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-WE DISCUSS VANA’DIEL- 特別座談会
節政暁生&安倉剛司 パート2

松井プロデューサーが、『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行う“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。今回はその特別編として、『FFXI』の藤戸洋司ディレクターを交えた座談会をお届けする。そのお相手は、日本のオンラインRPGの先駆者である『ファンタシースターオンライン』(以下、『PSO』)シリーズを手掛けてきた、節政暁生(せつまさあきお)さんと安倉剛司(あぐらつよし)さん。まさに家庭用ゲーム機におけるオンラインRPG開発の黎明期を体験した4人が、当時の苦労や開発秘話などを計4回にわたって語り合う。そのパート2では、1990年代後半のオンラインゲームや、『PSO』開発時のネットワーク事情について語っていただいた。

節政暁生

株式会社セガ『ファンタシースターオンライン2 』(以下、『PSO2』)ネットワークディレクター。ソニックチームで『NiGHTS into dreams...(ナイツ)』や『バーニングレンジャー』、『ソニックアドベンチャー』などの作品にプログラマーとして携わる。『PSO』ではメインプログラマーとして参加。また『ファンタシースターユニバース』(以下、『PSU』)ではネットワーク全般を担当し、以後同シリーズすべてにかかわっている。

安倉剛司

株式会社セガ『PSO2 ニュージェネシス』サーバーパートプログラムリーダー。『ぐるぐる温泉2』、『サクラ大戦オンライン』、『ぐるぐる温泉3』など、ドリームキャストで発売された複数のオンラインゲームに加え、『エターナルアルカディア レジェンド』の開発にも携わる。『PSU』より『PSO』シリーズに参加し、以後節政氏とともに同シリーズを支えてきた。じつは、βテスト時代からの『FFXI』プレイヤーでもある。

ファンタシースターオンライン

2000年にセガから発売されたドリームキャスト用アクションRPG。家庭用ゲーム機初の3DオンラインRPGとして、世界中の人々とのオンラインプレイを実現させた。現在はシリーズ最新作『PSO2 ニュージェネシス』がサービス中。

多くのゲーム開発者に影響を与えた『ディアブロ』

  • オンラインゲームは、おもに1990年代後半から、ゲームファンのあいだで流行し始めました。その中で節政さん、安倉さんが最初に意識したオンラインゲームはどれでしたか?

  • 節政

    自分が最初におもしろいと思ったタイトルは『Diablo(ディアブロ)』(※)で、これはオンラインゲームの“走り”としてはすごくよくできていました。寝る前にちょっとプレイしようとしてうっかり死んでしまったりすると、死んだキャラクターの装備を回収しないといけなくなるのです(※)。それで、けっきょく徹夜になってしまったことが何度もありました。ですから、死んでしまったメインキャラクターの装備を回収するために、サブキャラクター用のPCをもう1台用意するといったこともしていましたね。

    ※『Diablo(ディアブロ)』は、アメリカのゲーム会社Blizzard Entertainmentから発売されたハックアンドスラッシュタイプのアクションRPG。MO(複数プレイヤー参加型オンライン)RPGの先駆け的なタイトル。
    ※『ディアブロ』では、モンスターに倒されると、その時点で装備していたアイテムをすべて地面にバラまいてしまう。
  • 松井

    当時、『ディアブロ』に熱中した人が多かったことはよく聞きますが、節政さんはどこが魅力だとお考えですか?

  • 節政

    あのころのRPGと言えば、ストーリー重視で映画的な演出のものが多かったと思いますが、『ディアブロ』をプレイしていると、なんだか昔ながらの懐かしいゲームを遊んでいたときの感覚が蘇ってくるという点でしょうか。ただひたすら敵を倒していくということをくり返していた、レトロゲームのような感覚といいますか……。あとは、ゲーム内に自分以外の他者が存在することによって、“自分の思い通りのプレイができない”ということが、逆におもしろいと感じました。

  • 節政さんは以前、『ディアブロ』を開発したBlizzard Entertainmentを訪問されたことがあるとうかがっています。

  • 節政

    1998年のE3(※)の後に、Blizzard社を訪問しました。当時すでにドリームキャストが発表されていたので、「ドリキャスでゲームを作りませんか?」という売り込みと、あわよくば『ディアブロ』をドリームキャストで出してもらえないか、という願望も兼ねた訪問です。結果はやはり「家庭用ゲーム機とPCでは作りかたが違うので難しい」と、やんわり断られてしまいました。しかし一方では、ネットワーク関連や『ディアブロ』のことなどに加えて、自分が好きだった『StarCraft(スタークラフト)』(※)についてもいろいろと質問に答えていただいて、とてもうれしかったことを覚えています。

    ※E3はElectronic Entertainment Expoの通称。ロサンゼルスで開催される、世界最大級のゲーム見本市。
    ※『StarCraft(スタークラフト)』は、アメリカのゲーム会社Blizzard Entertainmentが開発したオンラインRTS(リアルタイムストラテジー)。
  • 松井

    安倉さんのオンラインゲーム体験の原点となったタイトルは何ですか?

