『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)の20周年を記念して2022年5月8日にYouTubeで配信された特別番組『WE ARE VANA'DIEL』。番組内では“WE GREW VANA’DIEL”と題し、『FFXI』の開発に携わった方や、他社クリエイターも含めた関係者のさまざまな証言が映像等で公開された。しかし、それらは取材内容のほんの一部にすぎない。ここでは、関係者それぞれが語る“『FFXI』20年の軌跡”を、改めてインタビュー形式でお届けしていこう。
その第6回は、『FFXI』のコミュニティ創生・活性化というミッションを託された、コミュニティマネージャーの望月一善さん。開発とはまた別軸でゲームの運営を支えるコミュニティチームという存在。そこで望月さんは『FFXI』をどう盛り上げていったのか。まずパート1では、望月さんがゲーム業界に関わることになったきっかけや、コミュニティチームでの最初の業務を振り返っていただいた。
『ファイナルファンタジーXI 20 周年記念放送 WE ARE VANA'DIEL』
『FFXI』サービス開始時からコミュニティチームに所属し、“ヴァナ★フェス”に代表される公式イベントの企画や運営などに参加。2013年11月から開始された公式放送『もぎたてヴァナ・ディール』では、司会進行役として出演している。現在は『FFXIV』のコミュニティマネージャーも兼務。開発チームやプレイヤーからは“もっちー”の愛称で親しまれている。
最初の夢は環境デザイナー
『FFXI』の話題に入る前に、望月さんにとってのゲームの原体験からお聞かせください。
- 望月
コンピューターのゲームに最初に触れたのは、当時マイコン(※)と呼ばれていたころのものですね。それで、すべてが点(ドット)で構成されているドッグレースのようなゲームを遊びました。僕も記憶がそれほど定かではないのですが、そのころはフロッピーディスクすらなく、パンチカードという紙の記録媒体を使っていたのをおぼろげに覚えています。
※マイクロコンピュータの略。現代におけるパソコン(パーソナルコンピュータ)のようなものだが、1970年から1980年にかけてはマイコンと呼ばれていた。 そんな黎明期からゲームに触れていたのですね。
- 望月
たぶん僕自身は“ゲームを遊ぶ”という感覚ではなかったです。“砂場で遊んでいた少年が急にデジタルなものに触れて、何だかよくわからないけど感動している”くらいの感じでした。ですから、真の意味でゲームに心を奪われたのはファミコンからですね。マイコンのゲームよりもマリオに出会ったときのインパクトのほうが大きくて、そこからはずっとゲームの虜ですね(笑)。
望月さんは現在ゲーム業界に身を置いているわけですが、そのマリオとの出会いが直接的なきっかけになったのでしょうか?
- 望月
いえ。じつは、もともとはランドスケープデザインの仕事に就きたかったんです。
とても興味深いです。もう少し詳しくお聞かせください。
- 望月
都市景観と呼ばれているもので、都市公園の設計であったり、商業施設やビルの外構デザイン、屋上緑化など、そういったものをデザインしていく職業があるんです。ただ、このランドスケープデザインについていろいろと勉強していく中で、日本でのきびしい現実に直面することになり、結果としてあきらめざるを得ませんでした。
少なくとも当時は、いきなり専業でやっていけるような感じではなかったのですね。
- 望月
非常にきびしかったです。そんなとき、『Ultima Online(ウルティマオンライン)』(以下、『UO』。※)のカスタマーサポートの募集を目にしてアルバイトに採用してもらったのが、ゲーム業界の扉を開けるきっかけになりました。最初は長く続けるつもりはなかったのですが……。
※『Ultima Online(ウルティマオンライン)』は、1997年にサービスが開始された、MMO(多人数同時参加型オンライン)RPGの草分け的なタイトルとなる。 言ってみれば、腰掛けであると。
- 望月
当時はオンラインゲームが珍しく、身近な人たちからはゲーム業界で働くことが不安定に見えていた時代でした。いずれは都市景観の仕事ができたらいいなとは思いつつも、まずは生きていくために働こう、と(笑)。
ある日突然、上司が『FFXI』チームに移籍
『UO』のカスタマーサポートでは、どのような感じで仕事をされていたのでしょうか?
