松井プロデューサーが『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第2回の対談相手は、『ドラゴンクエストX オンライン』(以下、『DQXオンライン』)初代プロデューサーであり、『FFXI』プレイヤーのひとりでもある齊藤陽介さん。『FFXI』との出会いや、ヴァナ・ディールで体験した数々の思い出、そして齊藤さんのプロデュースに対する流儀などを、計4回にわたってお届けしていく。それでは、今回もセッションスタート!
スクウェア・エニックス取締役兼執行役員。『NieR(ニーア)』シリーズやアイドルグループ“GEMS COMPANY(ジェムズ カンパニー)”ほか、さまざまなプロジェクトを手掛けている。『DQXオンライン』では、開発初期からプロデューサーを務め、2018年に勇退。現在(2021年)はプラチナゲームズが開発する『BABYLON'S FALL(バビロンズフォール)』をプロデュースしている。
プロデューサーをやりたいと思うほどに『FFXI』にのめり込んだ
そもそも、松井さんは旧スクウェアに入社され、齊藤さんは旧エニックスに入社されて、それがいまでは同じ会社ということになるわけですが、おふたりの面識はどのようなものだったのでしょうか?
- 齊藤
直接の交流としては、松井さんが『FFXI』のプロデューサーを引き継いだ後くらいに何度かいっしょにご飯を食べに行ったくらいかな? じつは私、『FFXI』のプロデューサーをやりたいと思っていたので。
- 松井
本当ですか?(笑)
- 齊藤
でも、『FFXI』への思い入れが強すぎて、私がプロデューサーになっても仕事にならないでしょうけど(笑)。
松井さんのほうはいかがですか?
- 松井
スクウェアとエニックスが合併した当時(2003年)、僕はまだ下っ端でしたので、齊藤さんは田中さん(田中弘道氏。『FFXI』の初代プロデューサー)などと同じ立ち位置の人として見ていました。恐れ多かったと言いますか。それで、妻と『World of Warcraft (ワールド オブ ウォークラフト)』(以下、『WoW』。※)を遊び始めたときに、齊藤さんが「スクエニのギルドがあるよ」とギルドに誘ってくれたんです。いっしょにプレイしたことはなかったと思いますが、そのギルドで齊藤さんの話を聞いていると、とても気さくで、あとはなんだか多忙そうな方だなと。仕事もゲームもガチでやっているという印象でしたね。
※『World of Warcraft(ワールド オブ ウォークラフト)』は、アメリカのゲーム会社Blizzard Entertainmentが開発したMMO(多人数同時参加型オンライン)RPG。 - 齊藤
『WoW』のギルドはSage Sundi(セージ・サンディ氏。当時は『FFXI』のグローバルオンラインプロデューサー)がリーダーをやっていて、それこそブッコ(室内俊夫氏。『FFXIV』グローバルコミュニティプロデューサー)や横澤(横澤剛志氏。『FFXIV』リードバトルシステムデザイナー)たちもいました。そのギルドではガチのレイド攻略もやっていたのですが、私はタンク(盾役)だったので、ミスをしたアタッカーに怒号を飛ばすこともありましたね(笑)。でも、基本的には和気あいあいとプレイしていたのを覚えています。
- 松井
僕はそもそもレベルがカンストしていなかったので、レイドには行っていなかったですね。ふつうに冒険していて、ギルドのメンバーを見かけたら通りすがりに「よおー」と挨拶したりしたくらいです。
齊藤さんはかなりのめり込むタイプなんですね。
- 齊藤
そうですね、ゲームを始めると熱中してしまいます。ゲームの話ばかりしていると、「お前、仕事してないだろ」と言われてしまいそうですが(苦笑)。
- 松井
それもまあ仕事の範疇と言いますか(笑)。
- 齊藤
仕事もまあまあ忙しいのですが、ゲームが好きなんでしょうね。最近だと『モンスターハンターライズ』(以下、『モンハンライズ』)をやっていて、気づいたらランク200になっていました。『モンハンライズ』が発売されたあたりは『NieR Replicant(ニーア レプリカント) ver.1.22474487139...』のリリースや『NieR Re[in]carnation(ニーア リィンカーネーション)』の運営等で忙しかったので、いまプレイしたらヤバイなとしばらくは手をつけていませんでしたが、いろいろ一段落して、もうやってもいいかなと。ひとりで集会所に行って遊んでいますが、気がついたらいまのランクに(笑)。
- 松井
いま『モンハンライズ』で遊んでいる皆さんは、集会所にいるハンターの中にガチプレイしている齊藤さんが紛れ込んでいるなんて、思ってもみないでしょうね(笑)。
さて、齊藤さんと『FFXI』の関わりについてお聞きしていきますが、『FFXI』は発売日からプレイされていたとのことで。
- 齊藤
一応、発売日組ですね。サービス開始の日はプレイオンラインにつながらなくてスクウェア(当時)のサポートに電話したのですが、そちらもつながらないという(笑)。仕事もあったので、その日のログインはあきらめました。ヴァナ・ディールに降り立ったのは2~3日後だった気がします。
その当時、齊藤さんはすでにエニックス(当時)でゲーム開発に従事していたわけですが、やはり『FFXI』には注目されていたのですか?
