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プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-
第1回 田中弘道 パート3

松井プロデューサーが『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。その第1回である『FFXI』初代プロデューサー・田中弘道さんとの対談のパート3では、田中さんのプロデューサー勇退や、いまだからこそ話せる『FFXI』の裏話を語っていただいた。

田中弘道

元スクウェア・エニックス(旧スクウェア)のゲームプロデューサーであり、『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親のひとり。開発立ち上げから2012年まで『FFXI』のプロデューサーを務める。現在(2021年)はガンホー・オンライン・エンターテイメントの執行役員開発担当本部長として、ゲームの開発に携わっている。

5年目より先は未知の領域だった

  • 20周年も間近になった『FFXI』ですが、そのあいだのゲームの技術革新の速度はとても早く、ゲームがどんどん古くなっていくことに対して悩んだ部分も多かったと思います。当初はどのくらいのタイミングまで運営していこうと想定していたのでしょうか?

  • 田中

    プレイステーション2(以下、PS2)をプラットフォームにした以上、PS2の寿命と運命をともにするものと思っていました。ところが、『FFXI』にはWindows版があって、PS2のライフサイクルを超えてしまった。

  • 松井

    そこはうれしい誤算ですよね。

  • 田中

    当時の家庭用ゲーム機はだいたい5年くらいで世代交代していて、後継のプレイステーション3(以下、PS3)ではグラフィックの表現力が飛躍的に向上していたので、「単純移植では無理だろう」と思いました。もちろんPS3に移植してほしいというリクエストも多かったのですが、それまでに開発したリソース量が膨大になっており、とくにグラフィックデータはほぼ作り直しになるため、同じ労力とお金をかけてすでに遊び尽くされた世界を作り直すよりも、いっそ新作を作って新たな世界で冒険を楽しんでもらったほうがいいだろうと考えたんです。でも、『FFXI』プレイヤーの皆さんにとってはアバター(分身の意。自身のキャラクターのこと)に思い入れがあるでしょうし、容姿が近いアバターを使えるようにする方向で『ファイナルファンタジーXIV』(以下、『FFXIV』)の開発がスタートしました。

  • 松井

    そのときは田中さんから「『FFXI』と『FFXIV』、やりたいほうをやっていいよ」とお話がありましたね。そこで僕は『FFXI』でやり残したことが多すぎるので、『FFXI』チームに残りますと伝えました(※)。

    ※2010年9月に『FFXI』ディレクターに就任するが、2010年12月に旧『FFXIV』のリードバトルプランナーへ異動。2012年に『FFXI』プロデューサーに就任。
  • 田中

    その時期は『FFXI』と『FFXIV』の同時開発みたいな感じでしたね。『FFXIV』チームが立ち上げで死力を尽くしていた一方、『FFXI』チームも『アドゥリンの魔境』を作るうえで手が足りていなかったので、外部の開発会社に手伝ってもらう形になりました。

  • 松井

    『FFXI』と『FFXIV』もそうですけど、ほかのタイトルとも人の取り合いになっていましたね。ですので、当時は『FFXIV』のデザイナーの状況を見ながら、絶妙なスキを突いて新しい装備を作ってもらったりしていました(笑)。

  • 『アドゥリンの魔境』と言えば、PS2の生産終了が発表された後のタイトルになりますよね。

  • 田中

    『FFXI』はバージョンアップができるので、出して終わりというゲームにはしないつもりではありましたが、ハードの世代を超えて続いていくとは思っていませんでした。それでも、僕が現場を見ていたのは10年目くらいまでで、ハードウェアも世代交代していく中でそこから先は未知の領域ですよね。あとはもう開発者の執念で成り立っているというか……。

  • 松井

    いまはMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGの最新タイトルとして『FFXIV』があるので、同じところを狙ってもしょうがないと、逆に開き直っています。『FFXI』は、いまくらいのゆったりとしたMMORPGがいいという人たちに向けて、いちばん刺さることを提供できるようにがんばっています。