  • 安倉

    学生時代はそれほどオンラインゲームに注目していませんでした。ゲーム誌に掲載されていた記事で『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』(以下、『UO』。※)などの存在は知っていたのですが、実際にプレイするまでには至っていませんでしたね。その後、セガに入社し『ぐるぐる温泉2』を作ることになって、「まずはこれをやれ」と会社の人に言われてプレイしたのが、やはり『ディアブロ』でした。当時はセガ社内でも『ディアブロ』が大流行していて、昼休みになるとひたすらプレイしている人がいました。

    ※『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』は、1997年にサービスが開始された、MMO(多人数同時参加型オンライン)RPGの草分け的なタイトルとなる

  • 松井

    『ディアブロ』以外でプレイされていたオンラインゲームはありますか?

  • 安倉

    2000年代前半は本当にたくさんオンラインゲームが発売されていたので、かなりの数の作品をプレイしました。βテストの募集があると、片っ端から応募していましたね。それによっていろいろな作品のいいところ、悪いところの知見が溜まっていきました。

  • 坂口さん(坂口博信氏。『FF』シリーズの生みの親のひとり)が『FFXI』の開発チームに対して『EverQuest(エバークエスト)』(※)を勧めていたことは有名な話ですが、『ディアブロ』については松井さんや藤戸さんもプレイしていましたか?

    ※『EverQuest(エバークエスト)』は、1999年に米国でサービスを開始した海外産のMMORPG
  • 松井

    自分はPC版の『ディアブロ』をプレイしたことはなかったのですが、プレイステーション(以下、PS)の移植版を遊んだことがあります。PS版にはオンライン機能はなかったのですが、ハックアンドスラッシュの楽しさやアイテムのビルドには魅力を感じました。オンラインでのマルチプレイこそなかったものの、PS版にもちゃんと協力プレイ時のフレンドリーファイア機能があったり、マップがランダムに自動生成されていたりと、技術的にもすごいと感じた部分がたくさんありましたね。その後、ちょうど『FFXI』を開発している時期に『ディアブロⅡ』が発売されたので、そちらも“研究”と称してプレイしてみました。そのせいで少し開発が遅れたかもしれませんが(笑)。

  • 藤戸

    『ディアブロ』をプレイしていると、敵が落としたアイテム名の色が違うだけで(※)「やった!」ってすごく盛り上がりますよね。また、うっかり開けた扉から強力なボスが「Fresh Meat!」と叫びながら出てきて、けっきょく全滅してしまうとか……(※)。節政さんがおっしゃっていたように、『ディアブロ』は死亡のリスクが高いゲームだな、という印象がありました。

    ※『ディアブロ』のアイテムは、ノーマルアイテムは白色、マジックアイテムは青色、ユニークアイテムは金色で表示される。
    ※『ディアブロ』のダンジョン2層のある部屋にいる中ボス“The Butcher”は、扉を開けると「Oh, Fresh Meat!」と叫んで突進してくる。『ディアブロ』の代表的な人気キャラクターで、『ディアブロⅢ』にも登場している。

  • 節政

    “開けてはいけない扉”などがありましたよね(笑)。

  • 藤戸

    一方で、自分は『ディアブロ』よりも、『UO』での素材を収集したり、アイテムを作ったりといった箱庭的な部分に惹かれました。あの広大な世界を探索するもの好きで、フィールドのどこに行ってもプレイヤーとモンスターがいるのを見て、「これ、作るのたいへんだったろうなぁ」と感心したのを覚えています。ただ、いつものんびり探索できるわけではなく、『UO』にはPK(※)という人たちがいまして……。エリアチェンジをすると、PKにやられた死体があちこちにゴロゴロ転がっていて、自分もいつの間にか死んでいるといったことがよくありましたね。

    ※Player Killer(プレイヤーキラー)の略。ほかのプレイヤーを攻撃・殺害するプレイヤーを指す。

いち早くインターネットに対応したドリームキャスト

  • その後、2000年前後に多数のオンラインゲームが誕生し、その中でいよいよ『PSO』が登場するわけですが、それには1998年に発売されたドリームキャストというハードの存在が欠かせなかったと思います。このドリームキャストについて、節政さんと安倉さんからその印象を聞かせてください。

