松井プロデューサーが、『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行う“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。 今回はその特別編として、『FFXI』の藤戸洋司ディレクターを交えた座談会をお届けする。そのお相手は、日本のオンラインRPGの先駆者である『ファンタシースターオンライン』(以下、『PSO』)シリーズを手掛けてきた、節政暁生(せつまさあきお)さんと安倉剛司(あぐらつよし)さん。まさに家庭用ゲーム機におけるオンラインRPG開発の黎明期を体験した4人が、当時の苦労や開発秘話などを計4回にわたって語り合う。今回のパート3では、『FFXI』より約2年早く開発された『PSO』について、松井プロデューサーと藤戸ディレクターがどのような印象を抱いていたのか聞いた。
株式会社セガ『ファンタシースターオンライン2 』(以下、『PSO2』)ネットワークディレクター。ソニックチームで『NiGHTS into dreams...(ナイツ)』や『バーニングレンジャー』、『ソニックアドベンチャー』などの作品にプログラマーとして携わる。『PSO』ではメインプログラマーとして参加。また『ファンタシースターユニバース』(以下、『PSU』)ではネットワーク全般を担当し、以後同シリーズすべてにかかわっている。
株式会社セガ『PSO2 ニュージェネシス』サーバーパートプログラムリーダー。『ぐるぐる温泉2』、『サクラ大戦オンライン』、『ぐるぐる温泉3』など、ドリームキャストで発売された複数のオンラインゲームに加え、『エターナルアルカディア レジェンド』の開発にも携わる。『PSU』より『PSO』シリーズに参加し、以後節政氏とともに同シリーズを支えてきた。じつは、βテスト時代からの『FFXI』プレイヤーでもある。
2000年にセガから発売されたドリームキャスト用アクションRPG。家庭用ゲーム機初の3DオンラインRPGとして、世界中の人々とのオンラインプレイを実現させた。現在はシリーズ最新作『PSO2 ニュージェネシス』がサービス中。
藤戸ディレクターが衝撃を受けた『PSO』の“あるシステム”
さまざまな開発の苦労を経て、いよいよ2000年に『PSO』が発売されることとなりますが、2000年は安倉さんがセガに入社された年でもありますね。
- 安倉
『PSO』の発売は入社した年の12月になります。開発途中のβ版を見せてもらった記憶がありますね。自分は『ぐるぐる温泉2』でカードゲームなどを作っていたのですが、「社内の別部署ではオンラインRPGをすでにここまで作っていたんだ!」ということに驚きました。
- 松井
『PSO』は当時ゲームメディアでも反響が大きかったことを覚えていますが、プレイヤーに対する手応えはどのように感じられましたか?
- 節政
大きくふたつあって、まず東京ゲームショウでドリームキャストを4台並べて、4人同時に戦っているシーンをデモで流しました。これが観ている人に好評だったということが、まずひとつ。もうひとつは、やはり当時ネットワークに接続してオンラインで遊ぶという選択をしない、できない人も多いのではないかと思って、それに対応したことですね。
- 松井
当時はまだネットワーク環境がない人も多かったですね。
- 節政
ですので、自分としては「RPGとして(オフラインで)ひとりでプレイしてもおもしろいか」ということを、制作中ずっと気にしていました。しかも、それまでセガではRPGというジャンルであまりヒットしたことがなく、どちらかというと“アクションゲームが強いメーカー”という印象があったと思います。だからこそ、『PSO』は“RPGであること”を強調しました。アクションの部分よりも、キャラクターの成長やアイテムの入手によって先に進むことができるという方向に寄せるように気を使ったわけです。その結果、よりRPGらしい作品になってきたと実感できたときに、「これはプレイヤーにも受け入れられるのでは」という手応えを感じました。
『PSO』では、強い武器を手に入れたときのうれしさであったり、強力なエネミーに一撃で倒されたときの衝撃なんかもとても印象的でした。
- 節政
たぶん、『PSO』を初めてプレイした人は、エネミーの強さに驚いたと思います。でも少しずつ装備を集めて、だんだんと倒せなかったエネミーを倒せるようになっていくことができます。そういった点には注意しながら制作しました。
MO(複数プレイヤー参加型オンライン)RPGの『PSO』とMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGの『FFXI』では、ジャンルとしての違いはありましたが、同じオンラインRPGとして『PSO』が発売されたときの印象はどうでしたか?
