松井プロデューサーが、『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第13回の対談相手は、『FFXI』の“入り口”とも言えるネットワークサービス“プレイオンライン”(以下、POL)において、初代ディレクターを務めた青山公士さん。現在は『FFXI』と同じMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGである『ドラゴンクエストX オンライン』(以下、『DQXオンライン』)のプロデューサーを務める青山さんだが、この節目にPOLの開発に関わったころの思い出について詳しく聞いていく。このパート3では、いよいよPOL開発時の話題へと移っていく。
『DQXオンライン』プロデューサー。ハドソンを経て1999年にスクウェア(当時)に入社し、POLディレクターに就任。その後『DQXオンライン』のテクニカルディレクターとして開発に参加する。2018年からは齊藤陽介氏の後を継いで2代目プロデューサーに就任。
当時のスクウェアの最先端を担う人材がPOLに集まった
さて、いよいよPOLの開発についてうかがっていこうと思いますが、青山さんはオンラインゲームには興味はあったのでしょうか?
- 青山
じつは、あまりプレイしたことがなかったんです。POLや『FFXI』に関わるにあたって、初めて『EverQuest(エバークエスト)』(※)をプレイし始めました。ソロでのプレイが多かったのですが、いきなり英語で話しかけられて、わけもわからないうちになぜかお金をもらえたり(笑)、「オンラインゲームはすごい世界なんだなあ」と思いましたね。
※『EverQuest(エバークエスト)』は、1999年に米国でサービスを開始した海外産のMMORPG。 『FF』シリーズがMMORPGになると聞いたときは、どのように感じましたか?
- 青山
率直にワクワクしましたね。『FF』がMMORPGになるのは“使命”だと思っていました。『FFVII』では最先端の技術でCD-ROMの大容量を活かした会社ですから、当然オンラインゲームの世界、MMORPGの世界でも最先端を行くのだろうと。
- 松井
自分にとって『FFXI』の開発がスタートしたのは、「そろそろ何か新しいことがないと、ゲームを作り続けるのがつらいな」と思い始めていた時期でした。やはり、プロジェクトの人数が増えていくと、立場上“スタッフを管理する”という仕事も増えてしまって、ゲーム制作とは直接関係のない作業も多くなっていきます。そんな中、『FFXI』はシステムもゲーム性も非常にやり甲斐のあるものでした。『FFXI』をMMORPGとして作らなかったとしたら、自分はもしかしたらゲーム制作を続けてはいなかったかもしれません。結果、まさか『FFXI』を20年以上も続けるとは思っていませんでしたが(笑)。
- 青山
自分も、「POLをリリースしたらもう解放される」と思っていましたね。それ以前のゲームだと、徹夜してでもマスターアップに間に合わせて、それが終わったら「よし遊びに行くぞー!」という感じでしたが、リリースした後がスタート地点だったということを、POLと『FFXI』で初めて知りました。この経験が活きて、『DQXオンライン』では「リリースしてからが本当の勝負だぞ」とあらかじめスタッフみんなに言っておくことができたのです。
POLのプロジェクトが公表されたのは2000年1月開催の“スクウェア・ミレニアム”でしたが、実際に始動したのはいつごろになりますか?
- 青山
自分が特許室から技術開発部に移ったのが同じ年の1月だったので、自分に関しては発表とほぼ同時にスタートしました。もちろん、プロジェクトの研究自体は事前に進んでいました。
青山さんがおもにプログラマーとしてPOLにかかわっていた部分は、どのあたりになるのでしょうか。
- 青山
いわゆるPCのウェブブラウザにあたる部分を担当しました。その後、β版からはディレクターとして、デザイナー、プランナーを含めた統括リーダーを務めることになりました。
POLは『FFXI』などのゲームサービスのポータルにとどまらず、コミックや音楽、動画配信などあらゆるコンテンツを展開する構想がありましたが、最初にそれを聞いたときにどう思いましたか?
- 青山
当時はとくに疑問も持たず、ふつうに「できるんじゃない?」と思っていました。じつは、コミックなどに関してはかなり開発が進んでいたんですよ。『FFXI』以外のゲームも予定としてはたくさんありました。実際にはいろいろな問題があって実現しませんでしたが、POLの構想自体は当時としても“アリ”だったのではないかと思います。実際、現在では同様のサービスが当たり前になっていますよね。ただ構想に対して、費用対効果が悪かった。
- 松井
ちょっと早かったですよね。構想通りであれば、すごいサービスになりそうだったのですが……。
- 青山
そうですね。時期尚早だったとは思います。残念ながら私の力不足もあって、すべてを実現することはできませんでした。
POLの構想について、2002年当時の技術水準で問題はなかったのでしょうか?
