Language

JP EN

プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-
第13回 青山公士 パート2

松井プロデューサーが、『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第13回の対談相手は、『FFXI』の“入り口”とも言えるネットワークサービス“プレイオンライン”(以下、POL)において、初代ディレクターを務めた青山公士さん。現在は『FFXI』と同じMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGである『ドラゴンクエストX オンライン』(以下、『DQXオンライン』)のプロデューサーを務める青山さんだが、この節目にPOLの開発に関わったころの出来事について詳しく聞いていく。パート2となる今回は、青山氏がスクウェア(当時)に入社してからPOL開発に携わるまでの経緯や、松井氏と青山氏の出会いに関する驚きの事実などをうかがった。

青山公士

『DQXオンライン』プロデューサー。ハドソンを経て1999年にスクウェア(当時)に入社し、POLディレクターに就任。その後『DQXオンライン』のテクニカルディレクターとして開発に参加する。2018年からは齊藤陽介氏の後を継いで2代目プロデューサーに就任。

ふたりは学生時代に同じ場所にいた! 20年後に知る事実

  • 青山さんは1999年にスクウェア(当時)に移籍されていますが、その経緯をお聞かせください。

  • 青山

    まずきっかけとしては、“『FFVII』に衝撃を受けた”ということがあります。たとえば『FFVII』ではCD-ROMから直接ムービーデータを読み込んで再生するという、大容量を直接的に活かしたすごいことをやっていて、「スクウェアは最先端の技術を活かしたモノ作りができる会社なんだなあ」と感じました。そこで、自分もつねづね「世界一のゲームを作りたい」と思っていたこともあり、その想いを伝えてスクウェアを受けた形ですね。

  • 松井

    その際、すんなりスクウェアに入社することができたのですか?

  • 青山

    これもあまり話したことはなかったのですが……じつは1回落ちているんです。最初に応募したときは、「自分はこれだけの技術を持っている、これだけの特許も持っている」と書いて自信満々に提出したんですよ。しかし、スクウェアのゲーム開発の部署からは不採用の通知が届きます。ところが、1カ月後くらいに“特許室”から連絡が来て「ウチに来ないか」と言われたんです。特許室というのは、いまの法務や知的財産管理のような部署で、当時は“プログラマーにいろいろとヒアリングして、どの技術が特許にできるか確認する”というようなことが業務でした。自分自身も特許をいくつか持っていたのですが、当時は“プログラマー30歳定年説”というものがささやかれていた時代でして、ちょうど自分も30歳になっていたこともあり、「そろそろ特許のほうを仕事にしてもいいかな」と思い、特許室に採用してもらったのです。

  • 松井

    なんと(笑)。

  • 青山

    最初は軽く考えていたのですが、特許の仕事は思っていたよりも専門性が高くて、とてもたいへんでしたね。それでも1年くらいはがんばって勤めましたが、やがて限界が来て「辞めさせてください」と上長に相談することになります。ただ、仕事の過程で社内のプログラマーとはひんぱんに話をしていたこともあり、技術開発部のリーダーの方が「辞めるならウチに来いよ」と言ってくれたんです。それで、最先端の技術を研究開発する部署に移りました。でも、自分の技術が認められていたわけではなく、営業面が認められたからでしょうね。“スクウェア ミレニアム”(※)で坂口さん(坂口博信氏。『FF』シリーズの生みの親のひとり)が「今後は営業のできるプログラマーが必要になる」といったことをおっしゃっていたのですが、そのとき技術開発部のリーダーに「あれって誰のことですかね?」って聞いたら「お前のことだよ」と(笑)。言われてみれば、自分はプログラムの技術よりも、“他人とうまくコミュニケーションを取れる”というところを評価されていたのだと思います。

    ※2000年にパシフィコ横浜で開催された企業説明会。『FFIX』『FFX』『FFXI』の3作が同時発表された。

  • 青山さんはいろいろなインタビューの場で、スクウェアを「大きな組織でモノを作るのが得意な会社」と発言されていますが、実際に入社してからの印象はどうでしたか?

  • 青山

    実際に入社する前はそこまでのことは思っていませんでしたが、当時のスクウェアに入社して最初に驚いたのは、“プロデューサーが執行役員である”ということですね。弘道さん(田中弘道氏。『FFXI』初代プロデューサー)などがドーンと上にいて、プロデューサーの権限が前職とぜんぜん違うんです。それが“ゲームをよくするための組織”として機能しているし、トップの弘道さんや松野さん(※)が組織全体をよく見ていて、上手に組織運営をしているな、と思いました。『FFVII』のような大規模なゲームを作るには、けっきょく大きい組織でなくてはならないし、そして大きい組織を動かすには相応のマネジメント力が必要なのだと、入社した後に改めて感じましたね。

    ※松野泰己氏。『ファイナルファンタジータクティクス』、『ベイグラントストーリー』などのディレクターを担当。POLでは開発プロデューサーを担当している。
  • 松井

    僕自身はスクウェアについて、大作は作れるけれど、決して“組織運営が上手”とは思っていなくて。それは、最初に入社した会社がスクウェアだったので、比較対象がないからそう感じるのかもしれません。スクウェアでは、30~40人のプロジェクトをうまく回せた後に200人規模のプロジェクトをやることになったとしても、「じゃあ、人員を5倍増やせばいい」くらいの感覚なんですよね。でも実際には、40人が200人になったところで単純に5倍の力が出せるわけではなく、“いかにコミュニケーションのロスをなくすか”といった部分が重要なのかなと。ひと昔前なら、それこそ坂口さんが「仕様を変更するぞ!」と言い出しても、みんな「えー」 と言いながらもついていけましたが、いま200人のプロジェクトでそれをやったら破綻しますよね(笑)。

  • 青山

    でも、ふつうの組織だと、その規模ではそもそも物事が前に進まなくなることが多いと思うんですよ。スクウェアはその規模で作業がちゃんと流れているのがすごいところだと思います。

  • ちなみに、おふたりが初めて出会ったのはいつごろになりますか?

