松井プロデューサーが『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第3回の対談相手は、『信長の野望 Online』(以下、『信On』)のプロデューサーである川又 豊氏。プレイステーション2(以下、PS2)という同じプラットフォームで長年MMO(多人数同時参加型オンライン)RPGを運営してきた“戦友”どうしが計4回にわたって語らう!
『信長の野望』(※)シリーズの世界観をベースにしたMMORPG『信長の野望 Online』の開発者。2019年6月にディレクターと兼任する形でプロデューサーに就任した。
※1983年3月に1作目が発売された、戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲーム。その後も進化を続け、シリーズ16作目となる最新作『信長の野望・新生』が今冬発売予定。好評サービス中の“戦国の世に生きる”をテーマとしたオンラインRPG。織田・上杉・武田・伊達など好きな大名家に仕え、最大千人規模のプレイヤーが集う合戦に勝利し、天下統一を目指す。
シブサワ・コウ氏のひと声で開発がスタートした『信On』
今回はコーエーテクモゲームスの川又 豊さんが対談のお相手ということで、まずは自己紹介がてら、ご来歴をお聞かせいただけますか。
- 川又
私は光栄(当時)に1997年の入社で、最初は『信長の野望 将星録』のチームに配属され、プレイステーションへの移植などを担当しました。その後『ジルオール』のお手伝いをして、『チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿IV』ではオルド(※)の担当をしています。そのつぎに『遙かなる時空の中で』のチームに少しいて、『三國志VIII』に関わった後に『信On』に参加したという流れです。『信On』については少し離れていた時期もありましたが、再び戻った後にディレクターに就任し、2019年にはプロデューサーとディレクターを兼任する形となりました。プロデューサーという立場になったのは比較的最近なので、そういう意味では松井さんは大先輩になります。
※オルドとは英雄として后を口説き、子ども(後継者)をもうけるシステム。『蒼き狼と白き牝鹿』シリーズを象徴するシステムであり、生まれた子どもは男子なら将軍候補にできる。女子の場合は将軍候補に嫁がせて血縁関係を結ぶことができ、血縁者となった将軍は決して裏切らない。 - 松井
いえいえ、プロデューサーとしてのたいへんな時期のほとんどは田中さん(田中弘道氏。『FFXI』の初代プロデューサー)がやってくださっているので、僕は開発とコミュニティに目配せしているだけなのですけどね。ちなみに『信On』のサービスが開始したのは2003年でしたが、川又さんはいつごろから開発に参加されたのですか?
- 川又
2002年ごろからですね。ローンチ前から参加しています。
- 松井
当初はプランナーとして参加されていたのですか?
- 川又
はい。プランナーとして、UI(ユーザーインターフェース)やステージ作りなどを担当していました。最初のプラットフォームがPS2だったので、キーボードを持っていないプレイヤーも多いであろうと想定し、代替の入力手段を考えて簡易チャットを作ったりしていました。Windows版のときもUIまわりを担当し、その後も3D部分やUIをおもに担当してきました。
『FFXI』のサービスインが2002年、『信On』が2003年ということで開発の時期も近かったと思うのですが、『信On』はどのような経緯で開発がスタートしたのでしょうか?
- 川又
私はその場にいたわけではないので、当時ディレクターだった小笠原(小笠原賢一氏。エンタテインメント事業部副事業部長)に話を聞いてきました。小笠原が言うには、シブサワ・コウ(襟川陽一氏。コーエーテクモホールディングス代表取締役社長)から社長室に呼び出しがあり、「『信長の野望』のMMORPGを作りたい」というド直球な提案をされたそうです。そのとき部屋に飾ってあった“洛中洛外図(※)”を指さして「こんな感じ!」と言われ、「は、はい」という感じで始まった、とのことでした(笑)。
※京都の市街・郊外を描いた屏風絵。おもに戦国時代~江戸時代に描かれた。 - 松井
坂口さん(坂口博信氏。『FF』シリーズの生みの親)のエピソードと似ているかもしれません(笑)。田中さんも言っていましたが、『FFXI』も似たような経緯で始まったんです。ちなみに僕としては、なぜ『信長の野望』のMMORPGだったのだろうと思っていたんです。たとえば同じコーエーさんのタイトルなら『大航海時代』のほうがMMORPGになじみそうなイメージがありましたが、シブサワ・コウさんの一声で開発がスタートしたのですね。
やはり『信長の野望』で勝負したかったということでしょうか?
