松井プロデューサーが『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第5回の対談相手は、スクウェア・エニックスで『ファイナルファンタジー』(以下、『FF』)シリーズのブランドマネージャーを務める北瀬佳範さん。松井プロデューサーとほぼ同時期にスクウェア(当時)に入社し、数多くの『FF』シリーズ作品に深く携わってきた北瀬さんは『FFXI』をどう見ていたのか? まずはお互いの入社経緯のエピソードを皮切りに、計4回にわたってふたりのセッションをお届けしていこう。
『FFV』で初めて『FF』シリーズの開発に参加し、『FFVI』から『FFVIII』までのディレクションを担当。『FFX』からはプロデューサーとして制作に関わる。以降、20年以上にわたって数多くの『FF』シリーズ作品・関連作品を手がけてきた。最新作は2020年に発売された『FFVIIリメイク』。2021年の4月には橋本真司氏から引き継ぐ形で、『FF』シリーズを統括するブランドマネージャーに就任した。
ゲーム雑誌の求人広告が運命を決めた
まずは『FFXI』の話に入る前に、スクウェア時代のおふたりの出会いのお話からうかがおうと思います。おふたりは入社時期がすごく近いそうですね。
- 松井
僕は1990年5月の入社です。
- 北瀬
僕は同じ年の3月ですね。あれ? 僕のほうが先だっけ? 入社したときにはすでに松井くんがアルバイトでいた気がするんだよね……。
- 松井
アルバイトはしていなかったですね。以前も同じことを言われた気がするのですが、そういう印象になるくらい僕って目立っていましたか?(笑) 最初の3カ月は試用期間ですし、おとなしくしていたはずなのですが……。
- 北瀬
松井くんは最初から『FF』チーム(※)に配属されていたでしょ? 僕はゲームボーイの『聖剣伝説 ~ファイナルファンタジー外伝~』(以下、『聖剣』)チームに配属されたのだけど、はたから見ると『FF』チームはエリート集団だからね(笑)。だから、松井くんもエリートのひとりなんだと。
※当時開発されていたのは『FFIV』。 - 松井
エリートだなんて、とんでもない(笑)。会社としては先に『聖剣』を発売しないといけないし、すでにプロジェクトが動き出しているところに何もわからない新人を入れるわけにはいかない、という理由もあったのではないでしょうか。だから、まだ余裕のある『FF』チームに配属されたのだと思います。
- 北瀬
そんなことはないでしょう(笑)。でも、5月とは変な時期(※)だよね。なぜそんなタイミングだったの?
※日本における一般的な年度の始まりは4月。 - 松井
『FFIII』を2回クリアした後くらいに、ふと「そろそろ働かないといけないな」と思って(苦笑)。それで、ふらふらと本屋に行ってゲーム雑誌を立ち読みしていたら、スクウェアの求人広告が載っていたんですよ。「来たれ、若人よ!」ではないですけど、“未経験者大歓迎”みたいな感じで。
『FFIII』がおもしろかったのでスクウェアに入社しようと?
- 松井
そういうわけではなく、当時は新人のプランナーを募集しているゲーム会社がスクウェア以外には見当たらなかったんです。河津さん(河津秋敏氏。『サガ』シリーズの生みの親)からは「スクウェアはやめてくれ」と言われていましたけれど(笑)。
- 北瀬
河津さんは同じ大学(※)の先輩だよね?