- 齊藤
ちょうど同じ時期、私は『クロスゲート』(※)というPCのオンラインゲームを作っていました。当時、MMORPGはまだそれほどなく、そこにメジャーな『FF』のMMORPGが出るというのがすごいと思って、これはやらなければならないぞという感じでした。“仕事としてやらなければ”というのが2割くらいで“個人的な興味”が8割くらいでしたけど(笑)。
※『クロスゲート』は、2001年7月にサービスを開始したMMORPG。日本国内だけでなく、台湾や韓国、中国でも展開され、台湾と中国では2021年現在もサービス中。 『FFXI』はどんな感じでプレイされていたのでしょうか?
- 齊藤
リンクシェルではリーダーをしていて、基本は雑談系のリンクシェルなのですが、その中でエンドコンテンツが好きな人といっしょにエインヘリヤル活動などもしていました。あと、知り合いのリンクシェルにも顔を出していまして、毎週水曜日はデュナミスの日でしたね。
- 松井
時期で言うと、どのあたりですか?
- 齊藤
『アトルガンの秘宝』までは毎日のようにプレイしていました。『アルタナの神兵』はちょっと触ったくらいかな? 仕事が忙しかったのもありますが、『WoW』も並行してやっていて、そちらではタンクという責任ある職位だったので、どっちつかずはまずいなと。それで、『WoW』に注力するようになりました。
- 松井
とくに当時のMMORPGの掛け持ちはきびしいですよね。僕には絶対できないと思います。
- 齊藤
そうこうしているうちに『DQXオンライン』のプロジェクトが始まったという感じです。でも、『FFXI』に戻りたいという気持ちもあるんですよ。ヴァナ・ディールでは本当に長い時間を過ごしたので、サルタバルタの景色とか、マウラ・セルビナ間の船の上とか、そういった風景がいまでも夢に出て来るくらい思い出に残っています。ちなみに、タルタルでプレイしていたからというのもありますが、シャントット博士がめちゃめちゃ好きで、洗面台にシャントット博士の置時計を飾るくらい好きでした。ヴァナ・ディールに戻れるチャンスがあるなら戻りたいと思いつつも、いまにいたると。
- 松井
タルタルでシャントット博士好きということは、出身はウィンダスですか?
- 齊藤
そうです。
- 松井
ジョブは何をされていたのですか?
- 齊藤
運営開始当初は「驚きの白さ」と言われていた黒魔道士です(笑)。古代魔法でのマジックバーストが狩りの主流になったときくらいに、「ああ、黒魔道士でよかったな」と思いましたね。技連携のタイミングを見極めて、長い詠唱の魔法を撃つのはすごく楽しかったです。
- 松井
古代魔法でマジックバーストするのは熟練が必要なのに、さすがですね。
- 齊藤
ソロで、スリプルやバインドで足止めしながら倒すのも好きでしたよ。
ゼオルム火山でのワモーラ狩りは流行りましたよね。ワンミスで瀕死になったりしますが(笑)。
- 齊藤
獣使いでいわゆる“カニミサイル”もやっていました。それも“あやつる”が失敗するとアウトでしたね。
- 松井
本当にガチでプレイしていた感じが伝わってきますね(笑)。
- 齊藤
“空NM(※)”もやっていました。“海NM(※)”も少しだけかな。空NMは定期的な活動になっていたので、ログインしたら誰かしらが空にいましたね。「NMのポップ(出現)を確認したから来てー」と報告があったら駆けつけたりして。Kirinも当然倒しましたよ。
※空は“トゥー・リア”リージョンの俗称で、空NMはKirinを頂点とするNM(ノートリアスモンスター)群を指す。一方の海は“ルモリア”リージョンの俗称で、海NMはAbsolute Virtueを頂点とするNM群を指す。 - 松井
そのときも黒魔道士だったのですか?
- 齊藤
たぶん、そうですね。でも、ひと通りレベルを上げていた気がします。
- 松井
もしかしてマートキャップも!?