  • 節政

    セガ社内では、ドリームキャストの開発に着手する前に、「つぎにゲーム機を作るとしたらどのようなものがいいか」、「どのようなゲームを作りたいか」というアンケートが実施され、開発にも依頼が来ていました。その回答で多かったのがやはり「つぎにユーザーにウケるものはオンラインゲームだろう」ということで、そうであればモデムは絶対必要だと。それで、あのような仕様になったのだと思います。

  • 松井

    先見の明がすごいですよね。当時の自分は“通信”や“オンライン”といったら、ゲームボーイの通信ケーブルのイメージ止まりでした。1999年の『聖剣伝説 レジェンド オブ マナ』の開発時は、メモリーカードを使って友だちといろいろなものをシェアするシステムを取り入れたりもしましたが、それに対してドリームキャストはもう“インターネット”でしたからね。

  • 節政

    ただ、インターネットに接続できるといっても、プロバイダに加入していない人は当時多かったと思うので、“セガプロバイダ”(※)という自前のプロバイダも立ち上げました。社長だった大川(大川功氏。セガ社長および会長を歴任)が当時、インターネット事業に熱心で、その後押しも大きかったと思います。ドリームキャストには『ドリームパスポート』(※)によるWebブラウザも搭載されていたので、これで初めてインターネットに触れたという人も多かったのではないでしょうか。

    ※セガプロバイダはドリームキャスト専用として用意されたインターネットサービスプロバイダで、2000年5月まで料金無料で利用することができた。その後、2000年6月に株式会社ISAOへ承継され、“isao.net”に変更。
    ※『ドリームパスポート』はドリームキャスト用のメーラーとWebブラウザをまとめたソフト。ドリームキャスト本体に同梱されており、このソフトがあればPCと同様にインターネット上のWebサイトを閲覧できた。
  • 松井

    安倉さんはちょうど2000年にセガに入社されたとのことで、すでにドリームキャストは発売された後ですね。

  • 安倉

    学生時代にはもう発売されていて、ドリームキャストにモデムが搭載されていたことについては、とくに注目していませんでした。単に、“新しく発売されたハードのひとつ”というくらいにしか考えていなかったのですが、入社してすぐオンラインゲームを開発することになったので、それからはドリームキャスト=オンライン専用機のような感覚で触れていましたね。

  • 藤戸

    オンラインRPGとして『PSO』の開発がスタートしたのは、いつごろになるのでしょうか?

  • 節政

    『ソニックアドベンチャー』(1998年12月23日発売)の開発が終わって、つぎのタイトルはどういったものを作ろうかという段階で、すでにオンラインゲームであることは決まっていました。と言いますか、むしろ自分がずっと「オンラインゲームを作らせてくれ」と言い続けていたので、その希望が叶った形です。

  • 当時はまだADSL(※)が普及する前で、ナローバンドでの通信が前提だったと思います。その環境下でオンラインゲームを開発するうえで、なにか障壁になったことはありますか?

    ※ADSLは大容量のブロードバンドインターネット接続が可能な高速デジタル通信。日本では2001年ごろに急速に普及していった。
  • 節政

    まず、ネットワーク環境を作ることがたいへんでした。電話回線を使用して電話をかけ、モデムを通して接続していたので、まずは電話回線エミュレーターを自作するために秋葉原でパーツを買ってくる、というところから開発がスタートしています。PCにモデムを複数接続しなければいけなかったので、8つくらいに分岐するコネクタを用意して、Linuxのドライバーをカーネルコンパイルして(※)……といったような、昨今のゲーム開発の現場ではほぼやらないであろうことをしていた記憶があります。

    ※LinuxはUNIX系のOSの一種。カーネルコンパイルとは、OSの中核的なプログラムであるカーネルをコンパイル(人間が理解しやすいプログラミング言語を機械語のコードなどに変換)すること。
  • 松井

    ほとんど工作というか、自作作業からの始まりだったのですね。

  • 節政

    はい。加えて、わからないことがあっても、質問に答えてくれる人がいなかったので、けっきょくすべて自分でやるしかありませんでした。そうやってまずは環境を構築して、つぎは実際にネットワークにパケットが通るかどうかを実験して……といったように、手探り状態でしたね。当時はネットワークに関する教則本のようなものもほとんどなくて、たいへんでした。

  • 松井

    それらを節政さんおひとりでやられていたのですか? 通信を研究する専門チームのようなものはなかったのでしょうか?