※ふたりは東京工業大学に在籍していた。 - 松井
そうです。
- 北瀬
河津さん曰く「知り合いがいるとやりにくいから、来てほしくない」だったっけ?(笑)
- 松井
でも、河津さんの気持ちも理解できるので、いろいろ探しはしたんですよ。でも、どこも「新人の企画職は採用していない」という反応ばかりで……。しかたなく、「河津さん、ごめんなさい!」と思いながら履歴書をスクウェアに送りました。いま考えると、スクウェアに入ってからはけっきょくプログラマーのような仕事をしていたので、プログラマー採用に応募すればよかったですね。とはいえ、就職活動時はプログラマーとして仕事をしていける自信はなかったんです。
- 北瀬
その話を聞いて思い出しましたが、僕も前職を1年経たずに辞めて、ゲームで遊んでいたんです。あるときゲームの攻略に詰まって、雑誌に攻略情報でも載っていないかなと本屋さんに行ったのですが、手に取った雑誌をパラパラとめくっていたら、たまたまスクウェアの求人広告が目に入って、「ああ、そろそろ働かないと……」と(笑)。僕も松井くんと似たような感じですね。
「そろそろ」という言い回しに、ゲームをとても堪能した感じが出ていますね(笑)。ちなみに、北瀬さんは前職では何をされていたのですか?
- 北瀬
僕は小さなアニメーションスタジオでアニメーターをしていました。有名なアニメーション作家の方が大学の講師をしていて、授業を受けていたツテでその人のスタジオに入ることができたんです。スタジオにはその先生と、僕より1学年上の先輩ふたり、そして僕の4人しかいなくて、先生が描く原画に対して動画を描いたり、撮影所にセル画を持って行ったり、現像所にフィルムを取りに行ったりと、制作の実務からお使いの類までやっていました。
そのころは、ほとんどがセルアニメですよね。
- 北瀬
セル塗りもしましたよ。アニメと言ってもテレビアニメではなく、CMや子ども向け番組の1コーナーなどの短いものが中心でしたけど。
そのスタジオを退職されたのは、やはりアニメ制作が激務だったからですか?
- 北瀬
まあ……それもあります。でも、いま考えてみると、仕事のタフさはゲーム制作もあまり変わらないかも(笑)。
アニメーターを辞められたときは、つぎはゲームの仕事をしようと考えていたのでしょうか?
- 北瀬
いえ、何も考えずに辞めました。そこから半年くらいは何もせず、ゲームで遊んでいましたね。
当時遊んでいたゲームの攻略に詰まりさえしなければ、北瀬さんは別の道を歩んでいたかもしれないし、『FFVI』もまったく別の作品になっていたかもしれませんね(笑)。
- 北瀬
時代もありますよね。いまはゲームの攻略情報を知りたかったら、まずはインターネットでしょうし。あのタイミングでスクウェアの求人を目にしたのは、何かの縁なのかなと。
- 松井
ほかにもスクウェアを選んだ理由はあったのですか?
- 北瀬
再就職しようとしたときは、もともとアニメーションの世界にいたこともあって、ストーリー性のあるコンテンツなり、エンタメに関わりたいとは考えていました。ですから、ゲーム業界を選ぶときも、『FF』というストーリー重視のゲームを作っているスクウェアがいいかなと思ったんです。
スクウェアにはデザイナー志望という形で応募されたのですか?
- 北瀬
いえ、違います。松井くんはプログラムという武器があったと思いますが、僕はアニメの経験しかなかったので、ゲーム制作のことは何も知らないし、プログラムもさっぱりわからない状態でした。そこで、学生のころに作った自主制作のビデオがあったので、それをえいやと送り付けました。それを坂口さん(坂口博信氏。『FF』シリーズの生みの親のひとり)が気に入ってくれたようです。
その映像に何か光るものがあったのでしょうね。
- 北瀬
そうだったらいいのですが、「変なヤツだ」と思われただけかもしれません(笑)。
ゲーム制作のことを知らずに入社したとのことですが、どのようにして仕事を覚えていったのでしょうか?
