2022年5月の都内某スタジオ。『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)のコンポーザー・水田直志さん率いる音楽ユニット“ナナーミーゴス”が、新曲のレコーディングを行った。今回はまさにその収録の現場に突撃し、インタビューを敢行。水田さんが音楽家を志すことになったきっかけに始まり、『FFXI』チームに入った経緯、そして今回の新曲のことまで、たっぷりと話をうかがった。その内容を、前後編の2回に分けてお届けしよう。
スクウェア・エニックスのコンポーザー。『FFXI』の楽曲のほとんどを手掛ける。そのほかの参加作品は『ファイナルファンタジーXIII-2』、『ファイナルファンタジーXV エピソード プロンプト』、『ストレンジャー オブ パラダイス ファイナルファンタジー オリジン』など。
作・編曲家、ピアニスト、キーボーディスト。さまざまなアーティストとの共演のほか、アニメやゲーム、CMなどの劇伴も手掛ける。ナナーミーゴスにはキーボーディスト、アレンジャーとして参加。
バイオリニスト。さまざまなアーティストのライブ、レコーディングでソリスト、アレンジャーとして参加。ナナーミーゴスの“センター”として、レコーディングにライブステージに活躍する。
音楽家を目指したのは就職活動を開始してから
これまで、水田さんの来歴についてはあまりお聞きする機会がなかったのですが、この際ですので、そこから始めてよろしいでしょうか?(笑) そもそも、水田さんが音楽の道を志すことになったきっかけは、どういったものだったのでしょう?
- 水田
音楽自体はもともとすごく好きで、その原体験とも言えるのがYMO(※)ですね。確か、小学校3年生か4年生のときに、親が貸レコード屋さんでYMOのレコードを借りてきてくれたんです。「直志、こういうのが好きでしょ?」って。
※イエロー・マジック・オーケストラ。1978年に細野晴臣氏、高橋幸宏氏、坂本龍一氏によって結成された音楽グループ。 なかなかハイセンスな親御さんですね(笑)。そのレコードは有名な2作目の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』ですか?
- 水田
いえ、1作目の『イエロー・マジック・オーケストラ』です。『東風』とか『中国女』が収録されていたアルバムですね。それを聴いてみたら、子どもながらに「なんだこれは!」と衝撃を受けました。自分は小さいころからシンセサイザーの音に興味があったみたいで、ふだんからそういう音に惹かれていたんでしょうね。親がそれに気づいて、YMOを与えてくれたと。初めて音楽というものに衝撃を受けた瞬間です。
音楽的な嗜好はその時点で定まった感じがしますね。そこから今度は「音楽を職業にしよう」となっていくわけですが、どういう経緯だったのでしょうか。
- 水田
音楽と同じくらいビデオゲームが好きで、放課後はゲームセンターに直行するような学生生活を送っていました。音楽は音楽で好きだったので、自分でシンセサイザーを買って音色を作ったりはしていましたが、それを仕事にしようとまでは考えていなかったんです。
でも、転機が来るわけですよね。
- 水田
本当に何も考えていなかったんですよ(笑)。一応、高校は進学校でしたので、「大学には行くんだろうな……」くらいのイメージしかなくて。それで大学4年生になったときに、はたと気づいたのです。「あれ? 来年の4月から自分は何をするんだろう……?」と。それまで敷かれたレールをただ漠然と走ってきたんですけど、ここから先の準備は自分でしないといけないんだと、大学4年になって気づくんです(苦笑)。
ギリギリまで引きつけましたね(笑)。
- 水田
それで、「みんなが就職活動をしているのはそういうことか……」と遅まきながら気がついて、急に焦り出すという。
- 岡部
でも、音大生のマインドも似たようなものですよ(笑)。
- 水田
その現実と向き合うまでは、『ストリートファイターII』(※)で対空技をどうするかとか、どの技に対してどの技が有利だとか、そんなことばかり考えていました (笑)。
※1991年にアーケードゲームとして登場し、空前の大ブームを巻き起こしたカプコンの対戦格闘ゲーム。通称『ストII(ツー)』。 - 一同
(笑)。
- 水田
“レールはここで終わり”とようやく気づいて就職活動を始めるわけですけど、どうせなら自分の好きなことをこのまま続けたいと思いました。とにかくゲームが好きだったのでゲーム会社に狙いを定めましたが、音楽もゲームに負けないくらい好きだし、であれば「ゲーム会社で音楽を作る仕事なら、好きなことを両方できるじゃん」と思いつきました。
- 伊賀
一石二鳥ですね。
- 水田
そこで、求人情報誌に載っていたゲーム会社のうち、サウンドの部門があるところにデモテープを送りました。3社か4社くらい受けて、最初にカプコンさんから内定をいただけたので、「行きます! 行きます!」と即決した感じです。『ストリートファイターII』が好きでしたしね(笑)。
当時のゲーム音楽、とりわけアーケードゲームでは、メーカーごとに独自の音源を開発していたり、サウンドの傾向などもずいぶん違っていたりして、特定の会社に行きたいという想いはなかったのでしょうか?
