Language

JP EN

-WE DISCUSS VANA’DIEL- 特別対談
石井浩一×天野喜孝 <前編>

 これまで6回にわたって、松井聡彦プロデューサーと『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)にゆかりのある方々との対談をお送りしてきた、“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。今回は特別編として、『FFXI』初代ディレクターの石井浩一さんと、『FF』シリーズにおいて数々のロゴやイメージイラスト、キャラクターを描いてきたイラストレーター・天野喜孝さんによる対談をお届けする。なお、ふたりの関係は、いまから遡ること34年前の『ファイナルファンタジー』(以下、『FFI』※)から始まっているため、『FFXI』に関することだけでなく、『FFI』の開発当時のエピソードから振り返っていただいた。対談の前編となる本稿では、石井さんと天野さんの出会いについてや、両者のクリエイターとしてのルーツなども明かされており、『FFXI』のプレイヤーはもちろん、『FF』シリーズのファン全般にとっても必見の内容と言えるだろう。

※本稿では、IP(知的財産)としての『ファイナルファンタジー』と、1作目の『ファイナルファンタジー』の混同を避けるため、1作目については便宜的に『FFI』の呼称を使用いたします。

石井浩一

株式会社グレッゾ代表取締役。黎明期のスクウェアにおいて『FFI』を企画し、シリーズ第3作までゲームデザインなどを担当。その後は『聖剣伝説』シリーズなどのディレクションを手がけたのち、『FFXI』で『FF』シリーズに復帰。本作の世界“ヴァナ・ディール”の基盤を創り上げるとともに、拡張データディスク『ジラートの幻影』までの期間はディレクターを担当した。

天野喜孝

日本のファンタジー界を代表するイラストレーターであり、映画や演劇の舞台美術、衣装など、多方面で活躍するアーティスト。竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)のデザイナーとしてキャリアを開始し、その後にイラストレーターとして独立。小説やアニメなど、数多くのファンタジー系作品でイラストやキャラクターデザインを手がけ、『FF』シリーズに関しても『FFI』から現在に至るまで、34年以上にわたって関わり続けている。

石井さんが思い描く『ファイナルファンタジー』像に一致した天野さんのイラスト

  • 今回は『FFXI』の対談ではあるのですが、おふたりが最初に関わられた『FFI』の話題から始めさせてください。

  • 石井

    『FFI』のプロジェクトが立ち上がったのは、自分がスクウェア(当時)にアルバイトとして入社してから半年くらいが経ったころで、社内で開発チームを分割するという話がありました。坂口さん(坂口博信氏。『FF』シリーズの生みの親のひとり)のチームや田中さん(田中弘道氏。『FFXI』の初代プロデューサー)のチーム、全部で4つくらいあったかな。自分はいつのまにか坂口さんのチームということになっていましたね。まぁ、当時の自分はアルバイトだったので、選択権もなかったわけですが(苦笑)。いざチームに入ったら、4人くらいしかいないんですよ。すると坂口さんから、「これから俺たちのチームで『ドラゴンクエスト』(以下、『DQ』)みたいなRPGを作るから、石井は企画を考えとけ!」といきなり振られて……。でも、その後は、坂口さんたちは、『ハイウェイスター』(※)の開発で忙しかったので、ほったらかしに近い状態になりました(笑)。

    ※1987年にファミリーコンピュータ向けに発売されたレースゲーム。
  • それは……(笑)。

  • 石井

    人数の少なかった坂口さんチームは、必然的に倉庫を2分割した部屋に移りました。お世辞にも綺麗とは言えない場所でした。その奥の部屋に坂口さんや渋谷さん(渋谷員子氏。『FF』シリーズなどでデザイナーとしてドット絵を担当)、河津さん(河津秋敏氏。『サガ』シリーズの生みの親)、そしてナーシャ・ジベリ(『FFI』~『FFIII』などのプログラマー)たちが『ハイウェイスター』を作っていました。そして自分ひとりだけは、手前の部屋に折り畳みの会議用テーブルを“コ”の字に並べた、即席ブースで作業をしていました。

  • いまのスクウェア・エニックスからは想像もつかないほど、こぢんまりとした会社だったんですね。そこからどのように企画を進めていったのですか?