- 北瀬
入社してすぐのころは営業の手伝いのようなこともしました。坂口さんの号令で「自分の住んでいる地域のゲームショップで『FFIII』の売れ行きなどを調査してほしい」と言われ、八王子のゲームショップで店員にインタビューのようなこともしました。
ゲーム制作だけではなく、そういったことをされていた時代もあったのですね。
- 北瀬
ゲーム制作については、先輩たちに教えてもらいながら覚えていきました。僕が配属された『聖剣』チームは、ディレクターに石井さん(石井浩一氏。『FFXI』初代ディレクター)、デザイナーのリーダーの渋谷さん(渋谷員子氏。『FF』シリーズなどでデザイナーとしてドット絵を担当)がいましたが、それ以外のメンバーは同期の新人で固められていました。ですから、まわりはゲームの作りかたもぜんぜんわからないし、石井さんはどちらかというとプログラムではなく企画力に長けた人でしたので、開発のノウハウを得るために河津さんや田中さん(田中弘道氏。『FFXI』の初代プロデューサー)のところに聞きに行ったりしました。
- 松井
僕が入社したときにはもう北瀬さんが中心となってゲームを作っているイメージがあったので、てっきりノウハウがある人なんだと思っていました。
- 北瀬
僕がやらないといけない状況だったからね(笑)。いま言ったように、先輩たちに聞きながら覚えていった感じです。
それにしても、入社から2カ月ほどで開発の中心的ポジションになるのはすごいですよね。
- 北瀬
中心といっても、新卒や新人ばかりでしたからね。プログラマーに吉枝さん(吉枝悟氏。『聖剣』1作目のメインプログラマー)というすごく優秀な方がいらして、プログラム方面はその人にいろいろと教えていただきました。企画に関しては、河津さんにちょくちょく聞きに行っていました。
- 松井
あのころのスクウェアはフロアもすごく小さく、左のほうに『FF』チームがあって、真ん中の応接室側に『聖剣』チームがあり、その隣が『サ・ガ2 秘宝伝説』(以下、『サガ2』)チームという感じでしたね。
- 北瀬
そのワンフロアにしたって、いまの社屋のワンフロアほど広くなかったからね(笑)。
フロアを見渡すと、すぐそこで『FF』、すぐ隣で『サガ2』を作っているみたいな感じだったのですね。
- 松井
僕が会社に入って最初に座った席は、ちょっと立ち上がるとすぐそこに『聖剣』チームがありました。
- 北瀬
新人を含めて少人数の『聖剣』チームの席から向こう側をちらっと見ると、坂口さん含めた『FF』チームがいて。カッコよく打ち合わせをしているのを見て、「ああ、エリートだな」と思っていたものです(笑)。
北瀬さんは、そのとき『FF』チームに行きたいと思っていたのですか?
- 北瀬
いやいや、先ほど言ったようにゲーム業界は初めてですし、ゲーム開発のスキルもなかったですから。そういう意味では、『聖剣』チームにいたほうが自由にできましたし、たくさん勉強ができてよかったと思います。『FF』チームにいきなり入っていたら、もっとたいへんだったでしょうね。松井くんはプログラムの知識があるから、プログラマーとは対等に会話ができたんじゃない?
- 松井
わからないことばかりでしたよ。“1k”の計算がどうにも合わなくて、1000で計算していたという(苦笑)。
キロはキロでも、“キロバイト”だと2の10乗で1024ですものね。
- 松井
そういう基本的なことがわかっていないのに、知ったかぶりをしてあちこちで話を聞いて回り、「いろいろな話を総合するとこういうことだろうな」という感じで乗り切っていました。どうしてもわからないときは、河津さんに泣きついたりしましたね。最初に「メモリを割ってみて(※)」と言われたときは、「1:2:3の割合でざっくり割るべし。プログラム=1、データ=2、グラフィック=3。あとはワークと音楽に少し確保しておけばいい」とアドバイスをもらったので、それを指針にざっくりと割りました。でも、ワールドマップなどはかなり圧縮しないとあふれそうになっていて、不安になって坂口さんに「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」と聞くと、「これくらい圧縮できるから平気!」と言われたり。それくらい何もわからない状態でしたが、知ったかぶりをしながらなんとか仕事をしていました。