- 水田
個人的な好みはもちろんありましたけど、「潜り込めるならどこでもいい」と必死でしたね。
なるほど。仮に、ナムコ(当時。現バンダイナムコエンターテインメント)から先に内定をもらっていたら、そちらに行っていた可能性もあったと。
- 水田
そうなっていたと思います。
ともあれ、大学4年生から就職について考え始めたにもかかわらず、第一線のゲーム会社で音楽家としてのキャリアをスタートできたのですね。
- 水田
あとから聞いた話ですが、自分が就職活動をしていた時期はカプコンさんが大量に新卒を採用していたようで、間口が広かったみたいですね。
とはいえ、誰でも受かるわけではないと思いますが……。
- 水田
そうかもしれないですけど、いまのゲーム会社は「好き」という気持ちだけでは入れないほどの狭き門ですから、自分は運がよかったんだと思います。
環境の変化を求めてスクウェアへ
その後、水田さんはカプコンからスクウェア(当時)に活動の場を移すわけですが、どういった経緯だったのでしょうか?
- 水田
カプコンさんでは順調に仕事をさせてもらっていたのですが、何と言いますか……当時の体育会系のノリがちょっと合わないなと思うことがあったんです。誤解しないでほしいのですが、あくまで当時の話ですよ。
- 岡部
水田さんは体育会系とは対極にいますよね(笑)。
- 水田
僕も若かったので、クールに仕事をしたいという気持ちがあって(苦笑)。若気の至りというやつです……。お恥ずかしい。
それで転職しようと。
- 水田
いま振り返ってみても、カプコンさんは楽しい人が集まっているとてもおもしろい職場でした。何の経験もない自分を迎え入れてくれたのに、ある程度仕事ができるようになったところで「辞めます」とか……ふざけた話ですよね(苦笑)。いまの自分だったらそんなことでは辞めないですけれど、いろいろな意味で若かったのでしょう。
スクウェアに大阪開発部があったころですよね。その点でもスクウェアへの転職は都合がよかった感じでしょうか。
- 水田
そうですね。住まいはそのままで、スクウェアに転職しました。最初の仕事は『パラサイト・イヴ2』(※)だったのですが、いま思うとスクウェアの大阪開発部は即戦力になる人をちょうど探していたのかもしれません。
※1999年にプレイステーション向けに発売されたアドベンチャーRPG。瀬名秀明氏の小説を原作としたゲーム『パラサイト・イヴ』の続編。 『パラサイト・イヴ2』が1999年12月の発売ですから、ほどなくして『FFXI』のチームに合流という感じでしょうか。
- 水田
はい。ご存じの通り、大阪のチームごと東京に行きました。大阪には開発チームがほとんど残らないとのことだったので、「東京(本社)に行きますか?」と聞かれて「行きます」と答えたという形です。
東京に行くにあたって、『FFXI』のプロジェクトに参加するということはあらかじめ知らされていたのでしょうか?