  • 石井

    自分は『DQ』や『ゼルダの伝説』なども好きだったので、自分なりにRPGの企画を手探りで考えていきました。『FFI』の原型となる部分、たとえばサイドビュー形式のバトルや、火・水・風・土の4属性を取り入れた世界観、ジオラマっぽく見せるワールドマップなどは、すでに自分の中でビジョンがありました。細かい部分に関しては、たとえば太いウィンドウ枠は『マリオブラザーズ』の鉄パイプから、白い手袋の指差しのカーソルは『謎の壁 ブロックくずし』(※)からインスパイアを受けていますね。こういったアイデアをひとつひとつまとめ、そのかたわらでドット絵作成を学習して、プリントアウトを坂口さんに「こんな感じでどう?」と見せに行くのをくり返していました。

    ※KONAMIがファミリーコンピュータ ディスクシステム向けに1986年に発売したブロックくずしゲーム。
  • 『FFI』のあの世界観は、かなり早い段階で考えていらっしゃったんですね。その部分について、もう少し詳しく聞かせていただけますか?

  • 石井

    当時の自分は「デジタルで“幻想世界”を作りたい」とイメージしていて、よくノートにイラストなどを描き溜めていたんです。『FFI』でも、精霊などの存在を身近に感じられるような世界にしたいと考えていました。その時点から、私の中ではビジュアルイメージとしては天野さんのイラストがありましたね。当時、自分が思い描いていたファンタジー像にもっとも近い画家は、ロドニー・マシューズ(※)、グレッグ・ヒルデブラント(※)そして天野さんの3人でした。とくに天野さんは日本のファンタジーイラスト界における第一人者だと思っていて、スクウェアで企画を考えるときも、イラスト集の『魔天』(※)を見ながらイメージを膨らませていたほどです。ですから『FFI』の世界を実現するにあたり、誰にイラストを描いてもらおうかと考えたとき、真っ先に天野さんが思い浮かびました。

    ※ロドニー・マシューズ……イギリスのイラストレーター。ハードロックバンドのカバーアートなどを数多く手がける。
    ※グレッグ・ヒルデブラント……アメリカの画家。映画『スター・ウォーズ』のポスターなどで有名。
    ※『魔天』……『天野喜孝画集 魔天』。1984年に刊行された天野氏最初の画集。
  • 最初から天野先生のイメージがあったわけですね。

  • 石井

    そして坂口さんに『魔天』を見せて、「この人の絵が『FFI』にぴったりです!」と力説したんですが、その時点ではあまりピンと来ない様子でした。ところが、それから1週間後くらいに今度は坂口さんのほうから、「石井、いい絵描きを見つけたんだけど、これはどうだ?」と言ってきたんです。そして坂口さんからイラストを見せてもらうと、それが天野さんの絵で(笑)。

  • それは思わずツッコミを入れたくなりますね(笑)。

  • 石井

    まったくです(笑)。でも、最初に自分が推薦したときはピンと来なかったとしても、坂口さん自身のアンテナに天野さんが引っかかったことはうれしかったですね。そうして坂口さんの同意を得た後は、横浜にあった天野さんの事務所へ依頼に行くというので、渋谷さんといっしょについていきました。あのころの坂口さんはスポーツカーのRX-7に乗っていて。自分は体が大きいから助手席に座るんですが、後部座席がすごく狭いクルマなので、渋谷さんは体をほとんど真横にしないと乗れないわけです。そんな状態になりながらも、皆で「天野さんは引き受けてくれるかな?」と、ワクワクしながら横浜まで行ったのを思い出します。そして天野さんにお願いをしたら、「いいですよ。やりますよ」と、ふたつ返事で引き受けてくれました。あのときは本当にうれしかったですね。3人はホッとして会社に戻りました。

  • 当時の石井さんとしては、ゲームの開発者視点というより、完全にファン目線で天野さんを見られていたのでしょうか。

  • 石井

    そうですね。『FFI』の開発中に天野さんがスクウェアに来社されたときのことは、よく覚えています。その前に坂口さんがチームメンバーを集めて、お達しがあったんですよ。「今日は天野さんが来られるけれど、ミーハーなことは禁止。サインをねだるとかは絶対にするなよ!」と。ほかのスタッフはそれを大人しく聞いていたのですが、自分は天野さんが来社されるやいなや、いつも手元に置いていた『魔天』を持って、真っ先にサインをお願いしに行きました。そうしたら、ほかのメンバーもそれに続いて、しばらくのあいだは天野さんのサイン会になってしまいましたね。坂口さんはムッとしていましたけど(苦笑)。