※ゲーム制作時、限られたメモリをどのような機能にどれくらい使用するか、ゲームの内容に合わせてあらかじめ割り振っておくこと。 - 北瀬
“知ったかぶり”をできること自体がすごいと思うけどね(笑)。
当時のプログラマーはきびしい人が多かったという話を耳にしたことがあります。「プログラムのことがわからないヤツはつべこべ言ってくるな!」といった雰囲気の方もいたとか。
- 松井
わからないこと自体にきびしく言われることはあまりなかったですね。聞けば教えてくれますし、「こうやって作るんだよ」と楽しそうに教えてくれる人もいました。ただ、僕はアイデアを思いついた瞬間に「こういうことをしたいです」と言ってしまうタイプだったのですが、そのときに「仕様にないからダメ」と言われてバッサリ切られるのがすごくイヤで……。
初期設計の想定範囲から外れることをよしとしない方はいますよね。
- 松井
それはそれで正論なんです。そんなこともあって、2回目のプロジェクトからは自分でプログラムをするようになったのですが、あまりいいことではないと思っています。本来ならプログラマーとやりとりをするべきで、僕は面倒になってしまったんですよね。自分でやったほうが早いなぁと。
- 北瀬
でも、できてしまうのはすごいと思うよ。当時の僕は2進数すらわかっていなかったから、本当にたいへんでした。
関わりは少なかったがお互いに意識していた?
おふたりは同じプロジェクトで仕事をされたこともありますよね。
- 松井
『FFV』はいっしょでしたね。
- 北瀬
ただ、僕はイベントやシナリオまわりの担当で、松井くんはバトル関連が中心でしたから、直接的な関わりは少なかったですね。
- 松井
「ブレブレ(※)の入手イベント作って!」みたいな依頼はありましたけど。
※ブレイブブレイドのこと。『FFV』に登場した最強クラスの剣だが、戦闘から逃げることで攻撃力が下がっていく。逃げれば逃げるほど強くなるチキンナイフとは対をなす存在。 - 北瀬
いまのゲームのように、フィールドの移動からバトルにシームレスに移り変わるわけではなく、いわゆるエンカウント式のバトルでしたから、作業が独立していたというか。
- 松井
バトルにはシーンの番号を割り振っておいて、“シナリオ側から番号が呼び出されたらそのバトルになる”という形でずっと作っていて、ある程度まで完成したところでシナリオとくっつけるといった感じでした。その作業がうまくいかないことがよくあって、なかなかたいへんでしたね。そこさえ終わってしまえば、あとは楽になるのですけど。
- 北瀬
その話を聞いて、昨年(2020年)に発売した『FFVIIリメイク』で苦労したことを思い出しました。オリジナルの『FFVII』はフィールド移動とバトルが分かれているエンカウント式で、バトルに突入すると画面が切り替わるため、マップのシチュエーションとモンスターの種類に多少齟齬があっても、さほど違和感はなかったんです。ですが、『FFVIIリメイク』ではフィールド上をモンスターが徘徊する形になり、改めて「このモンスターがここにいるのは変じゃない?」となることがありました(笑)。そう考えると、エンカウントバトルは楽だったなと少し感じますね。
- 松井
『ロマンシング サ・ガ』(以下、『ロマサガ』)のように敵が簡易なシンボルで表現されていれば、わらわらといても許される部分はあると思いますが、いまのグラフィックのクオリティでそのままモンスターが徘徊していると、違和感も大きくなりますよね。
- 北瀬
それこそ、『FFXI』もシームレスバトルだよね。制作のときは苦労しなかった?