- 望月
メールと電話を用いた、コールセンター業務のようなものを想像してもらうと分かりやすいと思います。操作環境(PC機器や接続系の技術的な問い合わせ)やアカウント関連(ログインできない、パスワードを忘れてしまった)などの困りごとを解決するのがメインでした。
ただ、ゲームの中で何かをやっていきたいという気持ちもありました。そこで、当時の上司であるSage Sundi(セージ・サンディ氏。のちの『FFXI』のグローバルオンラインプロデューサー)に相談したところ、「『UO』には“ボランティア”という機能があるから、それでイベントを作ることのたいへんさやおもしろさを知るのもいいのではないか」と、チャレンジする機会をもらいました。 カスタマーサポートとボランティアは、業務としてはまったく別物ですよね?
- 望月
その通りです。好きなものに関われる、やりたかったことがやれる、という気持ちが原動力になっていたとはいえ、昼は仕事としてカスタマーサポート、夜はボランティアとして小規模なゲーム内イベントを実施する毎日は、なかなかに濃密でした。
まさに朝から晩まで『UO』漬けの日々ですね。
- 望月
『UO』にはイベントを専門に取り扱っている“IGM(インタレストゲームマスター)”という役職があって、彼らの仕事ぶりも間近で見られるのもワクワクしましたね。たとえば、正月には鳥居を作り始めるんです。『UO』はオブジェクト指向で作られていたので、こうしたい、という想像力と閃き、マンパワーがあれば、たいていのものは再現できました。
マンパワーも重要と(笑)。
- 望月
重要でしたね。そういったものを手伝うようになって、「この仕事、おもしろくなってきたぞ」と思い始めた矢先、上司たちから「すまないけど、スクウェア(当時)に行くことになったから」と伝えられまして……。
望月さんはどう答えたのですか?
- 望月
「え? なんで!?」とも言えなかったし、「そうっすか」くらいの薄いリアクションでした。想像以上のショックを受けると、反応できなくなるものですね(苦笑)。数カ月前には伝えてくれたように記憶しているのですが、そのまま何事もなく最終日を迎えました。
いなくなった上司たちというのは……?
- 望月
Sage Sundi、そして室内(室内俊夫氏。現『FFXIV』グローバルコミュニティプロデューサー)などですね。彼らがいなくなって、雰囲気は明らかに変わりました。仕事は楽しかったのですが、「自分はそれまでの職場の空気感が好きだったんだな」と感じたのを覚えています。
そこから、どういう経緯で望月さんもスクウェアへ行くことになるのでしょうか?
- 望月
半年くらい経った後、「僕もそっちに行きたいのですが、どうしたらいいですか?」と素直に聞きました。すると、Sage Sundiが僕のキャリアパスについても考えてくれて、こうアドバイスをくれたのです。
「本当はそっち(エレクトロニック・アーツ・スクウェア)でがんばったほうがいいとは思うけど、いろいろなリスクを背負ってでもスクウェアで働きたい、その覚悟があるのならいいよ。人事については自分の一存では決められないけど、チャンスは渡せるとは思う」と。
結果、面接を経てアルバイトでスクウェアに入社することになります。 イメージとしては、『UO』のGM(ゲームマスター)チームがごそっと『FFXI』チームに移籍したように思っていましたが、室内さんへのインタビューの際にもお聞きしたように、実際は限られた人数かつ段階的だったのですね。
- 望月
そうですね。『UO』の運営でしっかりと実績を出し、対外的なキャリアとしてもそれを証明できる人が『FFXI』チームに移籍したのです。僕はその中で言えば末席も末席でしたから、運がよかったのだと思います。
コミュニティチームは少数精鋭の“なんでも屋”だった
『FFXI』チームに加わって、最初はどのようなことをされていたのですか?
