうなるんですか!?」といったことを弥詠子さんに話したのは覚えています。

デュエルシャポーを設計したのは……!?

  • 『プロマシアの呪縛』の開発が進む中、そのころの藤戸さんはどのようなパートを担当されていたのでしょうか?

  • 藤戸

    デュナミスの実装があったので、レリック装束のデータなどを作っていました。ちなみに、装備には性能を付けるうえでのルールがあり、レリック装束もそのルールに則ってデータを作っていたのですが、そんな中でもご存じのように、デュエルシャポー(※)のような高性能な装備が生まれることになりました。

    ※赤魔道士のレリック装束・頭装備で、弱体魔法スキル+15やリフレシュ効果などが付いたひときわ高性能なアイテム。

  • デュエルシャポーを設計したのは藤戸さんだったのですか!?

  • 藤戸

    はい。性能だけではなく、ドロップ率も設定しています。具体的には“大量のモンスターがいる”、“最大で64人のプレイヤーで挑む”、“週に2回挑戦できる”、といった要素から逆算してドロップ率を決めるわけですが、たとえば30%に設定したとしても、100匹倒したら必ず30個手に入るわけではありません。ですから、実際に設定した後、QA(品質管理)部のバトルチームに頼んでテストプレイをしてもらいました。そこでたくさんのデータを取り、だいたい計算どおりだろうという値に設定したのですが、結果は……。

  • 出ないですよ。本気で(笑)。

  • 藤戸

    テストプレイと実際のプレイヤーでは、動きも使う時間も違うんですよね。プレイヤーのみなさんは準備の時間もありますし、当初は全員がレベル75だったわけでもないですし、人数もまちまちで。そういった部分を考えても、当初の想定よりだいぶ入手しにくかったかもしれません。

  • 河本

    デュナミスは、開発全体としてすごく意味があったコンテンツでした。というのも、デュナミスは本格的にプランナーとサーバープログラマーが組んで作った初めてのコンテンツだったんです。入場用のアイテムを作ってひとつのエリアを占有するというシステムを、当時のサーバーのプログラマーだった田中さん(田中啓介氏。『FFXI』元エリアサーバープログラマー)と組んで作り上げました。

  • それまでのコンテンツとはどう違っていたのでしょう?

  • 河本

    それまでのコンテンツ――たとえば“印章バトルフィールド”あたりは、コンテンツ用にまったく同じ空間を3つ用意しておいて、プレイヤーが入場の手続きを行ったらそこに飛ばすという単純な構造でした。そのシステムも、プランナーが自分でスクリプトを書いて実装していたんです。

  • プログラマーの力を借りずともコンテンツを実装できるのは強みですが、この作りだと3組入場したら満員ですね。

  • 河本

    状況に応じていまこの瞬間に必要な空間を作る“インスタンスエリア”という仕組みはいまでこそ当たり前のようにありますが、当時の『FFXI』にはまだありませんでした。そんな中、デュナミスは1エリアを1団体が占有するという形ではあったものの、プレイヤーが入場するタイミングでエリアを生成するという仕組みができて、プログラマーと組んでコンテンツを設計するための基礎となりました。我々がそれを学べたのはめちゃくちゃ大きくて、『アトルガンの秘宝』以降のコンテンツ作りにもすごく役立ちました。

さまざまな『プロマシア』エリアが生まれた経緯

  • 一方、そのころ小川さんは『プロマシアの呪縛』のマップ作りを進めていたかと思いますが、最初に手掛けたのはどこでしたか?

  • 小川

    オープニングムービーでのタブナジアの印象が強かったので、「どうしてもあそこに行きたい!」という想いがあり、まずはあの場面を再現できないか相談をしたんです。でも、実際にタブナジアそのものを作るとなると規模が大きすぎて再現が難しく、ちょっと発想を変えてルフェーゼ野から遠景で望める形にしました。そこから、ほかのエリアについてもイメージを広げていった感じだったと思います。

  • 藤戸

    ちなみにタブナジア地下壕は、周囲が囲まれていることで遠景を作らなくても済むという技術的なメリットのほか、「襲撃を受けた街に人が住んでいるよりは、避難した住民が地下で生活を営んでいるほうが世界観的にもいいだろう」ということになり、地下壕という形になったことを覚えています。

  • そうした雰囲気から一転、プルゴノルゴ島はどういう経緯で生まれたのでしょうか?

