松井プロデューサーが、『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行う“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第7回の対談相手は、スクウェア・エニックスを代表するクリエイターのひとりであり、『FFXI』でも初期のさまざまなキャラクターデザインを手がけている野村哲也さん。今回のパート1では、野村さんがスクウェア入社後にどのようにして頭角を現していったのか、振り返っていただいた。
スクウェア・エニックス、そして『FF』シリーズの主要クリエイターのひとり。野村氏が生み出したクラウド、ティファ、エアリス、スコール、ユウナ、ライトニングらのキャラクターは、『FF』というIPをこれまで以上に世に知らしめる立役者となった。また、『キングダム ハーツ』シリーズではディレクターを担当しており、こちらも同社を代表するシリーズとして今年(2022年)に20周年を迎える。
少しやんちゃな後輩
この対談はおもに『FFXI』について語っていただくという企画ではありますが、まずは野村さんがスクウェア(当時)に入社されたころの話からお聞かせください。
- 野村
自分は1991年に新卒で正社員として入社して、初仕事は『FFIV』のデバッグ作業でした。いざ初出勤という日、スクウェアの人たちがどういう格好で仕事をしているのかもよくわからなかったので、新入社員らしくスーツで行ったんですよ。そうしたら、ラフな服装のアルバイトの子たちに混ざってデバッグ作業をすることになって(笑)。自分だけ、とても浮いていました。
松井さんは、野村さんよりも先に入社されていたんですよね。
- 松井
ええ。それまで僕には純粋な意味での後輩がいなくて、僕よりも入社が後だとしてもベテランばかりだったんです。ですから、テツ(野村氏の愛称)が入社したときは、「やっと後輩ができた!」とうれしかったですね。
松井さんから見た野村さんはどういった印象でしたか?
- 松井
僕から見ると、先輩に対してもあまり物怖じしないような、少しやんちゃなところがあったかな(笑)。まぁそれは置いておくとして、テツが描く絵は、僕のファンタジーに対する考えかたを大きく変えました。以前の僕はファンタジーに対して、どちらかというと保守的だったんです。でもテツは「カッコよければなんでもいいよね」といったノリで、斬新なデザインを積極的に取り入れていました。たとえば、『FFV』のギルガメッシュや『FFVI』のセッツァー、シャドウなどは、いわゆるハイ・ファンタジー(※)に属するイメージではないけれど、素直にカッコいいですよね。それを見て「こういったファンタジーもアリなんだ!」と、認識を改めさせられました。
※架空の異世界を舞台に描かれるファンタジー。対して、現代世界を主な舞台とするものはロー・ファンタジーと呼称される。 野村さんは『FFIV』のデバッグ作業という初仕事のあと、『FFV』でモンスターデザインを担当し、クリエイターとしていきなり頭角を現されています。当時は松井さんが語られたような“他者との違い”は意識されていたのでしょうか?
- 野村
自分は入社当時からデザインのこと以外にも積極的にアイデアを出すタイプだったんです。『FFV』の開発中も、バトル担当の伊藤さん(伊藤裕之氏。多くの『FF』シリーズでバトルデザイン、ゲームデザインを担当)に、「こんなモンスターを登場させたいです!」とアピールすることが多かったですね。そうしたアイデアが採用されることで、結果的に自分らしさが投影されたキャラクターを作りやすい状況になりました。それと、当時のグラフィック担当の先輩たちは、キャラクターを作る際にいきなりドットを打つことが多かったのですが、自分は違っていました。“キャラクターはデザインありき”という考えかたで、最初にデザイン画を描くことを徹底していたんです。デザイン画をドットに落とし込む際は苦労しましたが、その甲斐もあって、個性的なキャラクターを作ることができたと思います。
- 松井
基本的にデザイナーはプランナーに頼まれたものをデザインするのが仕事なので、当時のスクウェアの中でもテツは珍しいタイプでした。誰しもリテイクを食らうのは嫌でしょうけど、テツのように自分自身が描きたいものをもっとアピールしてもいいのに……と思うこともあります。
- 野村
最近のデザイナーは、細かく指示がほしい人が増えましたね。より作業が細分化したせいもあると思いますが、自分は絵を描くと言うよりゲームを作りたかったんだと思います。最近はチーム運営もしっかりしていて、デザインに専念した絵のうまいデザイナーも多いです。当時はいまのようなフォローもなく、何も教わらずにいきなり野良で戦場に放り込まれましたから(笑)。戦いかたも自分で考えるしかなく(苦笑)。
野村さんの積極的なスタンスがあったからこそ、その後も『FFVII』のクラウドをはじめとした個性的なキャラクターがつぎつぎと生み出されていったわけですしね。
- 野村
いまの半分以下の年齢だったし、まだ絵を描いているだけで専門的な知識は何もなくて、怖いもの知らずだった面もあると思います。それで、『FFV』のモンスターを描いていたとき、グラフィックチームの先輩から「これだと規定のサイズをはみ出しているから、もっと小さくして」と指示されたことがあったんです。それに対して、自分は不服そうに「わかりましたけど、大きいほうがカッコいいですよ」と返したら激怒されて(苦笑)。
- 松井
それはね、先輩が正解で、怒られて当たり前(笑)。スーパーファミコンのころは容量がキツくて、みんながデータのやりくりに苦労していたんだから。
- 野村
それだけの問題ではないですが、何も知らないって怖いですね(笑)。