- 川又
『信長の野望』は私たちの主力IP(知的財産)のひとつですし、MMORPGにおいてもその世界観で戦っていくべきだと考えたのだと思います。当時、MMORPGと言えば『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』(以下、『UO』。※)か『EverQuest(エバークエスト)』(以下、『EQ』。※)かという時代で、社内でも「海外のゲームで、すごいものが始まっている」とプレイする人がたくさんいて、中にはプレイ日記のようなものを書いている人もいました。その中でシブサワ・コウも流行の気配を感じ、「ウチが作るなら歴史をテーマにしたMMORPGだ」と考えたのではないでしょうか。
※『ウルティマオンライン』は、1997年にサービスが開始された、MMORPGの草分け的なタイトルとなる。
※『エバークエスト』は、1999年に米国でサービスを開始した海外産のMMORPG。 さすがはシブサワ・コウさん、トレンドに対するアンテナの感度が高いですね。
- 川又
ただし、日本でMMORPGが受け入れられるかどうかについては、みんな不安でした。もちろん、自分たちはおもしろいものになると思って作っていますが、まだチャットでコミュニケーションを取ることに慣れていない人が多かった時代です。私も最初にオンラインゲームで遊んだときは、タイピングをする手が緊張で震えていた記憶があります。そういった不安もあって、『信On』を開発しながら「どうなるんだろう……」と思っていたときに、先にサービスを開始した『FFXI』の様子を見て、「『FFXI』はけっこううまくいっているじゃない!」と開発メンバーに言ったのを覚えています。
『ジラートの幻影』で侍と忍者の追加が発表されたときは……
少し時間をさかのぼりますが、『信On』の開発が始まった時期は、『FFXI』が開発中だったことをまだご存じなかったと思います。そんな中で『FFXI』が発表されたときはどう思いましたか?
- 川又
小笠原の言葉を借りると、「先を越された!」と(笑)。
- 松井
坂口さんはかつて、知名度の面で『FF』が『ドラゴンクエスト』に追いつくことにすごく苦労されていた(※)ので、話題性でほかのゲームに負けないように「(新しいものは)とにかくいちばん最初に出せ!」と厳命を下していました。実際のところ、発表前の段階では他社さんが何を開発しているかなんてわからないですけどね。
※『ドラゴンクエスト』の1作目は1986年5月に発売され、日本国内においてRPGというジャンルを広く知らしめる作品となった。一方、『FF』の1作目は1987年12月発売と、1年以上の開きがある。 とくにMMORPGの開発なんてトップシークレットでしょうからね。
- 川又
発表すればいろいろと影響がありますからね。先を越されたとはいえ、『信On』は『FF』と世界観が違うし、「『FFXI』はうまくいっているみたいだから、うちらもがんばろう」という気になりました。でも、『ジラートの幻影』の発表時に、侍と忍者が新ジョブとして実装されるのを知ったときは「いじめか!」と思いましたね(笑)。
- 一同
(笑)。
- 松井
弁明させていただくと、『ジラートの幻影』までは開発の当初から計画していたもので、なおかつ侍も忍者も従来の『FF』のジョブとしてはポピュラーなものですから、狙ったわけではないんです。
とはいえ、“和モノ”のジョブをふたつも入れてきたうえに、『ジラートの幻影』の発売が2003年4月で、『信On』のスタートが2003年6月ですから、先行された形になってしまったと。
- 川又
本当に「どういうこと!?」となりましたよ。
当時はライバル的な感覚もあったが、いまは“戦友”
未知なるMMORPGというジャンルに挑戦するにあたり、『信On』は何かお手本にした作品はあったのでしょうか?
- 川又
やはり『UO』と『EQ』はお手本中のお手本というタイトルだったので、いっぱい遊びました。その後、『信長の野望』をMMORPGにするということで、“合戦という大規模な集団戦を入れるとしたら、どう世界観を作っていくべきか”ということや、“既存のゲームをお手本にしつつも『信On』のオリジナル性をどこに出していくか”ということについて議論を重ねました。たとえば、ほかのゲームでよく使われている言葉も世界観に合わせたほうがいいだろうということで、パーティは“徒党”、チャットでシャウトにあたるものは“大声”という感じで、和風に変えていったのです。ただ、どうしても変えられない言葉もあり、「レベルを“段位”にはできないよね?」とか「イベントは“催し物”じゃないよね?」といった感じで、いろいろとチャレンジはしつつもカタカナのまま残っている言葉もあります。そのあたりはおもしろかったですね。
- 松井
わかりやすさと世界観のどちらを取るかというところで悩まれたのですね。
『EQ』や『UO』以外で当時注目していたMMORPGはありますか?