- 青山
技術的には完全に新しいもので、問題は多かったですね。そもそもの前提として、ハードウェアであるプレイステーション 2が、標準状態でインターネットに接続できる仕様になっていないわけです。ですから、まずお客さまのほうでハードウェア的な追加をしなければいけませんし、一方ソフトウェアのほうも、通信を行うゲームプログラムとハードウェアのあいだに通信レイヤーというものがいくつもある中、そこのTCP/IP(※)のプログラムがありません。
※TCP/IPはインターネットを含むコンピュータネットワークにおける、通信プロトコル(通信手順)のこと。 いまのゲーム機には標準で備わっているような機能が、ことごとく未搭載だったと。
- 青山
プログラムについては、なければ作ればいいだけなのですが、やっかいなのがインターネットでした。インターネットというものは、“ある国際的なルールに従ったうえで、各々が自由に仕様を定めて飛び交っている”という世界なのです。つまり、その国際的なルールに従ったからといって、各々の仕様に対してちゃんと動くかどうかがわからない。ほかではうまく動くのに、自分たちのところでは動作しない、ということが起こりうるわけです。そういったことを踏まえてTCP/IPのレイヤー部分を作るのはチャレンジングな作業でしたし、技術的にもすごく新しいことをしていました。柏谷さん(柏谷佳樹氏。元POLネットワークプログラマーチーフ。元『FFXIII』メインプログラマー)や春日さん(春日秀之氏。元POLネットワークプログラマー。『FFXIV』元リードプログラマー)が担当していましたし、思い返してもすごいチームでしたね。それくらい、“当時のスクウェアの最先端を担う人材をPOL開発に集めた”ということでしょう。
数は少なかったですが、POLでコミックも公開されていましたよね。
- 青山
正直どこまで公開されていたのかの記憶が曖昧ですが、目指していたのはコマごとにカメラが移動していく、というUI(ユーザーインターフェース)でした。現在のWeb コミックはフォーマットに従って自動的にレイアウトされたり、拡大できるだけの仕様だったりするものが多いですが、POLのコミックはコマごとに移動するので、そのプログラムを組むために1話あたりのコストがすごくかかってしまうという状況でした。コミックに限らず、ほかの部分もそうですが、POLのコンテンツはすごく凝っていたんですよ。当時のスクウェアの気質として、ひとつひとつのコンテンツを究極までよくしないと気が済まないんです(苦笑)。それはいいことではあるのですが、コスト的にはちょっとつらい部分でもありました。
松井さんたち『FFXI』の開発チームと、青山さんたちPOLの開発チームでは、どのような連携や情報交換があったのでしょうか?
- 青山
連携したのはフレンドリストの部分ですかね?
- 松井
そうですね。フレンドリストの部分はPOLに対応するどのゲームでも共通の仕様だったので、『FFXI』開発チームからは藤戸くん(藤戸洋司氏。『FFXI』ディレクター)と田中さん(田中弘道氏。『FFXI』初代プロデューサー)がPOLチームとやり取りしていましたね。
- 青山
基本的には個別に作業をしていましたが、先ほどの通信レイヤーの部分など、POLチームから『FFXI』チームに提供する要素のやり取りは行っていましたね。じつは、旧スクウェアおよび現スクウェア・エニックスが“組織的に優れている”と思っている部分がそこにあって、可能な限りそれぞれの作業を分けて、チームごとに独立して進行できるように最低限のやり取りをするだけという感じでした。定期的な会議で情報交換を行う、ということはなかったですね。
逆に、松井さんたち『FFXI』チームからPOLチームに対して、何か要望するというようなことはありませんでしたか?
- 松井
この先、POLに対応したゲームがいろいろと出てくる、という話は聞いていたので、そのときに共通のアバターを使えたらいいよね、というような話はしていました。ただ、その時点では各ゲームで統合されたランチャーやプラットフォームなどを知らなかったので、こうしたい、ああしたい、という発想そのものがあまりなかったですね。
POL上には“ヴァナ・ディール トリビューン”というコンテンツがありましたが、これはどちらのチームの担当でしたか?