  • ファンとして、そこは譲れないと。

  • 石井

    だって、あの天野さんですよ? そんなの従うわけがないですよね(笑)。まぁ、当時の自分は22歳くらいで、人の言うことを素直に聞いたりはしませんでしたしね。

  • ちなみに石井さんにとって、天野先生の絵との最初の出会いは、どのようなものだったのでしょうか。

  • 石井

    書店だったと思います。平積みされた小説のカバーイラストを眺めながら店内を歩いていて、「あっ、いま一瞬見えた絵はいいな」と思って引き返してみると、それが天野さんの絵だった、ということがよくありました。とくに『エルリック・サーガ』(※)のイラストが印象に残っていますね。

    ※マイケル・ムアコックが手掛けるファンタジー小説のシリーズ。
  • 天野

    当時の僕はイラストレーターとして独立したてで、ファンタジー系の小説の表紙を手がけることが多かったですね。でも当時のファンタジー小説はメジャーなジャンルではなかったので、石井さんはかなりコアなファンだと思いますよ。

  • 石井さんは、天野先生の絵のどういったところに惹かれていたのでしょうか。

  • 石井

    何かしらの形で“空間”が感じられる部分ですね。そしてもうひとつは、一見綺麗なイラストでも、さりげなく魑魅魍魎やダークサイドなどの“怖さ”を盛り込んでいるところです。綺麗さと怖さが共存しているのが、自分の中のファンタジー像と一致していました。

天野氏にとってのファンタジー=新たなデザインを生み出せるチャレンジ

  • つぎは天野先生の視点からも、当時の話をお聞かせいただけますか?

  • 天野

    当時の僕は30代前半くらいで、それまで従事していたアニメーションのキャラクターデザインの仕事に限界を感じていました。そしてイラストレーターとして独立して、それほど時間が経っていないころに『FFI』の依頼を受けたんです。

  • こう言ってはなんですが、当時のスクウェアの知名度はいまほどではなく、『FF』も誕生する前です。どういう経緯でお仕事を受けることになったのか興味があります。

  • 天野

    スクウェアの知名度というより、“ビデオゲームの仕事”自体がまだピンと来ていなかったですね。当時のゲームと言えば、記号のようなラケットで球を打ち返すテニスゲームだったり、インベーダーゲームあたりを想像することが多く、本格的な物語や音楽が付いていたものは、ほとんどありませんでした。個人的にゲームは好きで遊んでいたものの、イラストレーターの仕事に結びつくとも考えていなかったので、最初に話を聞いたときは驚きましたね。

  • そんな印象の中で、何か決め手になったことはあったのでしょうか?

  • 天野

    当時の僕にとって、ファンタジーはいちばん描きたいテーマだったんです。ビデオゲームのことは正直言ってよくわからないけれど、ファンタジーにつながる仕事ならなんでもやってみたかった。そのくらい、ファンタジーの仕事に対するモチベーションの高まりを感じていました。

  • 当時の天野先生は、どのようなスタンスでファンタジーのイラストを描かれていたのでしょうか。

  • 天野

    まず大前提として、ファンタジーは現実世界ではないので、“なんでもアリ”なんです。もちろん、西洋における剣や甲冑などを参考にして描くイラストレーターさんも多いですが、べつに現実に忠実でなくてもいい。資料を見る必要もないし、極端な話、デタラメだったとしても、それがイラストレーター自身の考えるファンタジーであればかまわないと思っています。

  • いまでこそファンタジー……とくにハイ・ファンタジーは“剣と魔法”のような共通したイメージがありますが、天野先生にとってそういった制約はなかったと。

  • 天野

    むしろ、その“制約がない”部分に惹かれていました。アニメーションの仕事をやっていたころは、時代考証に則ったキャラクターデザインが必要でした。たとえば『タイムボカン』(※)は、いろいろな時代をタイムスリップして冒険するという内容ですが、行く先々の時代考証をきちんと踏まえたうえで、キャラクターをデザインしなければなりません。ある意味、イラストを描くこと自体よりも、間違いのないように資料を確認する作業のほうがたいへんだったんです。当時の僕は、キャラデザインではある程度の評価を受けていましたが、くり返しの作業となりつつあることを感じていました。そうしているうちに、「もう資料を見るのはイヤだ、もっと自由にデザインをしたい!」と思うようになっていったのです。