  • 小川

    あの島は、まさに“リゾート地”というコンセプトで、「みんなでワイワイ楽しんでもらえるような場所になればいいな」と考えて設計しました。マップを設計している人にとっては“あるある”だと思いますが、世界遺産であったり、現実世界で自分が行ってみたい場所だったり、すごいなと思う場所をモチーフにして、それをいかにゲームの世界に落とし込むか、ということはよく考えます。

  • ほかにも制作に苦労したエリアや、印象に残っているエリアはありますか?

  • 小川

    ギミックが多いエリアはやっぱり苦労しましたね……。中でも礼拝堂は、パーティで協力しないと開かないドアなどがあったと思いますが、ネタとしてひねり出すのに苦労した記憶があります。一方でリヴェーヌ岩塊群などのエリアは景観重視だったので、単純に楽しかったですね。とにかく、“自分がワクワクできて、立体感もあるマップ”を作りたかったので満足しています。

  • ほかにもギミックとしては、アットワ地溝の山登りやウルガラン山脈の崖滑り、ソ・ジヤのワープなどが特徴的でしたが、これらはやはり既存エリアとの差別化を意識した結果でしょうか?

  • 小川

    既存エリアとの差別化というのは、どのマップでもつねに念頭において設計していたとは思います。ちなみに、ウルガラン山脈やアットワ地溝は、伊藤さん(伊藤泉貴氏)が担当しています。実験的というか、新しい遊びの要素が詰まっていたマップでしたね。

  • 小川さんは、それを見てどういう感想をもちましたか?

  • 小川

    「すごくダイナミックなことをするなあ」と。自分にはない発想だったのでおもしろかったですね。若干、影響されたところもあったかと思います。

開発側としても想定外の難易度になったプロミヴォン

  • つぎに『プロマシアの呪縛』の話をするうえで避けては通れない話題として、プロミヴォンの難易度があります。開発チームとしてはリリース後の状況を見て、どのように感じていましたか?

  • 河本

    正直な話をしてしまうと、「本当にごめんなさい」、「急いで改善しなきゃ」と考えてはいたのですが、“つぎを作る”ことの優先度が非常に高く、十分なケアができなかったというのが実情です。当時は、“どれくらいひとつのエリアに人が集中しないようにできるか”とか、“サーバーの負荷をどれだけ分散できるか”ということも考えなくてはならず、そういったことも含めてあの難易度になっていた部分があります。また、最前線にいるプレイヤーとそれ以外のプレイヤー、新しいプレイヤーも含めて、なるべく多くのプレイヤーがいっしょに遊んでほしいという考えもあってレベル制限というシステムを導入したのですが、それによる混乱は想定以上に大きかったというのは、認めざるを得ないと思います。

  • 小川

    プロミヴォンでオブジェクト(Memory Receptacle)を壊すとワープが出現するというギミックを発案したのは自分なのですが、そのオブジェクトと周囲に出現するモンスターがあんなに強いとは想定していなかったので、実際にプレイしてびっくりしました(苦笑)。

  • 河本

    QAのチームはレベル75の熟練メンバーばかりなので、“レベル75未満のプレイヤーや新規のプレイヤー、しばらく休止していたけれど拡張を機に戻ってきたプレイヤーがいっしょになったときにどうなるか?”ということを、きちんと検証できていませんでした。それは本当に申し訳なかったと思います。

  • プロミヴォンはバトルフィールドの難易度も高かったと思いますが、それはタブナジアに人が集中しすぎないようにするという意図もあったのでしょうか?