- 松井
正直に言うと、半分くらいは悔しさがありました。同じオンラインRPGとして先を越された感じはしましたね。当時『FFXI』は、チームも編成されて開発が進んでいたのですが、手すきのスタッフが『PSO』をプレイしているのを見ていたことがあります。そのときはまだ『Diablo(ディアブロ)』(※)をプレイしていなかったので、『PSO』を見て「こういうゲームのスタイルもあるんだな」と思いました。
※『Diablo(ディアブロ)』は、アメリカのゲーム会社Blizzard Entertainmentから発売されたハックアンドスラッシュタイプのアクションRPG。MORPGの先駆け的なタイトル。 - 藤戸
自分は、ネットワーク経由であそこまでのアクションができることについて、単純に「すごいな」と思いました。あと、『PSO』ではチャットなどに独自の意思疎通システムを搭載していて、当時『FFXI』でチャットまわりを担当していた自分としては、悔しい思いをしましたね。自分たちよりもはるか上を行かれていたので、「『FFXI』ではこれより上を目指さなければいけないのか……」と思いました。
『PSO』ではフキダシによるチャットの際、“ワードセレクトシステム”(※)で海外のプレイヤーとコミュニケーションを取れるんですよね。
※『PSO』に搭載されたチャットシステムで、文型と単語を組み合わせることによって文章を作成することができる。作成した文章は各プレイヤーの表示言語に自動翻訳された。- 藤戸
いまでこそ家庭用ゲーム機にキーボードをつなげて遊ぶのは当たり前になっていますが、当時はキーボードを持っていない人も多く、そのために『FFXI』でもソフトウェアキーボード機能を搭載しています。しかし、ソフトウェアキーボードは入力に時間がかかるので、もっと簡略化するために、スマホのフリック入力のような仕組みを考えたり、試行錯誤もしていました。そんなとき、発売されたばかりの『PSO』に搭載されていた“ワードセレクトシステム”を見て、タッチも非常にしやすく、しかも言いたいことをちゃんと文章にしてくれることに衝撃を受けましたね。そこで、『FFXI』の定型文辞書では、『PSO』のように“文章を作る”という方向性ではなく、日本語入力の補助をする形の補完的な辞書としてリリースしました。PS2版のサービス開始時点ではまだ北米での展開がなかったので、その時点ではあくまでも“入力の補助”という形でしたが、北米版が発売されてから初めて翻訳機能的な使いかたをされていったという経緯があります。
『PSO』の“ワードセレクトシステム”の採用は、やはりワールドワイドで展開するうえで必要だという判断からでしょうか。
- 節政
そうですね。最初にワールドワイドで展開すると決まったときに、まず“どうやって異なる言語のプレイヤー間で意思疎通を行えるか”を検討しました。そのときに、英語でちゃんとした文章にならなくても、意味さえ伝わればいいだろうという方針にまとまったのです。そこで、日本語の単語を選ぶと相手には英語で表示されるようなシステムを作れないかと考えた結果、ちょっと文法的にはおかしいとしても意味を伝えることができる“ワードセレクトシステム”ができました。
- 藤戸
あとはシンボルチャット(※)ですが、これも本当に悔しくて! 当時、これには本当に「勝てない」と思いました。
※丸や四角などの図形に線や点を配置して顔文字のような表情などを作り、効果音と合わせてショートカットで表示できるシステム。図形の組み合わせでイラストのようなシンボルを作成する“職人”も生まれた。
- 節政
シンボルチャットは、「顔文字のようなものを表示したい」というところから発案されたもので、こちらは“意味”よりも“感情”が伝わることを主眼に置いています。顔やちょっとしたパーツを組み合わせて独自のものを作ることができるのですが、プレイヤーの皆さんが工夫していろいろなシンボルを作ってくださり、コミュニティを盛り上げてくれました。
- 松井
オンラインゲームは発売後のさまざまな対応も重要ですが、『PSO』の発売後にたいへんだったことはありましたか?
