松井プロデューサーが『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。その第1回の対談相手は『FFXI』初代プロデューサーの田中弘道さん。今回のパート2では『FFXI』の開発時~発売時のエピソードをうかがう。
元スクウェア・エニックス(旧スクウェア)のゲームプロデューサーであり、『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親のひとり。開発立ち上げから2012年まで『FFXI』のプロデューサーを務める。現在(2021年)はガンホー・オンライン・エンターテイメントの執行役員開発担当本部長として、ゲームの開発に携わっている。
β版に近い形は1年くらいで完成していた
『FFXI』はバトルにしてもチャットにしても、根幹のシステムがとてもよくできていて、制作に入る前にしっかりと基礎研究をされたのだと思いますが、そのあたりはいかがですか?
- 田中
そもそも基礎研究と言えるものはあまりやっていないですね。だいたい1年半でほぼ完成しているので。
- 松井
初期リリース版、いわゆる“1.0”と呼ばれている部分の制作期間が1年半というのは、いま考えるとすごいですよね。
- 田中
β版に近い形は1年くらいでできていたような気がします。最初に作ったエリアはロンフォールだったかな? あのときは、作るものにあまり迷いがありませんでした。
その1年くらいのあいだに、方向性が大きく変わったりはしなかったのですか?
- 田中
僕がふだんゲームを作るとき、まずはUI(ユーザーインターフェース)まわりを固めます。コントローラでどう操作するかという部分や、画面のレイアウトですね。それができればゲーム性はほぼ決まるので、以降は大きくはブレません。
なるほど。UIがゲーム性を決定づけると。
- 田中
もちろん『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』(以下、『UO』)や『EverQuest(エバークエスト)』(以下、『EQ』)というお手本があったのは大きいです。ファミコンやスーパーファミコンのときは、上から見下ろす形のバードビューのゲームを作っていたのですが、プレイステーション以降はポリゴンによる3D表現がメインとなり、“空が見上げられるゲーム画面”というのに衝撃を受けました。3D空間を自由に旅して冒険するファンタジーゲームを作りたいというのは、MMO(多人数同時参加型オンライン)RPGを作るうえでの強い動機になりましたね。
先ほどの「作るものに迷いがなかった」という言葉はなかなか印象的ですね。
- 田中
そういえば開発中、バトルについては1回だけリテイクを出していますね。製品版だとオートアタックをしながら敵の背後に回り込むといったことができますが、最初はモーションを全身一体型で作っていたので、攻撃のアクションを取るときに足を止めざるをえない形でした。
全身を使ったカッコいい攻撃モーションだけど、武器を振るたびに移動が止まってしまうと。
- 田中
そこをモーションから全部作り直してもらい、モーションブレンドで上半身と下半身で別の動きができるようにして、歩きながら殴るとか、逃げながらダメージを食らうという表現が可能になりました。本当にイチから作り直しだったので、プログラマーやモーション班を泣かせてしまったとは思いますが……。
- 松井
でもプログラマー的にも、作ってみてかっこ悪かったり操作性が悪かったりしたら、「時間をくれるなら直したい」と言うでしょう(笑)。
- 田中
とくに、自分の思うようにいかない操作性や、プレイヤーがアクションを乗っ取られるように感じるシステムは手触り感を悪くすることがあるんです。
- 松井
“魅せるバトル”にするために、演出中はプレイヤーの操作を無効にするという方法論もありますし、悩ましいところではありますね。
バトルと言えば、『FFXI』では戦いながら着替える(装備を変える)のがゲーム性のひとつとなりましたが、当初から想定していたのでしょうか?
- 松井
そこはまったく想定外でしたね。すべては、マクロというものを作ってしまったからなのですが(苦笑)。
処理的にはかなりたいへんではないのですか?
- 田中
グラフィックの切り替えという意味では、意外とそうでもないんですよ。プレイステーション2(以下、PS2)のメモリ上で処理しているのではなく、HDDから着替えに必要なグラフィックリソースを読み込んで、いらないものはどんどん捨てていっているだけです。HDDが巨大なメモリとしてあるような状態なので、あとは展開する場所さえあればいいという感じで。
逆に、着替えを禁止する理由もなかったと。
- 田中
装備ウィンドウを開いてひとつひとつ着替えるぶんには何も問題ないだろうと。ただ、マクロで一気に何部位も着替えて、バトル中にパラメーターを変動させるという運用は想定していませんでした。
- 松井
『FFXI』はバトルの明確な区切りがないですよね。たとえば、パーティプレイをしていて自分がモンスターを倒したとしても、ほかのメンバーがまだ別のモンスターと戦っていることがあります。そういった状態は戦闘中か否か判断が難しいこともあり、“戦闘中は着替えられない”というルールも作りにくかったのです。
ウェポンスキルをくり出す直前に着替えても、きちんと装備のパラメーターが反映されているのはすごいなと思っていました。
- 松井
描画などの負荷と比べればぜんぜん軽いです。ただ、レベルシンクが実装されて以降はバトルのデータ量が増えた関係もあり、けっこう処理が重くなってしまいましたね。
グローバルなMMORPGを目指して
MMORPGとしてのゲーム性だけでなく、プレイヤーからのフィードバックへの対応や、バージョンアップ・拡張ディスクの計画、グローバルな運営など、スクウェア・エニックスとしても初めて尽くしのプロジェクトだったと思うのですが、そういった体制はどのように整えていったのですか?