    ※1975~1976年に放送された竜の子プロダクション(当時)制作のテレビアニメーション。メカ要素やギャグ要素が大人気となり、以降“『タイムボカン』シリーズ“として、基本設定を踏襲した数々の作品が生み出される。
  • 確かに『タイムボカン』の登場キャラクターは、大胆なアレンジはされていますが、それぞれの時代背景に沿ってデザインされていたと思います。

  • 天野

    その点、ファンタジーはどうかというと、そもそも現実には存在しないので、正解などありません。それでいて、たとえば妖精だったら、蝶がモチーフであるのは明らかです。蝶であれば、僕は『昆虫物語 みなしごハッチ』(※)のキャラクターデザインも担当していたので、羽の模様などは脳内にイメージとしてあると。つまり、ファンタジーの仕事では、これまで培った知識や経験をもとに、新しいデザインを生み出せるわけです。それ自体が僕にとっては大きなチャレンジで、とても楽しかった。たとえば小説だったら、描いたイラストによって読者がイメージを補完できるのもうれしかったですね。先ほど石井さんが挙げられた『エルリック・サーガ』のイラストは、とくにその手応えがありました。イラストレーターとして独立した直後は、SFの仕事なども受けてはいたのですが、一方で僕らしさをもっとも活かせるのはファンタジーだと気付いて、この方面へどんどんのめり込んでいったんです。

    ※1970~1971年に放送された竜の子プロダクション(当時)制作のテレビアニメーション。同社のメルヘンアニメの第1作にして代表作と言える作品。

ドット絵でも“天野イラスト”を感じられる理由

  • 『FFI』の話に戻りますが、石井さんは天野先生にどういったイラストを描いてほしいと伝えたのでしょうか。

  • 石井

    当時のファミコン向けのゲームのパッケージ絵は、『DQ』を筆頭に、子どもウケしやすいデザインのイラストが主流でした。そういった中で、自分が作る『FFI』は、ほかのゲームとはイメージを差別化したいと考えたんです。そこで、頭身が高いキャラクターを主人公にするなど、全体的に大人っぽい雰囲気で行きたいと伝えました。また、四大属性のことや大まかな世界観は説明したものの、シナリオの詳細などはお伝えせずに、イメージイラストを何点か描いてもらうところからスタートしました。

  • 天野

    あのときは制約がなかったので、ファンタジーのイラストを伸び伸びと描かせてもらえてうれしかったですね。

  •  そうそう、これは最初期に描いた1枚です。「主人公が後ろを向いてしまっているけれど、大丈夫なのかな?」とか、「そもそもこれは誰なんだろう?」とか悩みつつも、思うままに描きましたね。

  • 石井

    いやぁ、いま見てもすごくいい絵ですよね。これは坂口さんもいちばん好きな絵だったと思います。

  • 石井さんにとって、ご自身がゲームデザインを手がけられる作品のイメージイラストを、天野さんに描いてもらえるのは、相当うれしかったのでは?

  • 石井

    それはもちろんですが、それ以前に、画集などに載っていない天野さんの絵を、いち早く見られるのが役得だと思いました。しかも完成形ではなく、ラフ絵をですよ。自分は天野さんが描くラフ絵が大好きなんです。鉛筆で描かれた線の1本1本がムダには見えなくて、キャラクターの残像や幻想的な雰囲気、そしてエネルギッシュさを感じます。描き手の思考も伝わってくるし、「なぜこの部分は太い線になっているのかな?」などと想像するのも楽しかったですね。

  • 天野

    ラフの段階では絵として“完成”はしていないのですが、確かに独特のよさはあるかもしれないですね。

  • 石井

    ほかの人にとっては違うのかもしれませんが、自分は天野さんのラフから、感情やテーマなどを感じ取っていました。また、イラストの完成後は、ラフからどのように変わっていったのかを見比べるのも楽しかったですね。その後もいろいろなイラストレーターさんと仕事をさせてもらっていますが、ラフを見るのはいつでも楽しいです。ですから、自分にとって天野さんは、絵に対する新しい楽しみかたを気付かせてくれた方でもあるんです。