- 節政
発売後の問題点として大きかったのは、バグへの対応ですね。『PSO』はハードディスクにインストールする形ではなくCD-ROMベースの作品だったので、クライアント側のデータに対して後からパッチで修正することができませんでした。ですから、サーバー側のプログラムでなんとかバグに対処する、ということを続けていたのです。しかし、やはりどうにもできない部分があり、その後『Ver.2』をリリースすることになりました。
さらなる難易度などの追加要素があった『Ver.2』ですが、バグの修正という側面もあったのですね。
- 節政
まずは「バグを修正したい」という気持ちがいちばん大きかったですね。それに加えて、プレイヤーのプレイ状況がこちらの想定より上回っていて、あっという間にレベル100まで到達されてしまったということも問題のひとつでした。こういった理由で、『Ver.2』ではより高レベル向けの難易度を追加し、クラス間のバランス調整なども行っています。
安倉さんは当時『ぐるぐる温泉2』を開発されていましたが、同じような苦労はされていましたか?
- 安倉
『ぐるぐる温泉2』はテーブルゲームがメインだったので、ラグなどの問題はそれほどありませんでした。しかし、別の問題として、たとえば「対戦中にプレイヤーの誰かが回線落ちしたときにどうするか」といったことがありました。誰かが回線落ちしていてもゲーム自体は続いているので、そのあいだはコンピュータがプレイを代行し、落ちたプレイヤーが復帰したらその続きをプレイヤーが引き継げるようにしたのですが……なぜか復帰した人の画面とほかのプレイヤーの画面で、カードの配置などが違うことがありました。こういった回線落ちしたプレイヤーの復帰処理がけっこうたいへんでしたね。
- 松井
セガさんでは複数の部署でオンラインタイトルを並行して開発していたと思うのですが、部署間で技術共有などはありましたか?
- 節政
意外とチームごとにバラバラでやっていましたね。
- 安倉
そうですね。ほぼ部署間での技術的な交流はありませんでした。ただ、当時は開発部門の分社化(※)が行われていたものの、まだどの開発会社も社屋が大鳥居にあったので、フロアを移動すればすぐほかの開発現場に行ける状態ではありましたし、個人レベルでの交流ももちろんありましたね。
※当時のセガ・エンタープライゼスは、2000年に開発の効率化のため開発部門を9つの開発会社へ分社化。『PSO』などを開発していた第8ソフトウェア開発研究部は、株式会社ソニックチームとなった。なお、各社は2004年にセガへ再統合されている。 ここまで、オンラインゲームの先駆者としての『PSO』の開発秘話をうかがいましたが、松井さんはどのように感じましたか?
- 松井
すごくおもしろいですね。開発者として共通するお話もありましたが、一方で「リリースが2年違うだけで、ここまで開発環境も異なるのか」とも感じました。先ほどのレイテンシーの話でも、2年後となる『FFXI』にはベースとして『EverQuest(エバークエスト)』(※)のプレイ体験がありますので、海外のサーバーとのやり取りでラグがひどいときにはどのようになるかなどは、自分の経験として体感的に理解できていたと思います。結果、『FFXI』ではβテストまでのあいだ、ネットワーク周辺がネックとなって開発が滞ったことはありませんでした。それも、この2年の進化があったからこそかもしれません。
※『EverQuest(エバークエスト)』は、1999年に米国でサービスを開始した海外産のMMORPG。
※パート4は8月24日公開予定
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