- 松井
それはもう! 違和感との戦いという意味では、土ではない石畳の上に“コーン!”と出てきちゃうミミズ(ワーム族)とか(笑)。魚(プギル族)も川や海などの水沿いにいるのですが、陸地でも戦えるように“不思議な力で浮いている魚”ということにしました。あと、斜面を上るモンスターの姿勢をどうするかは、本当に悩ましかったんですよ。本来なら、傾斜に合わせて重心を移動させるわけで、平地での姿勢のままだと仰け反ったように見えてしまう。とくにタロンギ大峡谷のキリン(ダルメル族)みたいに背が高いモンスターは、それがすごく顕著になってしまって……。物理演算のルール的に、重力に対して必ず垂直に立つようにすると斜面に立ったときに片方の足が地面につかないという状況が生まれてしまいますし、『FFXI』ではすべてのパターンでうまくいくようなルールは作れませんでした。リアルさを突き詰めていくと、そういう不都合と戦わなければいけないことが増えていくんですよね。
地面がつねに真っ平らなら解決するかもしれませんが、フィールドとしてはつまらないものになってしまいますよね。
- 松井
四足歩行のモンスターも、段差などで宙に浮かないようにしたかったのですが、足を折りたたまないといけないため、『FFXI』の仕様では実現できなくて……。
- 北瀬
最終的にはどうしたの?
- 松井
切り捨てる部分は切り捨てたというか、ある程度割り切って実装しました。モンスターの移動範囲は生息域を設定することである程度制御できるので、見映えが悪くなるところには自分からは行かないようにして、プレイヤーに連れて行かれた場合は仕方ない、というような感じです。
『FFXI』では、そこまで大きな違和感はなかったように思います。言われてみれば、「なるほどなぁ」ということばかりですが……。さて、話を戻しまして。『FFV』以降、おふたりが同じチームになったことはありましたか?
- 松井
『クロノ・トリガー』はいっしょでしたよね。
- 北瀬
僕は途中からだね。松井くんは『クロノ・トリガー』のあと、どのタイトルを担当したの?
- 松井
『サガ フロンティア』と『聖剣伝説 レジェンド オブ マナ』を担当したあと、『FFXI』ですね。
- 北瀬
そうすると、プロジェクトがいっしょになったタイトルとしては『クロノ・トリガー』が最後だね。松井くんは立ち上げ時からいたっけ?
- 松井
僕も途中からですね。バトル班の作業がなかなか進まないからと編入されました。
- 北瀬
じゃあ、僕と同じ時期に入ったのかな?
- 松井
北瀬さんは、もう少し経ってからだったと思います。「開発がぜんぜん進まない!」となっていた状況で、『FFVI』の開発が終わってからチームに入られたような。
- 北瀬
確かに、『FFVI』が終わってからだったかも。『クロノ・トリガー』はなかなかたいへんそうだったよね……。長いあいだ苦労していた記憶があります。
- 松井
僕はその前に『ロマサガ2』に関わっていましたが、そのころには『クロノ・トリガー』のチームは立ち上がっていたはずですね。『ロマサガ2』が終わってから急遽、『クロノ・トリガー』のバトル班に入りました。
- 北瀬
『ロマサガ』の1作目はやってないよね? 僕は1作目は関わっていたんだけど。
- 松井
2作目だけですね。1作目は隣のフロアで作業していて、よく覗きに行っていました。
入社時期がほとんど同じでも、担当するタイトルがこれほど違うものなのですね。そんな中、お互いをどのように見ていましたか?
- 松井
『聖剣』チームの実装作業は北瀬さんで成り立っていると聞いていたので、「新人なのにリーダーシップを取れるすごい人がいるなぁ」という印象でした。ゲームボーイという容量がきびしいハードの中で、実機にゲームの形に落とし込めたのは、やっぱり北瀬さんの腕がよかったのだと思います。
- 北瀬
ゲームボーイは容量が少なくてたいへんでした……。
- 松井
そうやって作られた1作目が、やがて会社の重要なIPへと成長するわけですからね。
北瀬さんから見た松井さんはどうでしたか?