  • 河本

    短期間でコンテンツが消費され尽くしてしまうことへの恐れがあったのは間違いないですが、そこまで止めようと思っていたわけではなかった、というのが本音です。 “レベル制限用の装備をどれだけ揃えられるか?”といった部分の想定が異なっていた部分もありました。

  • 当時は、低レベル帯に新しい装備が数多く実装されたのを覚えています。

  • 河本

    『FFXI』は装備品が消耗しない世界です。ですから、なんとか消費を促したかったという意図もありました。合成においてもトップオブトップだけの競い合いという状況でしたから、「レベル75で使う最終的な装備以外の需要も高め、改めてみんなに買ってもらうようにして経済を回したい」ということもすごく話し合いました。

『FFXI』の節目となった『プロマシアの呪縛』のエンディング

  • 『プロマシアの呪縛』のエンディングと、そこで流れる『Distant Worlds』について、制作当時の思い出がありましたらお聞かせください。

  • 河本

    だいぶ忘れていますが……「エンディングで歌を流したいよね。できたらいいよね~」という話をしていたら、田中さん(田中弘道氏。『FFXI』初代プロデューサー)が「できるんじゃない?」と。それを聞いて、「えっ。そうなんですか? だったらやりたいです!」というようなやり取りをした記憶があります。歌入りの楽曲となると、データの容量などいろいろな問題があり、とても自分から積極的に「やらせてください!」と言える状況ではなかったのですが、その言葉を受けて弥詠子さんとマイケル(マイケル・クリストファー・コージ・フォックス氏。『FFXI』元ローカライズ担当)に詞を書いてもらいました。

  • いまとなっては『Distant Worlds』なしのエンディングは考えられないので、企画の当初から決定していたものだと思っていました。

  • 河本

    でも、「ちゃんと“思い出”を作りたい」という想いは当初からありました。こういうことはあまり表では言ったことがなかったのですが……。

  • と言いますと?

  • 河本

    当時『FFXI』を作っている僕たちにとっても、『FFXI』をプレイしているみなさんにとっても、いわば『FFXI』は“生活”だったと思うんです。コンテンツやレベル上げが楽しかったり、バトルがたいへんだったり、何かに興奮したり……ヴァナ・ディールでは日々いろいろな感情が生まれていたと思います。だからこそ、その過程でふと立ち止まって「あのころはおもしろかった。楽しかった」と振り返ってもらえるような、“節目となるタイミング”を作らなくてはいけないのではないか、という想いが強くありました。そうしないと、『FFXI』はただただ日々を消費するだけのゲームになってしまうと思ったのです。

  • 『FFXI』はまだまだ続くけれども、節目としてのエンディングを作りたかったと。

  • 河本

    そうです。闇の王との戦いはそれに近いものがありましたが、あの盛り上がりをもう一度作るのはなかなかたいへんで……。ですから『FFXI』がまだ続いていくとしても、どこかのタイミングでエンディングが流れるということは大事だろうと。立ち止まるきっかけがあれば、いろいろなことが思い出になってくれるのではないか、ということは当時すごく思っていました。

  • 確かに『プロマシアの呪縛』のエンディングは、プレイヤーとして明確な節目となりました。つぎの『アトルガンの秘宝』ではまったく新しい舞台になりましたし。

  • 河本

    『アトルガンの秘宝』から小川さんにディレクターをやってもらうことは、早い段階で決めていました。ですから『プロマシアの呪縛』の後半は「やっと2ライン体制になって、未来のことを考えられるようになった」という感じでしたね。

  • バージョンアップのディレクションと、拡張データディスクのディレクションとでやっと分担できるようになったと。

  • 河本

    はい。実際、僕は『アトルガンの秘宝』の中身に関してはほとんど触れていなくて、ビシージやインスタンスの仕組みなど、ベースの設計についてちょっとだけ手伝ったくらいです。コンテンツ部分は小川さん、伊藤さん、松井さんにおまかせしていました。そこで本当に、「ようやくバージョンアップと拡張データディスクの制作が別になった」ということが実感できましたね。

  • ちなみに、河本さんがディレクターに抜擢されたときは“『FFXI』の運営を支える役割”を期待されたとのことですが、小川さんが指名された理由は何だったのでしょうか?

  • 小川

    『アトルガンの秘宝』ではまったく新しい土地で冒険をすることになるので、さまざまなものをマップ先行で制作するために、自分が選ばれたのだと思います。

  • 河本

    まさに“新しい拡張データディスクを作るためのディレクター”としてお願いして、「運営やトラブルの対応は僕がやるから」とお願いした感じでしたね。

  • 小川

    そういう意味では、自分は楽しいところだけやらせてもらった感じです(笑)。

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