- 齊藤
マートキャップはどうだったかなあ……? でも、こうやって話しているうちにいろいろと思い出しますね。アットワ地溝のパラダモの丘を、あの細い山道から何度も滑落しながら登ったり、ウルガラン山脈では頂上から崖を滑り下りて、途中の穴にうまく落ちようとしたり。その途中でモンスターに襲われて戦闘不能になったりしたこともあったけど、そういうひとつひとつが苦ではなくて、本当に楽しかったですね。「どうせ大してやってないだろ」と言われるかもしれませんが、まあまあやっていましたよ(笑)。リンクシェルのWikiの編集とかもしていましたし。
まさかのWiki編集まで(笑)。松井さんたち開発側がプライベートでここまでの密度でプレイするのは難しいですよね。
- 松井
そうですね。バージョンアップの作業が終わってもつぎのバージョンアップが待っていますし、つねにやり残したことがあるような気がして、落ち着いてプレイできないといいますか。手を入れたいところはいっぱいあるし、NMも追加したいし、装備品も追加したいし……といった中で、優先順位をつけてひとつずつタスクを潰していかないといけない。そうなると、プレイ中はずっと仕事モードですよね。
- 齊藤
開発者はそうなっちゃうよね。よく“開発vs.ガチプレイヤー”みたいな企画がありますけど、開発が勝てるわけがありませんよ(笑)。
- 松井
理屈や弱点がわかっていても、それを効果的に使えるかというとまた別の話ですよね。やはり何度もプレイして体で覚えないと、とっさに操作はできません。
それにしても、実生活の15年前の記憶なんてかなり曖昧なのに、ヴァナ・ディールでの出来事はこうして話していくうちにいろいろ思い出すわけですから、ものすごい体験だったということですよね。
- 齊藤
すごいことだと思いますよ。リンクシェルのメンバーは年齢の幅が大きくて、いちばん上は私だったのかな? いや、どこかの会社社長がいたので2番目だったか。下は高校生くらいの子もいました。このメンバーが同じ教室にいたら、きっと楽しい学生生活だったろうなあと。
- 松井
ちなみに、齊藤さんはリンクシェルで職業などを明かしていたのですか?
- 齊藤
基本的には話していないです。ウチのリンクシェルは、もともとエニックス(当時)の社員だけで作ったリアル知り合いの集まりでした。そこからゲーム内で仲よくなった人を誘って、少しずつメンバーが増えていった感じですね。でも、そこで自分たちが何者かはあえて言う必要もないかなと。
- 松井
とは言っても、まさか『ドラゴンクエスト』を作っている会社の人たちだと知ったら……(笑)。
- 齊藤
何人か正体を知っている人もいましたが、知らなかった人のほうが多かったかな。
- 松井
時代的な背景もあると思いますけど、いまはオンラインゲームで遊ぶとそこでのつながりだけではなく、SNSでの交流やオフ会といったゲーム外でのつながりが珍しくなくなりましたよね。ゲーム内でもボイスチャットをしたり、プレイヤーどうしの距離感が20年前とはぜんぜん違うというか。
- 齊藤
当時はドキドキ感がありましたよね。でも、ゲーム外でのつながりがまったくなかったかというとそうでもなくて、私もオフ会で会った人がいましたし、リンクシェル内で結婚したグループも2組くらいありましたね。知らないところで、もっとあったのかもしれませんが。
- 松井
以前はリアルでのつながりは慎重でしたけど、逆にゲーム内でのコミュニケーションはいまよりも密だった気がします。
- 齊藤
オートマッチングといったシステムの進化でカジュアルに遊べるようになった代わりに、プレイヤーどうしの出会いも一期一会的な感じになりましたよね。
- 松井
『FFXI』での思い出がプレイヤーの皆さんに色濃く刻まれているのは、そういったゲーム内での結びつきの強さが要因かもしれません。
- 齊藤
リンクシェルのメンバーといえば、『DQXオンライン』の開発スタッフにも『FFXI』をプレイしていた人がいて、よくよく話を聞いてみると、なんと同じリンクシェルのメンバーだったんですよ(笑)。「え、齊藤さんって○○さん(キャラクター名)なの? 私、○○なんだけど!」といった感じで。これが『FFXI』でいちばんビックリした話かもしれません。
- 松井
あのときのリンクシェルのメンバーがじつは身近にいたなんて、なかなかないですよね(笑)。
- 齊藤
本当に(笑)。リアルのことはまったく知らずに誘ったメンバーで、当時はスクウェアの社員でした。『DQXオンライン』チームには途中から入ってきた人です。
スクウェア(当時)社員のリンクシェルはなかったのですか?
- 松井
リンクシェルがあったかどうかはわかりませんが、βテストの最終日に手持ちのギルの末尾を揃えておくと同じワールドに行けるという仕組みがあって、某ワールドに集まろうと声がけをしていた人はいましたね。ですので、某ワールドには当時のスクウェア関係者が多かったかもしれません。