- 田中
当時、スクウェアのグループ会社だったエレクトロニック・アーツ・スクウェアで、元『UO』の運営もやっていたSage Sundi(セージ・サンディ氏。『FFXI』初代グローバルオンラインプロデューサー)などがいるチームがまるまる移籍してくれました。その際に『UO』の運営ポリシーを『FF』風にアレンジしたものを持ってきてくれたんです。GMチームも元『UO』の運営チームのため、百戦錬磨の人材が揃っていて、非常に助かりました。
グローバルな展開も『UO』の流れを参考にしたのですか?
- 田中
そちらは開発を開始する時点から決めていました。日米欧で、たまたま時差が8時間ずつくらいあるので、現地サーバーを用意する形でなくても、1個のグローバルサーバーでまかなえるだろうという構想が最初からありましたね。そういえば、北米の運営ではソニー・オンラインエンタテインメントの『EQ』の運営チームが『FFXI』のGM業務をやってくれていたのもおもしろいですね。
- 松井
言語についても日本語、英語だけでなく、確かドイツ語、フランス語での展開を最初から予定していたと思います。
- 田中
MMORPGを作るのだから日本だけではなく、グローバルでやりたいと最初から考えていました。そのためにはプラットフォームについても、PS2だけでなく、PCやXboxでもリリースしないといけないなと。そういえば、当時はクロスプラットフォームという言葉はなくて、“ユビキタス”という言葉を使っていましたね。
- 松井
『FFXI』のアイテムのデータは、最初から英語名などを付けられるようにしてありました。ただ、あとから実際にドイツ語やフランス語を入れるとき、言葉が違いすぎることに苦労した記憶があります。
- 田中
ドイツ語の単語自体が、造語みたいに複数の単語をひとつにしたりしているようなものが多いので、やたら文字数が多いんですよね。そういえば、言葉の面で思い出しましたが、元『UO』チームが更新データを“パッチ”と呼んでいた一方、僕らはあえてパッチとは呼ばなかったんです。たとえばいま、iOSやAndroidOSなんかも更新の際は“パッチ”ではなく“バージョンアップ”や“アップデート”と言いますよね。もともとパッチという言葉は、昔のオンラインゲームではバグを取り除くための小さな“継ぎあて”的な修正プログラムという意味合いが強く、『FFXI』としてはバグ修正よりもゲーム体験を拡張していくということに主眼をおいていたので、“バージョンアップ”という言いかたにこだわりました。
そのへんは田中さんご自身のポリシー的なところが強いのですか?
- 田中
そうですね。
- 松井
開発チームは、ついポロっと“パッチ”と言ってしまうのですが(笑)。
『FFXI』の中に息づく“田中さんらしさ”とは?
そして2002年5月16日、ついに『FFXI』が発売となります。完成したとき、客観的に見ていいゲームだと思いましたか?
- 田中
それはもちろん。石井くん(石井浩一氏。『FFXI』初代ディレクター)もそうなのですが、僕らは『FFIII』を最後に『FF』から離れてしまったので、『FFIV』以降の『FF』シリーズをあまり知らなくて。せっかく新しい『FF』を作るのなら、「最初の『FF』で僕たちが何を作りたかったのか」を考え直そうといろいろ話し合いました。
そこに“田中さんらしさ”や“田中さんがプロデューサーだからこそこうなった”といった部分はどのくらいありますか?
- 田中
世界観やグラフィックについてはあまり口を出していません。僕はUIまわりこそがゲームシステムだと思っているので、プレイヤーがどう操作してどういう遊びかたができるのかというところだけは、人に任せず自分でやりました。
- 松井
僕の視点から見た場合、やっぱり『FF』シリーズは『FF』~『FFIII』があったからこそ続いていると思うんです。僕らは『FF』~『FFIII』を『FF』だと思って会社に入った世代ということもあり、我々が作る『FF』の手触りは、ジョブにしろ世界観にしろ、そこに戻るんです。そういう意味でも『FFXI』は田中さんのゲームなんですよね。
- 田中
ただ、僕は世界設定やストーリーよりもゲーム性にこだわってしまうので、 “僕らしい作風”というのはあまりないんじゃないかな。ストーリーを担当したのは『聖剣伝説』の『2』と『3』、『サ・ガ2 秘宝伝説』くらいで、話を書くのはあまり好きではないのかも(笑)。
とはいえ、松井さんとしては、そこに“田中イズム”のようなものを感じたということですよね。
- 松井
開発現場がきっちり作ることができた、という部分も“田中さんらしさ”だと思います。田中さんがチームにいると、作品ができ上がるという安心感があるんですよ。プロジェクトによっては、なかなか形にならない状況を打破するために新しい人がどんどん投入されて、余計ドツボにハマっていくものもあるのですが、田中さんのチームはそうならない。一社員として、ほかのチームにいたときもそういう感じで見ていました。
その安心感の理由はなんでしょうか?
- 松井
最初の企画時に、田中さんが“作れるように設計する”というのがいちばんの理由です。企画会議とかはみんな夢見がちで、アイデアを言うだけ言って放り投げたりするんです。それをあとで誰かが整理しないといけないけれど、まとめ上げる人の力があまりないと、みんなの無理難題を聞くことになって破綻してしまう。田中さんはそんなことが起こらないように見てくれていました。
ちなみに初代ディレクターだった石井さんの“らしさ”とは、どのような部分だったのでしょうか?
- 田中
石井くんは、無限にアイデアが出てくるのはすごいけど、延々と出し続けるんですよ。つぎの日がマスターアップなのに「こんなアイデアはどう?」と、制作に3カ月くらいかかりそうなものを持ってきたり……。聞き流すスキルがないとたいへんですね(笑)。
『FFXI』より前からそうなのですか?
- 田中
昔からそうです(笑)。でも、いまのヴァナ・ディールのような世界観は、彼がいなければ存在しなかったものです。そういう意味では、作家性は彼のほうがあるでしょうね。