  • 節政

    ほとんど自分でやっていました。ネットワーク事業は大川の肝煎りだったので、いま考えると「なんでチームを組んでいなかったんだろう?」と思います(苦笑)。

  • セガではドリームキャスト以前にも、セガサターンの『セガラリー・チャンピオンシップ・プラス』などで通信対戦を実現させていましたが、それらのノウハウは社内で共有されていたのでしょうか。

  • 節政

    セガサターンでのオンラインプレイは、XBAND(※)を介して電話回線で直接対戦相手と接続する、ピアツーピア(P2P)形式でのマルチプレイでした。ですので、ドリームキャストのようなインターネットを介した方式とはまたちょっとシステムが違ったのです。

    ※XBAND(エックスバンド)はアメリカのカタパルト社が開発した、家庭用ゲーム機のための通信対戦システム。
  • 『FFXI』の開発時も、ネットワークに関しては節政さんと同じような苦労があったのでしょうか?

  • 松井

    そうですね。やはり手探り状態な部分はあったと思います。いまおうかがいしたお話より2年くらい後にはなりますが、それでもネットワークまわりのことは、素人がおいそれと手を出せる部分ではありませんでした。教則の書籍も当時は「TCP/IP(※)とは?」といったような、通信プロトコル関連のものくらいしかなかったと思います。UNIX(※)系のものだと、“パケットを投げて受け取る”といったことを解説するコアな本もありましたが、オンラインゲームに応用できる内容ではなくて、当時は単純に教養として読んでいたという感じです。

    ※TCP/IPはインターネットを含むコンピューターネットワークにおける、通信プロトコル(通信規格)。
    ※UNIXは1969年に誕生した、コンピュータの操作や運用を司るオペレーティング・システム(OS)。
  • さて、ネットワーク環境の構築が整い、いよいよつぎの段階として『PSO』のゲーム本編の制作に移るわけですが、この段階ではどのような苦労がありましたか?

  • 節政

    その当時は、ゲームにかかるお金と言えばパッケージを購入するときの代金だけで、さらに月額料金がかかるといった感覚がまだなかったですから、“ユーザーがちゃんと月額料金(ドリームキャスト版『PSO』では1カ月400円/3カ月1000円)を払ってまでプレイしてもらえるか”という部分がいちばん心配でした。そういった理由もあって、サーバーなどに大きく予算を割くわけにはいきませんでした。そこで、サーバーを介した部分と、サーバーを介さずにクライアントどうしが直接接続するP2P方式との、ハイブリッドな形にするのがいいだろう、ということになったのです。

  • 松井

    当時は電話回線でのナローバンド接続が主流でしたが、それに対する懸念はありましたか?

  • 節政

    ドリームキャストに搭載していたモデムの通信速度は33600bpsで、バイトにすると秒間せいぜい4Kバイトくらいしかなかったのです。ですので、ゲーム内の全部のオブジェクトと同期を取ろうとするのはまず無理でした。さらに、キー入力などが集中するとどうしてもラグでカクついてしまい、それが嫌だったので、“どこまで非同期でゲームを作れるか”というところから考えました。たとえば、あるプレイヤーの画面と別のプレイヤーの画面ではエネミーの見える位置が違っていたとしても、お互いの画面は見えていないからまあいいだろうとか(笑)。そういった感じで妥協点を探りつつ、なんとか出来上がったという感じです。

  • 藤戸

    『PSO』は当初からワールドワイドな展開を目指していたと思いますが、海外とのやり取りとなると、通信面での問題があったのではないですか?

  • 節政

    通信面での問題はもちろんあり、海外とやり取りをする際はレイテンシー(遅延)が数百ミリ秒(0.X秒)もあるので、それでゲームとして成り立つのかという懸念がありました。しかし、先ほどの非同期処理のおかげで、意外とプレイしていて問題ない形になりましたね。

  • 藤戸

    レイテンシー的には問題があったとしても、結果的には整合性が取れていたということでしょうか?

  • 節政

    そうです。ほかには、海外とパケットのやり取りをする中で、ホップ数(※)が限界に達してしまい、パケットが消えてしまう問題がありました。このときに、「世界って広くて遠いんだなあ……」と実感しましたね。

    ※ネットワーク上で通信する相手に到達するまでに経由する転送・中継設備の数のこと。
  • 藤戸

    実際にパケットを海外に送ったのですか? たとえば、わざと遅延させて、国内でも海外と同じような環境にして実験してみたりとかは?

  • 節政

    いえ、これは実際にやってみないとわからないことでした。やってみてから「あれ、届かないの?」と思いましたね。このときはセガ・オブ・アメリカやセガ・オブ・ヨーロッパに協力してもらって、実際に通信してテストを行っています。

※パート3は8月17日公開予定


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