『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)の20周年を記念して2022年5月8日にYouTubeで配信された特別番組『WE ARE VANA'DIEL』。番組内では“WE GREW VANA’DIEL”と題し、『FFXI』の開発に携わった方や、他社クリエイターも含めた関係者のさまざまな証言が映像等で公開された。しかし、それらは取材内容のほんの一部にすぎない。ここでは、関係者それぞれが語る“『FFXI』20年の軌跡”を、改めてインタビュー形式でお届けしていこう。
その第2回として話を聞くのは、2020年4月までファミ通グループ代表を務め、ゲームメディアの先頭で『FFXI』を追い続けてきた浜村弘一さん。浜村さんはゲームメディアの長として、そしてひとりの熱心なプレイヤーとして、『FFXI』をどのように見つめてきたのだろうか。パート2では、浜村さん個人の『FFXI』のプレイについて、さらに掘り下げて聞いてみた。
『ファイナルファンタジーXI 20 周年記念放送 WE ARE VANA'DIEL』
株式会社KADOKAWA デジタルエンタテインメント担当 シニアアドバイザー。ゲーム雑誌『ファミコン通信』(1995年以降は『週刊ファミ通』)に創刊から携わり、1992年から2002年まで編集長を務める。その後も、2020年までファミ通グループ代表としてメディア全体の指揮を取った。『FFXI』については『ヴァナ・ディール通信』などのムックを多数刊行しているほか、自身も息子とともにヴァナ・ディールを冒険する熱心な『FFXI』プレイヤーとして有名。
規則正しいゲームプレイで“オハン”を完成
今回はせっかくの機会ですので、浜村さんご自身の『FFXI』のゲームプレイについて、プライベートな部分も含め詳しく聞かせてください。
- 浜村
わかりました。僕はどのゲームを遊ぶときもマッチョ系のキャラクターを選ぶので、『FFXI』のメインキャラクターの種族もガルカでした。メインジョブはナイトで、そのほかには忍者、竜騎士、シーフあたりを育てていましたね。
どのようなスタイルでプレイされていたのでしょうか?
- 浜村
『FFXI』は何をやるにも時間がかかるゲームだったので、最初に「これはハマりすぎないように気を付けないとな」と決意しました。そこで、「レベル上げを行う時間は土曜日と日曜日の9時から12時のあいだだけ」と決めて、これを徹底したのです。
それを徹底して、自制できるのはすごいです!
- 浜村
確かに、まわりには自制できないスタッフがたくさんいました(笑)。ですから、僕はレベル上げの時間だけは厳守して、それ以外に時間ができたときも、釣りや合成といったレベル上げ以外のことを行っていました。そうやってコツコツと続けて、最終的にはオハン(※)を作るところまで行きましたよ。
※2010年に実装されたナイト専用の盾。制作にはエンピリアンウェポンと同等の労力を要する。 おお、なんと!
- 浜村
オハンを作るために必要な材料のひとつの“アジュダヤの角”を集めるパートがたいへんでしたね。あのときは土日にレベル上げを行った後、アビセアで15時から17時の2時間だけアジュダヤの角を集めると決めて、長期的に取り掛りました。そうやってようやく完成させたときの喜びは、いまも忘れられないです。
ナイトにとっては、イージスと並んで垂涎の一品でした。
- 浜村
オハンは物理防御に長けていて、盾の発動率が100%近いうえ、ダメージカット率も非常に高いですからね。守りの指輪などと併用すると、物理攻撃のダメージはほとんど受けなくなるんです。ですからオハンを完成させたときは、モンスターに殴られに行きましたよ(笑)。
それにしても、ファミ通グループを率いる激務と、長時間を要するMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGのゲームプレイを両立できたのはさすがですね。
- 浜村
それに関しては、先ほども言ったようにスケジュールを決めていたことと、あとは息子といっしょにプレイしていたのが大きかったですね。延々とゲームをやっているような親の姿を、息子に見せるわけにはいかないですから。もし、当時の僕に息子がいなかったら、オハンを作るどころか、もしかするとヴァナ・ディールから帰って来ることができなかったかもしれない(苦笑)。
息子といっしょにゲームを遊びつつ、その成長を見届ける
息子さんとのプレイの模様もお聞かせください。
- 浜村
『FFXI』が発売された当時の息子は小学5年生で、僕がゲームで遊んでいる様子を、隣で見ていることが多かったのです。そうして『FFXI』をプレイしている僕を見ているうちに、息子も興味を持って『FFXI』を始めました。僕にもいろいろと目論見があって、息子にはタルタルの白魔道士を選ばせたのですが、すぐに辞めるだろうと僕は予想していたんです。
白魔道士ですと、ソロプレイで育成するのはたいへんそうですね。
- 浜村
ええ。ですから息子がプレイするときは、ほぼ僕といっしょです。そして僕は息子のレベルに合わせるために、いままで育てていなかった竜騎士にジョブチェンジをして、ペアを組んで冒険をしていました。
『FFXI』をプレイしたお子さんの反応はどうでしたか?
