2024年12月28日に放送されたWeb番組『ファイナルファンタジーXI A.M.A.N.とLIVE!(アマンとライブ!)』にゲスト出演いただいたデザイナーの永野護さん。番組出演に際し、インタビュー取材も実施させていただいたので、その模様をお届けする。
かねてからビデオゲーム好きとして知られる永野さんは、いつ、どのような形で『FFXI』に出会い、どのような冒険をヴァナ・ディールでくり広げてきたのか。後編では、驚きの16キャラクターを操作していた経緯や、永野さんの視点から見た『FFXI』の魅力について語っていただいた。

1960年生まれ。京都・舞鶴出身。デザイナー。1983年に日本サンライズ(現バンダイナムコフィルムワークス)に入社。翌年TVアニメ『重戦機エルガイム』でキャラクターとメカデザインに抜擢され、注目を集める。ほかにもテレビアニメ『機動戦士Zガンダム』などに参加。1986年より角川書店(現KADOKAWA)発行のアニメ誌『月刊ニュータイプ』にて、漫画『ファイブスター物語』の連載をスタート。2012年には、自身で監督や脚本を手がけた、劇場アニメーション『花の詩女 ゴティックメード』を公開する。デザイナーとして、オリジナリティ溢れる唯一無二のデザイン(ロボット、キャラクター)を発表し続けており、いまなお多くのファンを魅了している。
- 『ファイブスター物語』の最新刊(2025年3月時点)である第18巻はKADOKAWAより発売中。
16体すべてがメインキャラクター
永野先生は以前、電撃の旅団のイベント時にいただいたコメントで、16キャラクターをアイテムレベル119にしたと書かれていましたが、なぜそれほどたくさんのキャラクターを育てたのですか?
- 永野
『FFXI』をプレイしているあいだは、継続的にちょこちょことレベル上げをしていましたが、『アドゥリンの魔境』の実装後くらいに、「“2アカ(別アカウントのキャラクター)”がいると楽だよ」という話を聞いて、以前使っていたパソコンで別のアカウントを作ったんです。それで実際に試してみると、レベル99まで2時間半くらいで到達するし、アイテムやギルの移動も楽にできるしと、「これは便利だな」と実感しました。そのころにフェイスが実装されていたかは覚えていませんが、できることがすごく増えて、ひとりで延々と遊んでいましたね。そんなこともあって、『アドゥリンの魔境』はたいへん楽しくプレイできました。
キャラクターの数自体が増えたのも、それがきっかけですか?
- 永野
はい。『FFXI』では“ひとりのキャラクターにいろいろなことをさせる”プレイヤーのほうが多いと思いますが、僕の場合は「このキャラはこのジョブ」みたいに決めてしまうんです。たとえば、“マリータというキャラクターはナイトと召喚士”といった感じでした。そのように決めてプレイしていたので、「シーフをやってみたいな」とか「コルセアも……」と考えていくうちに、どんどん増えちゃったんですよ(笑)。
そのスタイルだと、たしかに増えてしまいますね(笑)。
- 永野
もともとキャラクターを育てるのが大好き、というのもあります。いろいろなコンテンツを遊んでいると、自分が手をつけていないジョブの装備も集まってくるので「シーフの装備がひと通り揃ったから、シーフも育ててみようかな」という感じでした。アイテムレベル119のキャラクターが複数動かせるなら、かなりのことがひとりで完結しますから、レベル75時代にみんなが必死に狙っていたアイテムも取り放題です。守りの指輪をゲットしたときも、しみじみ感動したりしましたね。
そして、気づいたら16キャラクターまで増えていたと。
- 永野
そこまで育てると全員ぶんの装備も揃えたくなってくるんですよ。「醴泉島のこのNMからはこの装備が手に入るから、このキャラクターとあのキャラクターを連れていって、フェイスはあれを出して……」という感じでマネジメントをしていました。そのうえで「あのNMはどうすれば勝てるんだろう?」と自分でいろいろと試行錯誤しながら遊んでいたら、いつの間にか装備も集まってしまったというわけです。すごく時間はかかりましたし、我ながら「よくやるわ」という感じですが、楽しんでいましたね。