- 水田
自分は知らなかったですね。東京に来たはいいけれど、自分は何をするんだろう……? といった感じで、しばらくはやることがなくて、そうしたらある日、「『FF』シリーズで新しいタイトルをやるけど、どう?」と聞かれたんです。
そこで「はい」と答えて、気がついたら20年と。
- 水田
そうなりますね(笑)。
すべての曲にある“納得感”
水田さんが『FFXI』のプロジェクトに入ったときは、植松さん(植松伸夫氏。『FF』シリーズ全般で楽曲を手掛けるコンポーザー)や谷岡さん(谷岡久美氏。作・編曲家、ピアニスト)はすでに制作に入られていたのですか?
- 水田
プロジェクトに入った時期は3人同時ですね。すでに楽曲の発注リストがあったので、「誰がどれをやる?」といった感じで話し合っていきました。どんな風に決めたのかはあまり覚えていないのですが、機械的に割り振っていったような気がします。
3人でひとつのタイトルの楽曲を制作するにあたって、何らかのルールはあったのでしょうか?
- 水田
これといって決めてはいなかったです。ただ、植松さんからは「『FFXI』ではシンセ系の電子音は基本的に使わないようにしよう」と言われたのを覚えています。
あれ? でも植松さんが手掛けられた『Airship』は、主旋律がもろ電子音のシンセリードで演奏されていますよね?
- 水田
自分も、初めて『Airship』を聴いたときは「あれー?」と思わなくはなかったです(笑)。
植松さんには理由を聞かなかったのですか?
- 水田
いえ、あまりお互いの曲に対して言い合う文化がなかったので、「何か考えがあるのだろうな」という感じでした。
飛空艇は『FF』シリーズでは特別なものですし、植松さんの中でしっくり来るものがあったのでしょうね。
- 水田
そうだと思います。
『FFXI』は運営を開始してから20年が経つわけですが、いまこの瞬間も20年前に作った楽曲をプレイヤーの誰かが聴いているということ、20年間聴かれ続けているという事実にどう思われますか?
- 水田
20年前に作った曲がいまも聴かれているということに関しては、「ちゃんと納得するまでやっておいてよかったな」と思いますね。「もう、これで完成でいいや」と妥協したり、しっくり来ていない状態で出すことは絶対にしなかったんです。
すべての楽曲でやり切っていると。
- 水田
手を抜かなかったからこそ、長い年月に耐えられるものになったのだと思います。へたをしたら、「あの曲はこうしていたらよかったな」という後悔が20年続いていたわけで、考えるだけでもゾッとします。
- 伊賀
それはすごいストレスですね。
- 岡部
「やめてー! 聴かないでー!」ってなっちゃう。
音楽に限ったことではありませんが、20年前の自分の仕事と向き合うとき、その当時に納得感がないとつらいものになりますね。
- 水田
楽曲制作のテクノロジーも進化していますし、自分自身の音楽的な技術も当時からは積み上がっている部分があるので、「いまだったら音色はこうするだろうな」とか「こういうミックスにするだろうな」というところはもちろんありますよ。そういう技術的な面ではなく、音楽のコアな部分について納得感があるということです。
- 伊賀
その最たるものがメロディラインですよね。力を尽くして納得しているからこそ、たとえばナナーミーゴスで新しい形として表現することもできると。
- 水田
そうですね。メロディの音符の並びを変えることはほとんどないです。
この20年間で、水田さんの音楽的な傾向は変わりましたか?
- 水田
すごく変わりましたよ。でも、自分たちの場合はそれが仕事に100%反映されるわけではないので、楽曲を聴いただけではわからないかもしれませんね。自分たちの仕事で重要なのは、ゲームにどんな音楽が必要なのか、発注者がどんな曲を求めているか、なんです。
確かに、傾倒しているジャンルがあったとしても、オーダーの内容と噛み合わなければ表面化はしにくいでしょうか。
- 水田
「きっと気づかないだろうなぁ……」と思いつつ、エッセンスとして紛れ込ませたりすることはありますけどね(笑)。
※後編は8月31日に公開予定