- 浜村
それが意外なことに、しばらく経っても辞めなかったのですよ。それどころか「これからも『FFXI』をずっと続けたい」と言うので、僕が参加しているリンクシェルに息子を招待しました。そしてこのとき、僕が『ファミ通』の人間であることをリンクシェルのメンバーに明かしたのです。
メンバーにとっては、「あのガルカが浜村さんだった!」というのは衝撃だったでしょうね。
- 浜村
アットホームな雰囲気のリンクシェルだったこともあり、みな快く受け入れてくれました。また、ほかのメンバーも、最近ログインしなくなったなと思ったら結婚相手と戻ってきたり、僕のように子どもがいたりと、しだいにリンクシェル全体が雑多な家族みたいな雰囲気になり、いっそう絆が深まっていきましたね。
『FFXI』における息子さんとのエピソードについて、いくつか紹介していただけますか?
- 浜村
うーん、たくさんありすぎて、何を話せばいいかな……。クフィムでいっしょにレベル上げを行っていたとき、息子の白魔道士がレベル25でレイズを覚えて、どうしても使いたがったことがありました。「最初のレイズはお父さんにかけるから!」と言われてうれしかったものの、よくよく考えるとそのためには戦闘不能にならないといけない。それで僕は返答を渋っていたのですが、するとだんだん、息子から飛んでくるケアルがあからさまに遅くなっていったんです(笑)。
いやな予感がしますね(笑)。
- 浜村
案の定、僕はスケルトン族にやられてしまい、さっそく息子がうきうきしながらレイズを唱え始めました。すると今度は、息子がスケルトン族にからまれてしまって……。結果、レベルダウンしてレイズがお預けになったのは、いま思い出しても笑えますね(笑)。
それは忘れられないですね(笑)。ほかにも印象深いエピソードはありますか?
- 浜村
忘れられないのは、僕がChinaJoy(※)を取材にするために上海まで出張したときのことです。いつもいっしょにレベル上げをするはずの土日が出張でつぶれてしまい、「残念だけど、しかたないね」とふたりでしょんぼりしていました。取材や会食を終えて真夜中に少し時間ができたので、「少し釣りでもしようかな」と思ってログインしたのです。そしてウィンダスのモグハウスから出たら、なんと目の前に息子のキャラクターのタルタルが立っていたんですよ。
※チャイナジョイ。中国国際デジタルインタラクティブエンターテインメント展示会。中国最大級のゲームショウ。 おお!
- 浜村
なにしろ夜中だったので、最初は「ログインしたまま放置しているのかな?」と思いました。そしたら息子のキャラクターが動いて、“/wave”で手を振ってくれたんです。そこで「どうしたの?」と聞いたら、「お父さんを待っていたの」って。それに対し、「こんな時間だから寝なきゃダメだよ」と言ったら、「お父さんを見て挨拶したから寝るよ。じゃあね、おやすみ」と……。それを見た僕はホテルで号泣しました。
それは泣けますね……。それらのエピソードも含め、息子さんの存在は、浜村さんご自身のプレイにどのような影響を与えていたのでしょうか?