永野先生も複数のキャラクターを同時に操作して遊んでいたと思うと、親近感が湧きますね(笑)。
- 永野
恐ろしいことに、慣れると片方のキャラクターで技連携しながら、もう片方でマジックバーストができるんですよ。いろいろと試しながらマジックバースト3連発を決めて、「黒魔道士つえー!」とか言いながら遊んでいました。
“獣使い”が好き
ジョブごとにいろいろなキャラクターで遊ばれていたということですが、以前に心のメインジョブをうかがったときは、“獣使い”と答えられていました。
- 永野
“メインジョブ”と言うなら、ずっとお世話になっていた獣使いだなと。『ドラゴンクエストX オンライン』でも魔物使いで遊んでいますし、『FFXIV』で今後リミテッドジョブとして実装予定の魔獣使いも楽しみにしています。獣使いは、先に話題に出た某ゲームクリエイターの知り合いにおすすめされたんですよ。僕が遊ぶ時間帯だとなかなかパーティが組めなくて苦労していたところ、「獣使いはソロでも遊べるからおもしろいですよ」と言って、レベル30くらいまでの育てかたを教えてくれました。最初は「たいへんそうだな……」と思いながらはじめたのですが……。
ほかのジョブとは戦いかたも異なりますからね。
- 永野
でも、やってみたら思いのほか楽しくて、グスゲン鉱山でフライ(トンボ)やゴーストを避けつつ奥まで行き、モンスターをあやつってボムにぶつけて、経験値が入るギリギリあたりまで離れて自爆するのを見守る、という感じで遊んでいました。獣使いの醍醐味としては、ジャマなモンスターを避けつつ、手下になるモンスターをあやつり、いかにして安全に敵にぶつけるかというのが楽しくて、別のゲームみたいでしたね。そんな感じで、レベル75が上限の時代はずっと獣使いでした。
別のゲームのような感覚だったからこそ、獣使いは一定の人気があったように思えます。
- 永野
そうなんですよ。ところが『アビセア』の時代になると大羊族のペット(手毬唄のナズナ)が脚光を浴びて、みんな“羊使い”として鞍替えするわけです。強化されたのはよかったし、みんなが獣使いのすごさをわかってくれたことはうれしかったのですが、「弱いと言われながらもずっと獣使いで遊んでいたのに、なんかちょっと悲しい」という気持ちもあったりして……。
強い、弱いで獣使いを遊ばれていたわけではないですものね。
- 永野
その後、最後の限界突破クエストでスラッグのペットが注目されて、一時期は獣使いばかり募集されていたこともありました。さらには『アドゥリンの魔境』に入ると、ついにトカゲ(迎撃のパトリック)の時代が到来します。技連携からファイアボールでのマジックバーストができるというとんでもないペットが登場して、ソロで遊んでいても「獣使いさん来てください!」と言われるほど人気でした。そのころは2アカウントのキャラクターを獣使いにして遊んでいましたが、楽しかったなあ……。
HNM狩りもデュナミスもLSで楽しんだ
デュナミスLSやHNMLSでの活動もされていたとのことですが、やはり海外プレイヤーのLSに所属されていたのでしょうか?
- 永野
いえ、国内プレイヤーのLSでした。『ファンタシースターオンライン(PSO)』(※)時代の知り合いにひさしぶりに会ったら、「じつは、HNMLSのリーダーをしているんだ」と言われたんです。その知り合いから「LSに入りませんか?」と誘われたのですが、たいへんそうだし、一度は断りました。でも、「好きなときだけ参加すればOKだから」と説得され、時間があるときに参加するようになって、「僕たちはもう持っているから」といろいろな装備をもらいました。ただ、さすがにFafnirなどを張り込んだりはしませんでしたね。
※2000年にセガから発売されたドリームキャスト用アクションRPG。家庭用ゲーム機初の3DオンラインRPGとして、世界中の人々とのオンラインプレイを実現させた。『PSO Ver2』や『PSO2』には永野氏デザインのオリジナルアイテムも実装されている。 デュナミスに関してはいかがでしたか?
