松井プロデューサーが『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第6回の対談相手は、『サガ』シリーズの総合ディレクターであり、旧スクウェア時代から開発の第一線で活躍し続けている河津秋敏さん。今回のパート2では、これまでほぼ語られることのなかった河津さんの“オンラインゲームに対する考えかた”や、初めて『FFXI』を見たときの印象などをうかがった。
スクウェア・エニックス 『サガ』シリーズ総合ディレクター。『魔界塔士サ・ガ』や『ロマンシング サ・ガ』を筆頭に、同シリーズのシナリオ、ディレクション、プロデュースなどを担当。『FF』シリーズのナンバリングタイトルについては、1作目と『FFII』のゲームデザイン、『FFXII』のエグゼクティブプロデューサーを務めている。松井プロデューサーにとっては、東京工業大学に在籍していたときの先輩でもある。
河津さんが“オンラインゲームが好きではない”理由
『FF』のナンバリング11作目にしてMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGに挑戦するということを知ったときはどんな印象でしたか?
- 河津
当時、すでに『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』(※)や『EverQuest(エバークエスト)』(以下、『EQ』。※)があったので、MMORPGに挑戦しなければいけないというムードは会社の共通認識としてあったと思います。あとは、“どういう形でオンラインゲームを作るのか?”というだけで、作るのであれば徹底的に作るべきだとは自分も考えていました。
※『Ultima Online(ウルティマオンライン)』は、1997年にサービスが開始された、MMORPGの草分け的なタイトルとなる。
※『EverQuest(エバークエスト)』は、1999年に米国でサービスを開始した海外産のMMORPG。 - 松井
そのとき、河津さん自身に「オンラインゲームを作りたい」という気持ちはありましたか?
- 河津
自分自身はオンラインゲームがあまり好きではないので、そういう気持ちはなかったと思います。
- 松井
それはなぜですか?
- 河津
時間に縛られる感じがどうしても合わなくて……。とくに、ほかの人と時間を合わせなければいけないことがイヤでした。
実際にオンラインゲームをプレイしたときの感想も同様でしたか?
- 河津
最低限はプレイしていますが、やはり自分には合わないと感じました。ほかのプレイヤーがわらわらといる時点で、「ここには行きたくない」となってしまうんです。そもそも、人混みがあまり好きじゃないんですよね(苦笑)。
- 松井
ほかのプレイヤーと関わるゲームという部分で、ハードルが高いと感じてしまう人はいますよね。
- 河津
あと、MMORPGでは「PvP(※)が好き」という人もいれば、「それがイヤ」という人もいますよね。自分はあってもいいと思うのですが、“あってもいいという人と、あるのはイヤという人が同じゲーム内に両極で存在している”のが個人的にはすっきりしないんです。ゲームなのだから、やるならどちらかじゃないと。「どっちでもいいんだよ」とお茶を濁すのは好きではないし、ゲーム的にもおもしろくなくなっていくと思っています。
※Player vs Player。オンラインゲームにおけるプレイヤーどうしの対戦要素のこと。 そういった、両極のプレイヤーが共存する自由度が合わなかったと。
- 河津
もちろん、技術的な挑戦としてオンラインゲームは作るべきですし、新しいおもしろさがそこにあることはわかっています。ゲームの設計を考えるにしても、楽しそうではありますよね。でも、いざ自分が作るかと言われると「自分はいいや」となりました。もし作るとしても、パーティを組まずにひとりで遊べるようなものが作りたいですね(笑)。
『FFXI』は田中さん(田中弘道氏。『FFXI』の初代プロデューサー)と石井さん(石井浩一氏。『FFXI』初代ディレクター)というオリジナルの『FF』のスタッフが指揮を執っていて、一大プロジェクトという感じでしたが、そういった布陣についてはどう思われていましたか?