- 望月
『FFXI』のサービスが開始された2002年ごろは、ホームページがいっぱいありましたよね。ですから、そうしたサイトへのリンクをまとめた“コミュニティサイトリンク集”を作るというのが最初の業務でした。掲載希望があったファンサイトをひとつひとつ拝見させていただいて、問題がなければ登録をしていくという作業をひとりでやっていました。
ひとりで、ですか!?
- 望月
カスタマーサポートのチーム自体に人は多いのですが、コミュニティチームの業務は、意図的に人数を絞っていた印象でした。しかし、サービスの根幹に関わるようなところなので、プレイヤーのサポートはもとより、ネットインフラのことも多少わかっていて、デザインも文章もいける、といった感じで、求められる能力はすごく多いのです。
スペシャリストよりもゼネラリスト、というやつですね。
- 望月
僕自身もキッチリこなせていたわけではなかったので、「こいつは叩き上げればなんとかなるだろう」と思ってもらえたのかもしれません。まずはファンサイトの審査でいろいろなことを勉強してごらん、という感じでした。
どんなことができるのか、ある意味、試されていたと。
- 望月
そうですね。『テトラマスター』でもイベントをやろうとしていたので、そちらで『UO』で言うところのIGMのような仕事もしていました。ミセス・フロッグハートというキャラクターを使って、プレイヤーに対戦を申し込むんです。 “オフィシャルなキャラクターのロールプレイをしている人間が、特別なカードを持って挑みに来た”という突発的なイベントですね。
あとは、ヴァナ・ディール・トリビューンが動き出していたので、その構成を考えたり、ゲーム内でインタビューをすることもありました。GMとは異なる形で、冒険者のところに行って話を聞く、ということもやっていたんです。 なんだか、業務内容をひと言で言い表せない感じですね。
- 望月
“なんでも屋”ですね(笑)。
でも、それができるスキルがあったわけで。
- 望月
いやー、なかったと思いますよ。でも、そんな仕事をくり返していくうちに、告知系のテキストも任せてもらえるようになりました。ここで困ったのが、季節イベントの告知テキストを書こうとすると、当時は細かい設定があまりなかったことでした。たとえば、ヴァナ・ディールで花見をやることが決まっていても、なぜやるのか、そこにどういう背景があるのか、という部分まで詳細な設定が存在していないんです。
※もともとはトレーディングカードゲーム用語。カードの効果や能力とは直接関係のない、世界設定や雰囲気を補完するテキストのこと。いまではゲームのアイテム欄などに書き添えるテキストもフレーバーテキストと呼ぶことが多い。
そこでフレーバーテキスト(※)のように書くわけですが、こうしたテキストは世界設定班の監修が必要なので、岩尾さん(岩尾賢一氏。『FFXI』の世界設定などを手掛けた元プランナー)や佐藤さん(佐藤弥詠子氏。『FFXI』のプランナー。ウィンダスなどのシナリオなどを担当)、河本さん(河本信昭氏。『FFXI』拡張ディスク『プロマシアの呪縛』ディレクターを担当)のところに行って、「すみません、こういう文章を書いたのですけど……」と相談をしていました。 そこではどんなやり取りが?
- 望月
細かな部分とはいえ、存在していなかった設定を作っているので、矛盾や違和感がないかどうかの確認と、分かりやすさやおもしろさの点で工夫できることがないか、といったやり取りをしていました。その中でだんだんと開発の方に顔を覚えてもらって仕事の幅を広げていく、というのがつぎの段階でした。
そうして『FFXI』の世界に関与するようになっていったのですね。
- 望月
いきなり知らない人間がパッチノートを書いたり、コミュニティのフィードバックを届けたりしていたら、うまくいくものもいかなかったでしょうから、必要なステップだったと思います。当時は、Sage Sundiたちのそんな親心にまったく気づけず無我夢中でやっていたので、改めて振り返ると恥ずかしいですね(苦笑)。
※パート2は12月14日公開予定