- 永野
同じようにデュナミスLSのリーダーをしている知り合いがいて、「獣使いならレリック装束が欲しいんじゃない? うちのLSに来ませんか?」と誘ってくれたんです。それで、「誰もロットしないレリック装束を全部ください!」と言って、めちゃくちゃもらっていました。それにしても、当時のデュナミスLSでリーダーをされていた人たちはすごかったですね。時間の管理とか、トラブルが起きたときの対処とか、アライアンスを組んで攻略を進める手腕とか……。
おそらく、リアルでも統率力がある方がリーダーをされていたことが多かったように思います。
- 永野
ですから、メンバーの採用についてもきちんとしていて、僕の入ったLSでも本来は時間をちゃんと守れるか、挨拶がちゃんとできるかとか、そういった最低限のことを確認するために仮採用期間が1カ月ほどあったそうです。でも自分は、「永野さんはすぐに正式メンバーでいいですよ」と言われて、すんなり加入しました。
そもそも、お誘いを受けた側ですしね。
- 永野
そのころは映画を作っていた時期で、僕としては珍しく定時に家に帰る生活をしていて、夜の10時ごろには家にいたんです。そういう生活をしていたので、定期的なデュナミス活動にもちゃんと参加できました。活動中はいろいろな装備をもらいましたが、「せっかくもらった以上は、そのジョブでも遊ばないとな」という感じでプレイしていました。
ほかにはどんなコンテンツで遊びましたか?
- 永野
ウォークオブエコーズはバリバリに遊びました。「召喚士で来て」と言われて駆けつけたら、コンテンツ内は日本語と英語が混ざったカオスな空間になっていて、おもしろかったですね。
ミッションやクエストで印象に残っているものはありますか?
- 永野
ミッションでは『アドゥリンの魔境』が好きです。キャラクターもよかったし、アドゥリンの街の音楽がちょっと西部劇っぽくて、それも好きですね。物語としては、続く『ヴァナ・ディールの星唄』もクリアしました。最後の戦闘は「すごいバランスだな、これ」と思いながらけっこう苦労しましたが、何回かやり直して、なんとか勝てました。
踊り子のAFでわかった“衣装を見せびらかす人の気持ち”
デザイナーとして『FFXI』を見たとき、印象的だった風景や服装はありましたか?
- 永野
トゥー・リアに連れていってもらったとき、みんなが「この景色を見せたかったんだ」と言っていたのは印象深いです。あと、『アトルガンの秘宝』で出てきたアレキサンダーも印象的でした。ファッションだと、踊り子のAFはかわいかったですね。踊り子をはじめたのは、「AFを着たい!」と思ったからなんです。
AFはそのジョブを象徴するデザインになっていて、レベル上げのモチベーションにする人は多かったですね。
- 永野
デュナミスでも真っ先に踊り子のレリック装束を取りました。そこではじめて“衣装を見せびらかす人の気持ち”がわかったんですよ。踊り子の青いレリック装束を着てジュノの競売の前に行くと、いろいろな人から「すごい衣装だね」とか「それはレリック装束?」とかたくさんのtellが届いて……。なかには「すごいキュートだよ、君」みたいなものもあって、「こういう快感もあるんだ」ということを知りました。
おしゃれを楽しむのもMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGの醍醐味ですよね。
- 永野
装備の話といえば、『アドゥリンの魔境』に入ってからはレリックウェポンも作りました。イージスあたりは持っているとけっこう目立つ一方、ガトラーはあまり気付いてもらえなくてちょっと残念でしたね。本当は踊り子のミシックウェポンであるテルプシコラーも欲しかったんですが、アレキサンドライトを集めるのはさすがにたいへんだな……と断念しました(苦笑)。
『FFXI』はコンシューマゲームだからこそのよさも持っている
永野先生にとって、『FFXI』の魅力とは何でしょうか?