- 河津
『FFVII』のときは坂口さん(坂口博信氏。『FF』シリーズの生みの親のひとり)の陣頭指揮のもと、『サガ』チーム以外が総がかりで作っていましたが、『FFXI』もそれと同じように、自分のチーム以外の全員がプレイオンライン、もしくは『FFXI』の開発をしていたように思います。そういう、全力を投入して作る感じが“坂口イズム”だと思うのですが、自分はそこには入っていないんですよ。自分は「オンラインゲームはこうじゃなきゃダメでしょ」というところから入るタイプなのですが、そこが坂口さんとは根本的に違うんですよね。坂口さんは「オレがやりたいものを作るんだ」という感じで、自分はそれに対して「坂口さんがやりたいかどうかではなく、オンラインゲームはこういうものでしょ」という話をするので、それが面倒だったんじゃないかなぁ(笑)。
ある種の正論を言う、カウンターとして河津さんがいたのですね。
- 松井
ちなみに、田中さんは「オンラインゲームは純粋におもしろそうだから作ってみたかった」と話していましたよ。
- 河津
いやいや、田中さんも最初は「えー、オンラインゲーム?」という感じで懐疑的だったよ(笑)。それに対して坂口さんが「家にインターネット環境を整えてもいいから、『EQ』をプレイしてみろ」とみんなに勧めたんだよね。そうしたら、田中さんもずぶずぶとハマっちゃって。
- 松井
田中さんはかなり『EQ』にハマっていましたよね(笑)。
“MMORPGを作るにはかなりの物量(=コスト)が必要である”という点についてはどう思われましたか?
- 河津
物量もそうですけど、運営もたいへんなんです。技術的な問題だけではなく、人どうしのコミュニケーションがあるので、そこにもいろいろな問題が発生するでしょうし。それは当時のスクウェアがしていなかったことで、ノウハウがまったくないわけです。それに、最初から“ゴールがずっと逃げていくマラソン”ということも視えていたので、プレイオンラインのプロジェクトには近づきたくないと思っていました(苦笑)。作るだけ作って「完成したから、もう関わらないよ」とは言えないんです。
- 松井
「やるべきことはやったので、後は任せるよ」と言って離れられれば綺麗なんですけどね。やり残したことが山のようにあって、気がついたら『FFXI』を20年作っていました。
完成した『FFXI』を見て、河津さんはどんな印象を持ちましたか?
- 河津
当時、スクウェアがMMORPGを作るということに対して、「きっと作れるだろうけど、本当に大丈夫なのか?」というような、不思議な感じで見ていた気がします。プレイステーション2(以下、PS2)版に加えて、PC(Windows)版も作るということで、技術的なハードルが高いこともわかっていましたし。いまとは比べ物にならないくらい通信環境も悪かったですからね。サーバー側の処理能力の問題など、さまざまな課題があったと思います。そういった困難をみんなで乗り越え、『FFXI』が本当にでき上がっていくのを見て、「『FFXI』チームのみんなはすごいな」と思いました。
- 松井
通信関係では、営業担当も全国を飛び回っていたという話を田中さんがしていました。
- 河津
とくにデザイナー陣のグラフィックの詰めかたはすごかったですね。より本物に近づけていくという方向にシフトしていた時期だったので、それまでの3Dの作りかたとちょっと違うというか。PS2のころはテクスチャーの担当がキャラクターのモデリングまでしていて、少ないポリゴン数でも綺麗に見せられるように工夫をしていたんです。大げさに言えば、“四角いポリゴンモデルを丸く見せる技術”があったと。いまはもう、ふつうに丸く作ればいいので、失われた技術になりつつありますね。そういう、職人芸みたいものをみんなが持っていたころの作品なので、『FFXI』の3Dモデルはいま見てもすごいんですよ。
- 松井
PSからPS2に移る時期で、ハードの性能は上がりましたが、そこまで贅沢にポリゴン数を使えたわけではないんです。MMORPGなのでなるべくキャラクターをたくさん出したいし、他人のキャラクターがどんな格好で出てくるかわからないこともあって、できる限り容量を抑えてもらわないといけない。テクスチャーはたくさんメモリを使うので、デザイナーさんにはどうにかやりくりしてもらうようにお願いしていて……。つらい思いをさせたと思います。
テクスチャーの陰影のみで立体感を出す技術は、いま見てもすごいですよね。
- 河津
その技術がすごく高い。いまだとリアルタイムにベイク(※)しているからね。当時もベイクしないわけではなかったけど、技術的には考えかたが少し違うんだよね。
※ライティングなどの計算結果をテクスチャーに“焼き付ける”こと。 いまはライティングの処理などがリアルタイムですから、あらかじめテクスチャーに陰影が描かれていると都合が悪いこともありますよね。現在はテクスチャーで陰影を出す手法は採られないのでしょうか?
- 河津
メモリがたくさんあればリアルタイム処理ですけど、それだと動きがどうしても弱くなってしまうんですよね。表現したいものと、処理負荷などのハード側の制約で選択していく感じです。
河津さんならではのゲームの作りかた
『FFXI』が発売された2002年ごろ、河津さんは何をされていましたか?