  • 青山

    じつはスクウェア入社後ではなく、もっと前の1986年の4月だと思うのですが、覚えていませんか?

  • 松井

    じつは春日さん(春日秀之氏。元POLネットワークプログラマー。『FFXIV』元リードプログラマー)から「青山さんは同じ大学の出身だよ」と言われて、「何年の入学だろう?」と聞いたら1986年で、なんと同学年だったことを知りました(笑)。

  • おふたりは同じ大学(東京工業大学)のしかも同学年だったのですね。

  • 青山

    ええ。学部も同じで、1クラス170人の中のふたりだったのですが、直接的な面識はありませんでした。入学時に自己紹介くらいはしていたと思いますが、知ったのはお互い20年くらい経ってからなんですよね。ちなみに、入社後にどこで顔を合わせたのかもちょっと覚えていなくて……。

  • 松井

    僕はプランナーでありながらプログラムも書くことになったので、社内のプログラマーのメーリングリストに参加していたんですよ。ですから、そこで青山さんの名前も見ていましたし、プログラマーの定例会でも全員と会って話をしているので、そこでもお会いしていたと思います。

  • 青山

    実際に顔を突き合わせて仕事の話をするようになったのは、もう少し後のことですね。

  • 松井

    会社で泊まり込みのセミナーがあって、夜に親睦会の席で青山さんと「自分の子どもにプログラムを勉強させるとしたらどの言語がいいか?」ということを話したのを覚えています。自分はそのとき「自分たちはアセンブラから始めたおかげで、最終的にはどんなコードになるかがわかっているから、そういうものから始めるのがいいのではないか」と言ったのですが、青山さんは「いまはアセンブラが書けなくても、GPUをブンブン回すような人がいるから、なんだっていいんじゃないの?」と。

  • 青山

    そうですね。自分はそういうスタンスです。

  • 松井

    そのときの会話があったおかげかわかりませんが、ウチの長男はプログラマーになりました(笑)。

  • 青山

    ウチはその道は選びませんでしたね。小学校3年生のときにPCを与えて、4年生からは自分がプログラムを教えていたのですが、そのせいかプログラムが大っ嫌いになりまして(苦笑)。「ちょっと教え始めるのが早かったかな」と思っています。でも、高校の授業でプログラムを組んでいたりするようで、たまに質問しに来ることがありますね。本人は相変わらず「プログラムは嫌いだ」と言っていますが……。

  • ちなみに、そんなやり取りをしていたころの、お互いの印象はどうでしたか?

  • 松井

    先ほど話したメーリングリストですが、POLをはじめとした各リーダークラスのメインプログラマーが集まっていて、それぞれ個別の流儀を持っていました。そんな中で、青山さんがそれぞれをキッチリまとめているのが印象的でしたね。「よく、こんな個性的……というか我が強い人たちをまとめてプロジェクトを進められるなあ」と感心していました。

  • 青山

    実質まとめていたのは成田さん(成田賢氏。『FFXI』元プログラムディレクター、プレイオンラインビューアープロデューサー)でしたけどね。

  • 松井

    「いざというときには成田さんが対応してくれる」という安心感はありましたね。でも、ふだんは青山さんがまとめ役を買って出てくださっていたのを覚えています。

  • 青山

    そう思ってもらえていたのならうれしいですね。正直に言うと、当時はかなりつらかったんです(笑)。本当に、過去のヒット作のメインプログラマーたちが『FFXI』に集まっていて、お互い「オレのやりかたはこうだ」と主張し合っていましたから。

  • 松井

    しかも、歯に衣着せぬやり取りが多かったというか(笑)。そういう人たちの中に入ってガクガクブルブルしながらメーリングリストを見ていたり、会議に参加していたりしました。

  • 青山

    逆に、自分から見た松井さんの印象としては、「松井さんをはじめ、スクウェアのプランナーは自分でプログラムまでバリバリ書いて、何でもできるスーパーマンばかりだな」という印象でした。その中でも松井さんが筆頭だと感じていまして、「すごい人がいるなあ」と思っていましたね。ほかの会社なら、松井さんのような人はふつう“プログラマー”と呼ばれるよなあと。

  • 松井

    自分はハード方面の知識はぜんぜん追いかけていないので、そういう意味では狭い部分しかできないと思います。

  • 青山

    でも、そういうところを自分でわかっていることが大事なんです。たとえば、新卒のプログラマーの面接で「どこまでプログラムを書けますか?」と質問したときに、「ハードウェアのことはわかりません」と答える人がいたとしたら、それは相当いい人材です。機械が動作することの全体像がわかっていれば、“何が起こっているかはよくわからないけど、プログラムは動いている”といった状況にはならない。「わからない」とはっきり言えること自体が、その人のレベルが高い証拠になりますね。

※第13回パート3は2022年10月19日に公開予定

この記事をシェアする