- 青山
担当自体はPOLのチームでした。もちろん、『FFXI』チームにかなり協力してもらいましたよ。
- 松井
企画自体はPOLの主導でしたが、コンテンツの制作はコミュニティチームのもっちー(望月一善氏。コミュニティマネージャー)が中心になっていました。
- 青山
じつは、この企画はけっこう難産だったんです。いまだとMMORPGやスマートフォンのゲームを含めて、頻繁にゲーム内イベントが開催されたり、月イチくらいでアップデートがあったりしますが、当時の『FFXI』はそういった定期的なイベントはなかったですよね。
- 松井
そうですね。当時はバージョンアップも“新しいイベントの追加”というよりは、“それまでゲーム中に入れていなかった機能の実装”ということがほとんどでした。
- 青山
それで、「月額でプレイ料金を払っていただいているのだから、月に1回は新しい情報を提供すべきだ」という考えから“ヴァナ・ディール トリビューン”の企画は始まっています。ですから、毎月1回はがんばってコンテンツを公開していた記憶がありますね。
POL側にはバージョンアップや機能の追加などの予定はなかったのでしょうか?
- 青山
じつはそういったものがなくて、自分は「POLはマスターアップしたら終わり」と思っていたんですよ。でも、そんなことはぜんぜんなくて、リリースした後のほうが開発中よりも忙しかったですね。『FFXI』開発チームから細かい要望がいっぱい寄せられていて、たとえば“メンテナンスの告知をPOLで行いたい”というものがありました。いまなら、そうした告知は公式サイトやSNSなどで行われていますが、当時はまだ体制が整っておらず、機能を後から追加するためのさまざまな作業が発生しました。運営に関しては、のちにSage Sundi(セージ・サンディ氏。『FFXI』元グローバルオンラインプロデューサー)がスタッフに加わってくれたことで、オンラインゲームのことをいろいろと教えてもらえたのが大きかったですね。もっと早くセージさんに来てもらえていたら、“サービス開始後のほうが忙しい”ことも事前にわかったと思うのですが(笑)。
そのときのPOLでの経験が、先ほどうかがった『DQXオンライン』での「リリースしてからが本当の勝負だぞ」という教訓につながるのでしょうか。
- 青山
そうですね。『DQXオンライン』には、最初はテクニカルディレクターとして関わっていたので、とくにプログラマーに対しては「リリース後のほうが忙しい」ということをしょっちゅう言っていました。リリース後に忙しいということは、“どんどんプログラムに改修が加わる”ということですが、『DQXオンライン』ではその改修をやりやすくするために、いろいろなルールをプロジェクト発足時に定めています。そのひとつは、“プログラムの変数名や関数名に名前を付ける際、その名前を省略してはいけません”というものです。POL開発のときにはルールを定めていなかったので、後からたいへんな思いをしました。
- 松井
『FFXI』でも、関数名の重複などを避けるために“プログラマーそれぞれに割り振られた文字を先頭に付ける”という規則があったのですが、あとはもう各々が自由に名前を付けていましたね。
- 青山
それがもう、まずいんです。開発スタッフはプロジェクトの進行につれてどんどん入れ替わるものです。慣習としてファイル名にイニシャルを入れるというものも一部にありましたが、『DQXオンライン』では「絶対にやめて」と言っていました。
いまプラットフォームとして新たなPOLをもう一度作るとしたら、どのようなものになるでしょう?
- 青山
これはある意味、スクウェア・エニックスの苦手な部分でもあるのですが、我々は“いいコンテンツ”を作るのは得意だと自負するものの、逆に言うと“全部”をよくしようとしてしまう。先ほども言ったように、コミックもコマごとに移動させたり、ゲームやフレンドリストなどもキッチリと研究してからリリースしようとする。しかし、プラットフォームでそれをやると、開発作業が肥大化してしまいます。いまPOLのようなサービスを作るとしたら、できるだけコンパクトにして、プラットフォームとしては小さく、そのうえで自由にコンテンツが作れるような形にすると思います。“ヴァナ・ディール トリビューン”などもPOL側では作らず、『FFXI』チームのほうに任せると思いますね。ただ、そういったやりかたはスクウェア・エニックスの得意とするものではない、とは思っています。
- 松井
ウチは何でも全力でやってしまうんですよね。
- 青山
そうなんですよ。自分がディレクターをするなら、たぶんきっとまた、いろいろとコンテンツにこだわってしまうかもしれませんね。
※第13回パート4は2022年10月26日に公開予定