  • 設定資料集を見ると、モンスターのデザインもかなりの数を天野先生が手がけられていますね。

  • 石井

    パッケージイラストが顕著ですが、当時のゲームにとってのイラストは、あくまで「こういう風にゲームを見てください」というイメージをプレイヤーに植え付けるのがおもな役割だったんです。そんな中で『FFI』では、天野さんにモンスターも描いていただいたのがよかったですね。実際にプレイすると、天野さんがデザインしたモンスターをつぎつぎと目にするので、イラストとゲーム内のイメージがそれほど分離していなかったのではないでしょうか。

  • 確かに『FFI』に登場するモンスターは、ドット絵ながらも天野先生らしさが感じられます。これは、いったいなぜでしょうか?

  • 石井

    モンスターのシルエットが特徴的だからだと思います。ファミコンは解像度や色数などの制限が大きかったので、イラストで目や口などを細かく描いても全部は表現しきれません。では、ドット絵で何が大事かというと、シルエットやポーズなんです。そこがきちんと押さえられているデザインなら、たとえファミコンでも、もとのイラストに近い形に見えるわけです。

  • 天野

    それにはアニメーションの仕事の経験が役に立ったと思いますね。というのも、アニメーションでは“遠目で見てもシルエットがわかるようなキャラクターデザイン”が重要なんです。『FFI』のモンスターもそれを心がけていたので、結果的にドット絵にも向いていたんだと思います。

  • 石井

    ふつうはモンスターを何十種類もデザインすると、どうしても作家さんの好みやクセなどが出て、シルエットもかぶりがちです。でも、天野さんが『FFI』でデザインしたモンスターはどれもが個性的で、これはすごいことだと思います。ただ、天野さんが“正面を向いたモンスター“を描いてきたときは悩ましかったですね。『FFI』のバトルはサイドビュー形式だったので、たとえイラストやシルエットとしてはよくても、違和感がありましたから。とはいえ無理に横を向かせてもシルエットが崩れてしまうので、かまわずに採用したこともあります。

『FFI』のパッケージイラストで“ファイナルファンタジー=天野喜孝”のイメージが定着

  • 『FFI』のイラストといえば、なんといってもパッケージが忘れられません。当時のほかのファミコン向けゲームと見比べても、明らかに異質でした。

  • 天野

    このイラストは、『FFI』の制作の終わりくらいに描きました。小説などでは表紙イラストを最初に描くことが多かったので、「ようやく取りかかれるんだ!」とうれしかったのを覚えています。

  • 石井

    この光の戦士のデザインを見たときは、びっくりしました。甲冑が青で、マントが黄色で、アクセントに赤が入っていて。この配色バランスは、ふつうの感覚だとありえないと思うのですが、すごく綺麗にまとまっています。後ろの額に入ったお姫様も、中間色や淡い色の使い方が、いかにも天野さんらしくて素敵です。天野さんが赤を使うときに、朱色なのがとくに好きですね。背景が白というのも相まって、全体としてはすっきりとした、透明感のあるイラストになっていますよね。

  • このイラストを見て、『FF』には大人びたカッコよさを感じた人も多かったと思います。

  • 石井

    当時ファミコンを遊んでいた人の多くは、天野さんのことを知らなかったかもしれません。けれども、「あの絵はすごいよね」というインパクトを与えられたと思います。パッケージイラストはゲームとしての第一印象を植え付けるのが大きな役割なので、そういった面も含め、このイラストを見たときは「やっぱり天野さんにお願いして正解だった」と確信しました。

  • 天野先生にとって、『FFI』は初めてのビデオゲームの仕事でしたが、終えられたときどんなお気持ちでしたか?