  • 田中

    スマホの登場以降、プレイヤーのライフスタイルもだいぶ変わりました。昔はテレビの前に腰を据えて、何時間でもプレイするようなスタイルだったと思います。しかし、ソーシャルゲームがヒットし始めたあたりから、電車での移動時間などにいつでもプレイ、中断できる、軽いタイプのものが主流になってきました。そういった中で、MMORPGのようなヘビーなものは生き残りにくい気がしていますが、『FFXI』はよく続いているなと思います。

  • 松井

    『FFXI』も、昔のように“家に帰ったらすぐにゲームを立ち上げて、力尽きるまで遊ぶ”といったスタイルはあまり想定していなくて、週末やお休みの日とかにちょこっと遊んでも楽しめるように、と変わった部分がありますね。

  • 田中

    パーティ編成だけで何時間もかかるような、のんびりした時代もあったね(苦笑)。

  • 松井

    逆に、そのときにハマった人たちには「『FFXI』じゃないと何か違う」という感情を持っている方も多く、いまの『FFXI』はそういう人たちに支えてもらっていると思います。

プロデューサーとしての役割を託したときの想い

  • 田中さんが『FFXI』のプロデューサーを勇退されたのは、『FFXI』の10周年となる2012年でした。もう9年も前になりますが、当時、どのような気持ちで松井さんにバトンを渡されたのですか?

  • 田中

    ちょうど東日本大震災のころ、持病で最初の長期入院をしていまして。その後も健康面を考え、このままオンラインゲームの運営責任者を続けるのは無理だろうなと思ったので、『FFXI』チームから外れようと決心しました。その当時、任せられる腹心となると松井くんしかいないと。

  • 託された松井さんはいかがでしたか?

  • 松井

    当時は、旧『FFXIV』の調整がひと区切りついて、燃え尽きていた感がありました。『FFXIV』がやろうとしている方向も『FFXI』とはちょっと違いますし、『FFXIV』チームには若いメンバーがたくさん入ってきて任せられる感じだったので、もう大丈夫だろうと。ただ、最初は「自分ではプロデューサーはできないだろうな」と思っていたんです。でもサポートしてくれるメンバーはいっぱいいるし、『FFXI』のコミュニティを守るということを全力でやろうと考え、引き受けさせていただきました。

  • 田中

    松井くんはスクウェア時代からの古株ですが、これまでは河津くん(河津秋敏氏。『サガ』シリーズ総合ディレクター)や石井くん(石井浩一氏。『FFXI』初代ディレクター)の下で現場作業を続けていたので、将来的に独り立ちしてほしいという思いもあったので、託しました。

  • 松井

    いまも独り立ちできていないですけどね(笑)。『FFXI』チームはスタッフがやることをわかっていますから、まったく新しいチームを立ち上げてそこのプロデューサーになるのとはぜんぜん違う安心感はありました。

  • ちょっと話題を変えまして、19年経ったいまだから言える事件などはありますか?

  • 田中

    大きな事件としては、DDoSアタック(※)への対処がたいへんでしたね。かなり大規模なアタックもあって、極端にプレイが重くなったり何度かサーバーダウンして緊急メンテナンスもしました。ただ、個人情報の流出などは一切なかったので、堅固な作りにしておいてよかったと思います。

    ※DDoSアタック Distributed Denial of Service attackの略で、分散型サービス拒否攻撃と訳される。DDoSはディードスと読む。Webサイトやサービスを提供しているサーバーに対して、過剰なアクセスを行ってサービスを妨害することをDoS攻撃と呼び、この攻撃を複数の端末から大量に行うことをDDoS攻撃と呼ぶ。
  • 攻撃者から脅迫や金銭の要求などはあったのでしょうか?

  • 田中

    それはなかったですね。おそらく、攻撃者はプレイヤーの個人情報を盗み取ろうとしていたのだと思います。偽装されたIPからのパケットが世界中から飛んでくるので、慢性的にアクセス過多の状況となり、サーバー側の処理遅延が頻発していました。プレイヤーの皆さんからは、サーバー費用をケチっているからだと言われたりしましたが……(苦笑)。 もうひとつ大きな事件は、先ほどの東日本大震災の際に、計画停電や社会情勢的に数週間サーバーを止めなければならなかったことです。しばらくのあいだ、ヴァナ・ディールの世界が消えてしまったことは忘れられません。

※第1回 田中弘道 パート4へ

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