- 河津
みんながプレイオンラインで必死になっているときに、自分はぜんぜん違うことをしていました。ワンダースワン(※)でゲームを作ったりしていたかな。
※1999年にバンダイ(当時)が発売した携帯ゲーム機。翌2000年にはカラー表示のワンダースワンカラー、2002年には液晶画面が改良されたスワンクリスタルが発売。 - 松井
河津さんが作った『ワイルドカード』(※)は名作ですよ。すごい少人数で作っていましたよね?
※2001年にワンダースワンカラー用ソフトとして発売されたRPG。ゲーム内の要素がカードで表現されているのが特徴。 - 河津
デザイナーを除けば、開発部分は自分を含めて3人くらいだったかな?
- 松井
すごいですよね。その当時でも、そこまで小規模なプロジェクトはなかったのではないですか?
- 河津
ワンダースワンだからできたというのはあるかもしれないけれど、なかなかないよね。
全社的にプレイオンラインと『FFXI』の開発をしているところで、河津さんは黙々とご自身の作りたいゲーム開発に打ち込んでいたと。
- 河津
ほかにもiモード(※)の研究が社内で始まっていて、iアプリが展開される直前にドコモさんを訪問したりもしました。携帯電話でRPGを作るということは最初から決まっていたのですが、どうやって提供するのかについて相談したところ、「通信料を考えるとPHSのほうが向いているのではないですか?」というようなアドバイスをいただいたことを覚えています。あとは、課金についても、「ソフト1本1000円くらいにしたいけれど、1000円はなかなか課金できないよね」といったことを悩んでいました。
※NTTドコモが1999年に開始した、携帯電話でWebブラウザやメール、アプリが利用できるサービス。 同じ会社にいるのに、向いている方向がまったく違うというのもおもしろいですね。
- 松井
作りかたとして正しいとは言い切れませんが、当時のスクウェアはその人に合った、いわば属人的な作りかたやチーム構成をよしとする雰囲気がありました。河津組だったらこんな感じ、石井組だったらこんな感じ、といったように、組織の形もついていく人もタイプが違うため、結果的にはそれがスタッフをいちばん有効に使える人員配置だったように思います。
作りたいものの好みや、人の相性もありますからね。当時のスクウェアはチームによって“流儀”がかなり違っていたのですか?
- 松井
チームによって変えようと思っていたわけではなく、“変わってしまう”という感じが正しいのではないでしょうか。やはり、それぞれ大事に思っているものが違いますし、そうすると自然と違った形になっていくのかなと。
- 河津
人数が少なかったころは、“スクウェア流の作法”のようなものがあって、それはプログラマーならプログラマー間、プランナーならプランナー間で最低限の共有はされていました。でも、会社がだんだん大きくなってくると、全体で共有することが難しくなってきますよね。その結果、チームごとに分かれた後でカラーが少しずつ別々になっていったという感じではないでしょうか。そして、一度別になってしまったものが、またひとつに混ざれるかというと、作業のしかたもぜんぜん違うからなかなか混ざれないですよね。セクションをまたいでいっしょにやるプロジェクトもあまりないですし、企画書の書きかたも違う。プログラマーの作法にしても全部違うので、共有すること自体が難しくなっている感じです。
ワンフロアでいっしょに作業していたころとは違うと。
- 河津
プログラミングの作法で具体例を挙げると、“プログラムの先頭には自分の名前と最初にファイルを作成した日付を書く”とかですね。そういうルールをきちんと定めているチームがある一方で、まったくやっていないチームもあるんです。そういうところから違っていて、チームごとの文化の差というのはどうしても存在します。
河津さんご自身は、そういうルールがしっかりと定められているほうがいいですか?
- 河津
自分も忘れがちなので、ちゃんとしていると見やすいですよね。フォーマットが決まっていて、フォーマットに則るというのは楽ではあります。
- 松井
主たるスタッフの人柄がそのチームのカラーになるみたいなところもありますよね。
いまも“河津組”としてのルールは残っているのですか?
- 河津
自分的には明確なものはないと考えていますね。あればあったで楽ですけれど、楽をすることが必ずしもいいことではありませんから。僕個人は、自分がやりやすいようにやっているだけであって、別の人にとっては必ずしもやりやすいわけではないでしょうし、ほかのメンバーはもう少し標準的なやりかたでやったほうがいいのかな、と思うことはあります。世の中にある標準的なやりかたというのは、そのようになる理由が必ずあるので、それに従うことは合理的なんですよ。
- 松井
話は変わりますが、河津さんがバトルなどのシステムを作るときはロジカルに詰めていく印象がある一方で、ストーリーを考えるときはどうされているのですか?