  • 天野

    いまも強く印象に残っているのは、石井さんやスクウェア(当時)の皆さんに対して、勢いというか才能というか、“新しい時代を作るエネルギー”のようなものを感じました。そのエネルギーは、僕が『FFI』のイラストを描くうえでの強いあと押しになりましたし、あのとき感じた気持ちが裏切られることはなかったです。また、僕自身としては、ファンタジーの世界をイラストにすることに手応えがあったので、『FFI』を終えた直後は「もっといろいろなチャレンジを行いたい!」という気持ちがたぎっていました。ですので、その後に『FF』シリーズの続編が出ると石井さんから聞いたときは、また新たなチャレンジができるとワクワクしましたね。

新作を手がけるたびに新たなチャレンジを

  • 2作目の『FFII』になると、イラストの雰囲気が前作とは少し違っていますよね。より明るい色合いになったといいますか。

  • 石井

    『FFII』のプロジェクトが立ち上げる際に、坂口さんが「今度はポップな感じにしたいよね」と言っていたんです。ポップと言われてもよくわからなかったのですが、たぶん、もう少し一般の人が受け入れやすい絵にしたい、ということだったのかなと思います。『FFI』のパッケージの光の戦士のデザインがいい意味で裏切られたこともあり、ひとまず天野さんに相談をしてみました。

  • 天野

    石井さんから『FFII』のコンセプトを聞いたとき、蛍光色のオレンジや黄色などを取り入れたら、これまでのファンタジーとは違ったポップさを表現できるかも? と閃きました。きっと『FF』シリーズならハマると思いましたし、それを形にすることでイラストレーターとしてもおもしろいチャレンジになるだろうと刺激を受けましたね。

  • 石井

    天野さんもモダンアートのほうに興味が向かれていた時期だったと思うので、いま思えばその流れは必然だったような気がします。

  • 石井さんが『FFII』でとくにお気に入りのイラストはどれでしょうか。

  • 石井

    やっぱりパッケージイラストでしょう。ベース絵の提案は、渋谷さんがラフを書いていた気がします。天野さんの絵が届いたときは、しびれましたね。剣を横に構えた眼光鋭い青年を見たときは、「きたー!!」となりました。自分はクリエーターとして天野さんと接するよう心がけていたものの、こういったすばらしいイラストを見るたびに、ひとりのファンに戻っていましたね。

  • それでは、『FFIII』の話題に移りましょうか。

  • 石井

    最初に『FFIII』のプロジェクトが立ち上がったとき、自分は『魔界塔士サ・ガ』の開発チームに参加していました。すると坂口さんから、「『FFIII』で各ジョブのドット絵を描いてくれ」と頼まれまして。最初は断っていたのですが、どうしても断り切れなくなったので「全部のドット絵を自分にやらせてくれるんだったら」という条件で引き受けました。複数のデザイナーが混在すると、統一感がなくなってしまいますからね。

  • そういえば、天野先生が描かれたモンスターの設定画に関してですが、『FFI』から『FFII』まではモノクロで、『FFIII』ではカラーになっているんですね。

  • 石井

    カラーになったことで、印象がガラリと変わっていますよね。(イラスト資料をめくりながら)当時、この“魔道師ハイン”のイラストがすごく好きでした。天野さんはスケルトンを描くときの描写が独特なんです。これをモチーフにしたシルバーアクセサリーが欲しいなぁ……。あとは、こうやって順を追って振り返ると、天野さんの画風が短期間で大きく変化しているのがわかります。当時の『FF』シリーズが2年弱くらいの短いスパンで続編を制作していたにも関わらず、このようにイラストが変化しているということは、いかに天野さんが作品ごとに新たなチャレンジをしてくださったかの証だと思います。

  • 確かに、3作品でかなり変化していますね。

  • 石井

    あのころの天野さんは、『グイン・サーガ』(※)や『吸血鬼ハンター“D”』(※)の表紙イラストも手がけていました。それらの表紙イラストも時系列順に並べて、天野さんがイラストレーターとしてどのように進化していったのかを研究したくなりますね。

    ※豹頭の戦士・グインを主人公としたヒロイックファンタジー小説。作者である栗本薫氏が執筆した130巻の正伝のうち、20~56巻のイラストを天野氏が手がけている。
    ※“貴族”と呼ばれる吸血鬼たちを狩るハンター“D”の戦いを描く菊地秀行氏の小説。天野氏がすべての挿絵イラストを手がけている。

※特別対談 石井浩一×天野喜孝 <後編>へ

©1987 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved. IMAGE ILLUSTRATION: ©1987 YOSHITAKA AMANO ©1988 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved. IMAGE ILLUSTRATION: ©1988 YOSHITAKA AMANO ©1990 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved. IMAGE ILLUSTRATION: ©1990 YOSHITAKA AMANO
この記事をシェアする