- 北瀬
エリートかつプログラムもできる人という印象もありましたが、いじられキャラというイメージもありましたね。おもに時田さん(時田貴司氏。『FFIV』のゲームデザインなどを担当)ですが、先輩方によくいじられていた記憶があります。
そうだったのですか?(笑)
- 松井
入社してしばらくはそんな感じでしたね(苦笑)。
時田さんと松井さんはともに『FFIV』チームの一員でしたし、同期のような関係なのかと思っていました。
- 松井
社歴では時田さんのほうが長いです。そもそも、その前からMSX(※)でゲームを作っていて、すごくたいへんな現場を知っている方です。ぜんぜん敵わないなと思いつつ、こちらがいろいろ言っても受け止めてくれましたね。そのあと、3倍くらいになって返ってきましたが(笑)。
※1983年にマイクロソフトとアスキー(当時)によって提唱された、8bit/16bitパソコン用の共通規格。
『FFIV』のゲーム内には“かいはつしつ(※)”がありましたが、そこに名前のあるスタッフがコアメンバーだったのでしょうか?
※『FFIV』の隠し要素のひとつ。ドワーフの城から入ることができ、内部では“さかぐち ひろのぶ”など、開発者の名前のキャラクターと会話可能だった。また、バトルとしてエンカウントする開発者もおり(実際の戦闘にはならず会話のみで逃亡)、その中には“まつい あきひこ”もいる。- 松井
“かいはつしつ”にいたのはほぼ全員じゃないかな? 開発以外のスタッフがどこまでフォローされていたのかはちょっと覚えていませんが、そのころの開発チームはそんなに大人数じゃなかったと思います。
- 北瀬
40~50人くらいだったっけ?
- 松井
そこまではいなかったと思います。デザイナーが5~6人、プランナーも5~6人くらいかな? プログラマーが3人くらいで、全部で20人はいなかったはずです。
『FF』のナンバリングというプロジェクトでもそのくらいの人数だったというのは、いま考えるとすごいですね。
- 松井
北瀬さんのところはもっと少なかったですよね。
- 北瀬
10人いないくらいでした。
そう考えると、それぞれのスタッフが責任を持つ領域も広くなりそうですね。
- 松井
時田さんは舞台(演劇)を経験されている方なので、ゲーム画面を舞台のように捉え、キャラクターの出ハケなどを演出していました。一方で、北瀬さんは画面をカメラとして捉え、映像的に『FFV』の演出をしていたイメージがあります。
前職の経験が活きたのですね。
- 北瀬
そうですね。
- 松井
それがすごくカッコよくて、“北瀬演出”という言葉が社内で出るくらいでした。
坂口さんも北瀬さんの演出に刺激を受けたという話を聞いたことがあります。
- 北瀬
坂口さんもかなりの凝り性ですからね。『FFV』のオープニングで、“城の屋上で夜明けから朝になり、飛竜が鳴いて飛び去っていく”という演出をしたのも坂口さんです。いまで言うライティングが意識されていて、朝日が差してから飛竜が飛んでいくまでの流れ、ドラマを作っています。そういうところが凝っているなと思い、これは負けられないなと。それと、松井くんが言った“カメラ的な視点”ですが、確かにその部分は気にしていましたね。『FFV』までのフィールドマップは真上から見下ろした形だったのですが、『FFVI』ではグラフィックの組みかたを工夫し、カメラを少し倒して斜めから見たようなアングルの景色を作って、疑似的に3Dを表現してみました。
- 松井
その後、北瀬さんはプロデュースが中心になり、だんだんと現場から離れていったわけですが、北瀬さんが当時、技術的な制約から諦めていた表現も、いまならできるということも多いと思うんです。個人的には、その点がちょっともったいないなと。
- 北瀬
そういった映像の演出などは、時代の移り変わりやトレンドもあるので、現役世代のセンスが大事だなと思っています。確かに、CGも含めて現在の映像表現には制約が少なく、自由にできるという特性はありますが、イメージ・スタジオ部(※)が作る映像には、「彼らにしか作れないな」というセンスを感じますね。
※ハイエンドなフルCG映像を専門に手掛けているスクウェア・エニックスの映像制作部。プリレンダリングの映像制作を中心とした旧ヴィジュアルワークス部と、リアルタイムレンダリングの映像制作を中心とした旧イメージ・アーツ部が統合する形で、イメージ・スタジオ部が新設された。