- 浜村
先ほどもお話ししたように、僕は息子に対して、模範的なプレイヤーとしての姿を示さなければなりませんでした。ですから、息子を深夜まで遊ばせたことは1回しかありません。ちなみにその1回は、オズトロヤ城の“レイズIIツアー”に参加したときで、まったくドロップしなくて深夜1時までかかってしまったんです。あのときは、小学校6年生の息子を深夜まで遊ばせてしまったことを反省しました……。
それにしても、浜村さんと息子さんの関係は、ゲームを通じての親と子の関係性としては、理想に近い形だと思います。
- 浜村
息子とはいつも隣でいっしょに『FFXI』をプレイしながら、いろいろな話をしていました。「学校ではどうなの?」、「勉強はちゃんとできているの?」、「何か心配事とかあるの?」って。また、『FFXI』にログインしていないあいだも、お風呂にいっしょに入ったりしながら、「今度、あのアイテムを取りに行きたいよね」、「あのクエスト手伝ってよ」などと話すこともしょっちゅうでした。ずっとそのように過ごしていた結果、息子の成長をつぶさに感じられましたし、信頼関係をしっかり築けたと思いますね。
『FFXI』が登場したとき、長時間を要するMMORPGであることから、ネガティブな反応も数多くありました。でも浜村さん父子は、MMORPGのポジティブな部分を日々のプレイで感じられていたのですね。
- 浜村
確かに、ヴァナ・ディールから戻って来られなくなるようなプレイのしかたもありましたし、実際にそういった人もいました。でも僕はMMORPGを通じて、人との信頼関係や友情、そして固い絆を経験できたし、それは息子にとっても同じです。いま振り返ると、そういった経験ができたのは、『FFXI』が“お互いに助け合わなければ目的を達成できないゲームバランスだった”からでしょうね。ですから、あの時代に『FFXI』が登場したことと、そのタイミングで息子といっしょにプレイできたのは、本当にラッキーだったのだと思います。
浜村さんのお子さんとのエピソードは、書籍化もされたコラム(※)でもたっぷり語られていますね。
※『ゲームばっかりしてなさい。-12歳の息子を育ててくれたゲームたち-』- 浜村
よく親御さんから「子どもがゲームのせいで勉強をしなくなったのですが、どうしたらいいですか?」といった相談を受けることがあるのですが、僕としては「いっしょにやればいいのに」と思います。いっしょにゲームを楽しんで、彼らが何をおもしろがっているのかを見て共感してあげれば、子どもが何を考えたり悩んだりしているのかが全部わかる。そうやってうまく使えば、ゲームはすごくよい“ツール”なんです。
あの本はお世辞抜きに、子どもがいるゲーム好きの方にはぜひ読んでもらいたいと思います。
- 浜村
ありがとうございます。息子はいま28歳になりましたが、「大事なことは全部ゲームから学んだ」と言っています。僕としても、激務の合間を縫って“子育てに関するほとばしる想い“を書き連ねたので、ゲーム好きの親御さんはぜひ読んでほしいですね。
あの本では、さまざまなゲームにおける息子さんとのエピソードが紹介されていますが、中でも『FFXI』にもっとも多くのページが割かれていたのが印象的でした。
- 浜村
じつは、あれでも『FFXI』のネタはかなり削っているのです。当時の担当編集だった永田さん(※)に、「読者の中には『FFXI』を知らない人もいるので、書くのは月に1回だけにしてください」と言われて、泣く泣くカットしました。お蔵入りになったエピソードもたくさんありますし、もしかすると『FFXI』関連だけで1冊ぶん書けていたかもしれないですね。
※元『ファミ通』編集スタッフの永田泰大氏。自身が執筆する『ファイナルファンタジーXI プレイ日記 ヴァナ・ディール滞在記』も『FFXI』プレイヤーのあいだで人気が高い。 ちなみに、あのコラムを執筆されたころから20年近くが経っていますが、息子さんとはいまもいっしょにゲームを遊ばれているのですか?
- 浜村
ええ。いまはいっしょに『FFXIV』なども遊んでいます(笑)。
※パート3は9月21日公開予定