- 河津
ストーリーはあまり作っていないですが、昔はシナリオを書いた後に展開とフラグの処理を考える感じで、フラグの設計を最初に作っていたかな。『サ・ガ2 秘宝伝説』のときは、そこに簡単なト書きだけ付けて、「あとはよろしくお願いします」と田中さんに渡して実装してもらいました。いまは最初から最後まで自分で書いているので、けっこうやりかたはデタラメですね。キャラクターが“自分で動き出してくれる”のを待つ、といった感じです。
- 松井
いまはプロットを作っているわけではないんですね。
- 河津
キャラクターが動いてくれるまで待たなくてはいけないので、本当はあまりよくないんだけどね。
その場合、脚本部分だけを先に考えるのではなく、フラグの処理と並行して考えていくのですか?
- 河津
それはそうですね。ゲームはテクニカルなものだから、フラグとして処理できないものはゲームとして体験してもらえません。そうでないと、ただお話を読むだけになってしまいますし、それでは小説やマンガ、映画に敵わない。ゲームは“プレイヤーに体験してもらえる”のがいいところなので、“プレイヤーがこう操作すればこうなる”という部分では、気持ちがいいもの、おもしろいと思ってもらえるものを狙って作っていますね。
- 松井
フラグと言えば、『サガ』チームに入ってびっくりしたことがありました。それまでフラグは“0か1”だと思っていたのですが、『サガ』チームでは“0~15”という値のフラグを使っていたんです。それを、あるキャラクターの存在フラグが“2~4”のときはAの街にいる、それ以外のときはBの街にいる、といった感じで使っていました。特定のタイミングで同じキャラクターが複数の場所にいると、かっこ悪いんですよ。このフラグ管理ではそういったところをきれいに排他処理できるのですが、一方で設計する人が苦労しそうだな、とも思いました。
- 河津
それは安達さん(安達景太郎氏。『魔界塔士サ・ガ』のプログラムなどを担当)のアイデアだね。たとえばフラグを4ビットで管理しようとしたとき、それぞれの“0”を個別にオン、オフするという形だと4つの状態(0001, 0010, 0100, 1000)しか作れないけれど、2進数の“0000”という数字として捉えれば16段階の状態が作れます。これを使うと、順番に物事が進むものについては合理的かつ少ない容量でフラグを管理できるため、これ以後はそのやりかたを踏襲していますね。
- 松井
全部が独立した事象だったら16ビット必要になりますが、そうではないものはまとめてしまったほうが少ない容量で管理できるし、少ないビットで大きい数を扱えるということですね。『サガ』チームに行くと、毎回そういう発見がたくさんあってすごく勉強になりました。いろいろな技術を得られて、つぎのプロジェクトで役に立てられたので、ありがたかったです。
そのようなフラグ管理では、プレイヤーの状態を“最初から最後までの連続”として捉える必要があり、全体を通して設計しなければならないのでプランナーはたいへんそうに思いますが、いかがでしょう?
- 河津
一度そういう方法に慣れてしまえば、そうでもないと思いますよ。そもそもプログラマーがプログラムできないことはゲームに実装できないので、プログラマーとやり取りをして、いかにこちらの意図をプログラムに乗せてもらうかですから。先ほど話に出た「理屈はわからなくていいから、とにかくやってくれ」というのも含めてね(笑)。
松井さんはそういった新しい技術やアイデアが好きそうですよね。
- 松井
そうですね。いまのフラグの話にしても、16ビットにしておいたほうが汎用性の高いものが作れますが、容量を切り詰めるために、何かを捨てて4ビットという形にしていたのだと思います。ただ、最初に全体を見て必要なものと不要なものを見極めないとそういう仕様は切れないので、すごいなぁと思いながら作業をしていました。
- 河津
昔は使える容量が少なかったので、必然的に「今回はこの4ビットを何に使うか?」というところから入らないといけなかったんですよ。毎回同じ使いかただと同じことしかできないので、これまでとは違うおもしろさを生み出そうとするなら、その4ビットの使いかたをガラッと変えるしかありませんでした。逆に、いまは何でもできてしまうので、最初に意思を持って“何をするか”を決めなければならず、ゲームの設計は難しくなっていると思います。コストさえ考えなければ、やろうと考えたことを全部ゲームに乗せることができてしまいますから。