松井プロデューサーが、『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第11回の対談相手は、『FFXI』と同じく2022年で20周年を迎えるMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGの『ラグナロクオンライン』(以下、『RO』)に深く関わってきた岩田容賢(いわたよしただ)さん。奇しくも同年にサービスが開始された『RO』と『FFXI』の中核にいたおふたりは、お互いのタイトルをどのように見ていたのだろうか。パート1となる本稿では、おもに岩田氏が『RO』のゲームマスター(以下、GM)となった当時のオンラインゲーム業界について語っていただいた。
ガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社(以下、ガンホー) 開発本部 運営担当本部長。『RO』の日本向けサービスが開始する2002年に、GMとして同社に入社。その後はGMチームを率いるとともに、『エミル・クロニクル・オンライン』、『グランディアオンライン』などのMMORPGの開発・運営を担当した。2010年以降は、社内のプロジェクトの運営を統括する開発本部の運営担当本部長として、多数のタイトルに関わっている。
韓国のゲーム開発会社・グラビティが制作したPC用オンラインゲームで、2002年8月以降、全世界でサービスを運営中。日本ではガンホーにより2002年12月から正式サービスが開始されている。3Dのフィールドと、2Dのかわいいデフォルメキャラクターが特徴。
コミュニケーションのおもしろさに惹かれてオンラインゲーム業界へ
まずは、岩田さんがガンホーに入社したきっかけを振り返っていただけますか。
- 岩田
私が学生だった2000年前後は、高速なインターネット環境が一般家庭に普及しはじめていて、“ブロードバンド時代”が到来していたころでした。そして、それと合わせてオンラインゲームという新たなジャンルのゲームが登場し、私もどっぷりとハマっていた中、当時αテストが行われていた『RO』のことを知ったのです。
入社のきっかけ自体が『RO』だったのですね。
- 岩田
はい。『RO』の日本サービスが開始するタイミングで、運営会社がGMを募集していることを知ったのが直接の入社のきっかけですね。この運営会社、つまりガンホーの名前はそれまで聞いたことがなかったのですが、「オンラインゲーム業界で働きたい!」という一心で入社しました。
当時の岩田さんは、オンラインゲームのどのような部分に魅力を感じていたのでしょうか?
- 岩田
いちばん大きかったのは、さまざまな国や地域のプレイヤーと、一期一会のコミュニケーションを楽しめるところです。それこそ、レベル上げやダンジョンの攻略などを行わずとも、チャットでコミュニケーションを取っているだけで、思わず徹夜してしまうくらい刺激的でした。きっと将来的には、大半のゲームが何かしらの形でオンラインに対応する時代も来るだろうな、と感じたほどです。
- 松井
オンラインゲームが登場して間もないころは、まわりのプレイヤーも含めて初心者ばかりで、その雰囲気も新鮮でしたよね。
- 岩田
ええ、懐かしいですよね。その後に時代が進化して、PCのスペックやグラフィックなどがどんどん向上していきましたが、少なくとも当時のオンラインゲームのおもしろさの本質はそういった技術的な部分ではなく、“コミュニケーションそのもの”にあったのではないかと思います。
2交代制で行った『RO』のゲームマスター業務
- 松井
当時のPCゲーム市場には、ほかにも数々のオンラインゲームがありましたが、岩田さんが『RO』に着目した大きな理由は何だったのでしょう?
- 岩田
当時はほかにも、『Diablo(ディアブロ)』(※)や『Ultima Online(ウルティマオンライン)』(以下、『UO』。※)などがあり、いずれもクオリティーが高い作品でした。しかし個人的には、キャラクターや画面の作りなどが全体的に“洋ゲー”然としているのが気になったのです。一方で『RO』は日本のゲームからの影響も随所から感じられ、キャラクターの見た目などもとっつきやすく、きっと日本でもウケるだろうな、と感じました。
※『Diablo(ディアブロ)』は、1996年に発売されたハックアンドスラッシュ系アクションRPGで、MO(複数プレイヤー参加型オンライン)RPGの先駆けとなるタイトル。
※『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』は、1997年にサービスが開始された、MMORPGの草分け的なタイトルとなる。 その後、ガンホーに入社された後の『RO』のGM業務はいかがでしたか?
- 岩田
もう、とにかくたいへんでした。当時はオンラインゲーム事業のスキームが確立されておらず、社内の部署も細分化されていなかったので、雑事を含む多岐にわたる業務をこなす必要がありました。いまでは考えられないことですが、GM業務も2交代制で行っていたんですよ。
24時間絶え間なく行われるMMORPGのサービスで2交代制ということは、単純計算で12時間勤務ということですか……。
- 松井
それはキツかったでしょうね……。『FFXI』のサービス開始時のGMシフトは3交代制だったと記憶しています。
- 岩田
『FFXI』のサービス開始当初のGMチームの体制は、どのようなものだったのですか?
- 松井
いちばん初めは、当時のプロデューサーである田中さん(田中弘道氏。『FFXI』初代プロデューサー)をはじめ運営メンバーが、『UO』のGMチームを率いていたSage Sundiさん(セージ・サンディ氏。『FFXI』の元グローバルオンラインプロデューサー)にお願いして、『FFXI』のGM体制を作り上げました。当時『UO』の日本サービスを行っていたエレクトロニック・アーツ・スクウェアは、スクウェア(当時)の合弁会社だったので、横のつながりなどもあったのです。さらに、スクウェア社内の全タイトルのユーザー対応を行うチームを編成して、『FFXI』のGM対応はその業務のひとつという形でスタートしました。
スクウェア・エニックスには全タイトルのユーザーサポートを行う“コミュニティ&サービス部”が存在していますが、そのルーツは20年前からあったわけですね。
- 岩田
その点、当時のガンホーはスクウェア・エニックスさんのように洗練されていなかったですね。むしろ、入社した新しいスタッフに対して「まずはGMを担当させて、スキルを見る」といったところがありました。GMの業務を行ってもらいつつ、各々の希望や適正などを踏まえて、ゲーム開発や公式サイトのデザイン、カスタマーサポートなど、各部署に配置していったのです。その後『RO』が好評を博し、ガンホーが扱うタイトルやスタッフの人数も増えていきますが、私個人としてはGMチームを率いるようになったことで、あわただしい日々が長く続いていましたね。