- 永野
難しい質問ですね。まず『FFXI』がサービス開始した当時、オンラインゲームにはじめて触れた人にとっては、ほかのプレイヤーと会話をするだけでも感動したのではないでしょうか。僕は『ディアブロ』(※1)や『Ultima Online(ウルティマオンライン)』(※2)、『PSO』といった流れを経験していますが、『FFXI』を含め、それらオンラインゲームに対する衝撃は鮮明に覚えています。「ほかのプレイヤーとパーティを組める」、「ほかのプレイヤーとコミュニケーションが取れる」、それだけのことでもいままでのゲームとは別次元の遊びだったはずです。夢中になりすぎて生活が一変しちゃった人もいるでしょうけど……(苦笑)。
※『Diablo(ディアブロ)』は、アメリカのゲーム会社Blizzard Entertainmentから1996年に発売されたハックアンドスラッシュタイプのアクションRPG。MORPGの先駆け的なタイトル。
※『Ultima Online(ウルティマオンライン)』は、1997年にサービスが開始された、MMORPGの草分け的なタイトル。 プレイする前に表示される「プレイヤーの皆さんへ」のメッセージにも、実生活を大事にするよう書かれていましたしね。
- 永野
さらに、『FFXI』以前のMMORPGはパソコンを持っている人だけが遊べるものでしたから、ファミコンやプレイステーションなどのコンシューマゲーム機で遊んできた人たちにとって、『FFXI』は大きなインパクトがあったでしょう。『FFXI』ではじめてオンラインゲームに触れたという人も多かったと思います。MMORPGを通じて現実世界でのつながりが生まれ、友だちができ、リアルで結婚したカップルの話も数多く聞きました。『FFXI』をやめた後でも友人関係が続いている、といった人もいることでしょう。そういった、“オンラインゲーム黎明期のすごさ”というのは魅力としてあったと思います。
いまとはまた違う、異様な熱気がありましたね。
- 永野
思いがけない出会いもありますしね。ちなみに、僕自身は海外の方とプレイすることが多かったのですが、その中には小学生のプレイヤーもいました。出会いはバストゥーク周辺のモンスターに負けそうだった彼にケアルをしてあげたのがきっかけで、いっしょに遊びはじめたんです。それで、いろいろと話しているうちに住んでいる場所の話になり、「僕は東京だよ。君は?」と聞いてみると、シカゴに住んでいるのだとか。そこからしばらくして、レベルが9くらいになったとき、そのプレイヤーが「ゴメン」と言ってきて、「どうしたの?」と問い返すと、「ママが早く寝ろと言ってきた」と。そこで彼の年齢が判明してパーティを解散したのですが、「シカゴの小学生か……」としみじみとしましたね。
オンラインゲームならではのエピソードですね。
- 永野
ちなみに僕がシカゴの小学生といっしょに遊んでいたころ、妻はニューヨークから来日したという有名なラッパーをクラブで接待していたらしいんです。海外の人との交流という点では変わりないのに、同じ時間に一方は“ニューヨークから訪れた著名な人とクラブで食事”、一方は“シカゴの小学生とバストゥークのそばでクラブ狩り”ですよ(笑)。そのギャップがちょっとおもしろくて、いまでも覚えています。
clubとcrabですか(笑)。
- 永野
そんな出来事があったので、「海外のプレイヤーも若い子が多いんだな」とあとから気づきました。また、北米の人だけではなく、フィジーの人もいて、世界中のプレイヤーが夢中になっているんだなと感じました。『FFXI』は、全世界にいる『FF』ファンの人たちにとって特別な存在だったのでしょうね。そういう意味でも、すごい体験だったと思います。
確かに、世界中に『FF』ファンがいることを感じられました。
- 永野
『FFXI』はオンラインゲームではありますが、プレイステーション2で発売されたゲームということもあって、コンシューマゲームのよさも持っているすごいゲームだと思います。ですから『FFXI』は現在のプラットフォームがパソコンであるものの、コンシューマゲームだということを忘れないでいてほしい。ハードコアに遊びたい方々には歯応えのあるコンテンツを用意しつつも、ライトユーザーが楽しめるコンテンツも同列で用意してほしいですね。
『FFXI』は今年の5月で23周年を迎えます。最後に永野先生からのメッセージをお願いします。
- 永野
最初のころにやめちゃった人たちも含めて、『FFXI』には楽しい思い出とともに、苦労した印象を持っている人も多いと思います。でも、いまはソロでも遊びやすくなっていますし、20年以上積み上げられてきたたくさんのコンテンツがあるので、本当に延々と遊べます。だから、ぜひ一度戻ってきて遊んでみてほしいですね。