- 川又
やはり『FFXI』には注目していたので、プレイさせていただきました。友だちもプレイしていたし、先を越されたと言いながらも社内でもみんなしっかりとプレイしていました。『FFXI』には海外のプレイヤーもたくさんいて、チャットでは英語が飛び交うし、気楽にパーティに誘ってくることもありますよね。そういった文化にちょっとなじめなくて、「すごくワールドワイドなところに来ちゃったな」と感じたのも覚えています。そして、『FFXI』は日本発のゲームなのにこういった作りかたをしているのだと感心しつつも、自分たちはこれとは違うものを作っていくんだという確信を得ることもできました。もちろん、参考にさせていただいた部分もたくさんあります。
『FFXI』をライバル視していたというよりも、研究対象に近かった感じでしょうか?
- 川又
もちろん当時はライバル的な感覚もありましたが、いまになると逆に、非常に親しい“戦友”的な気持ちのほうが大きいですね。でも、コラボなどはしたことがないですし、直接関わったことはないのですが。
戦友という意味では、PS2でサービスをスタートしたというのも『FFXI』と『信On』の大きな共通点のひとつだと思います。『信長の野望』はPC市場でも強いIPというイメージがあるので、『信On』はPC用のゲームにするという選択肢もあったと思うのですが、PS2でスタートした理由は何だったのでしょうか?
- 川又
『信On』はMMORPGである前にRPGなので、家庭用ゲーム機で出したかったという考えがあったようです。さらに言えば、“PS2初のMMORPG”というポジションを狙っていたこともあり、そういう意味では『FFXI』と似た経緯なのかなと思います。
- 松井
お互い、リーダーに先見の明がありましたね。
その一方で、家庭用ゲーム機ということもあり、まだオンラインに慣れていないプレイヤーも多く、その点で苦労されたことも多かったのではないでしょうか。
- 川又
まだTwitterやFacebookなどのSNSもない時代だったので、オンラインで人と人が関わったときにどういうトラブルが起きるのか、どういう機能を用意すればみんなが快適な世界になるのかなどは本当に手探りの状態でした。ほかのゲームにもあるブロック機能――『信On』では“絶交機能”と言いますが、そういったものは取り入れつつ、さまざまな方策を考えながら開発、運営していきました。あまり表には出ないところですが、トラブルをどう処理するのかは非常に気を使う部分でしたね。いまは直接姿を現すことはありませんが、『信On』にもトラブルの対応をするゲームマスター(以下、GM)がおり、プレイヤーどうしのいざこざを解決していく中で、ノウハウを蓄積し、機能を拡張しながら運営してきたという感じです。
- 松井
インターネット自体も普及し始めたころでしたからね。
- 川又
先日、GMのひとりと久しぶりに話したときに出た内容なのですが、かつてゲーム内のトラブルで何十人もの人が集まってケンカをしている中で、GMとして姿を現したときに「ちょっと君たち、ここに座りましょう。お互いイヤなことをしたら楽しくプレイできないでしょう?」といった感じで仲裁をしたことがあったのだとか。そんな牧歌的な時代があったのか、そんなGM対応があったのか、と笑ってしまいました(笑)。
GMがどこまで介入するのかも、いまほど体系化されていない時代ですよね。そういえば、『FFXI』でもGMが姿を見せたときは、プレイヤーが集まってきて、人だかりになっていたのを覚えています。
- 松井
最近では『FFXI』でも、GMが姿を見せることはあまりないようです。というのも、いまはトラブルの原因のほとんどが、いわゆる“業者”や“ボット(不正プログラムで任意の動作をくり返すキャラクター)”などになっています。通報していただいたキャラクターを監視し、違反行為をしていればアカウントの停止や凍結をするといった作業が中心で、わざわざGMが姿を現す必要がなくなっているんです。また、個人のトラブルについても、第三者とのやり取りが不要ならTell(1対1の会話)での対応になりますからね。
- 川又
18年も経っているので、プレイヤーの皆さんも成長しているし、コミュニティも成熟してプレイヤー間のトラブルが少なくなってきたのも原因にありそうですね。
- 松井
そうですね。プレイヤーどうしのいざこざの場合はGMが姿を現したほうが有効なのかもしれませんが、そういったトラブルでGMが呼ばれることが少なくなったのだと思います。
- 川又
世界とともに成長してきたプレイヤーの皆さんがコミュニティを率いていれば、新しいプレイヤーが入ってきたとしても深刻なトラブルに発展することはそうそうないでしょうし、サービス開始当初とはトラブルの質も変わっているのでしょうね。