Language

JP EN

-WE GREW VANA’DIEL-
“『FFXI』20年の軌跡”インタビュー 第4回
室内俊夫 パート1

『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)の20周年を記念して2022年5月8日にYouTubeで配信された特別番組『WE ARE VANA'DIEL』。番組内では“WE GREW VANA’DIEL”と題し、『FFXI』の開発に携わった方や、他社クリエイターも含めた関係者のさまざまな証言が映像等で公開された。しかし、それらは取材内容のほんの一部にすぎない。ここでは、関係者それぞれが語る“『FFXI』20年の軌跡”を、改めてインタビュー形式でお届けしていこう。
 その第4回は、『FFXI』のゲームマスター(以下、GM)として、さらに2006年以降はグローバルコミュニティプロデューサーとして活躍してきた室内俊夫さん。ゲーム内外の裏方として冒険者たちをサポートしてきた室内さんは、どのように『FFXI』の20年を見つめてきたのか。まずパート1では、室内さんとMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGとの出会いや、『FFXI』のコミュニティチームに移籍することになった経緯などをうかがった。

『ファイナルファンタジーXI 20 周年記念放送 WE ARE VANA'DIEL』

室内俊夫

日本版『Ultima Online(ウルティマ オンライン)』(以下、『UO』。※)のGMチームに参加したのち、Sage Sundi氏(セージ・サンディ氏。『FFXI』元グローバルオンラインプロデューサー)とともに『スクウェアへ移籍。当時はまだ存在していなかったオンラインゲームの運営チームを『FFXI』のために立ち上げる。その後は『FFXI』のヨーロピアンオンラインプロデューサー、グローバルコミュニティプロデューサーを歴任後、現在はスクウェア・エニックスのカスタマーサービスを統括する、コミュニティー&サービス部のジェネラル・マネージャーに就任。『FFXIV』のグローバルコミュニティプロデューサーとしても活躍している。

※『Ultima Online(ウルティマオンライン)』は、1997年にサービスが開始された、MMORPGの草分け的なタイトルとなる。

「もっと『UO』の世界に入りたい」という想いからGMに

  • まずは、室内さんが『FFXI』に関わる前の話からお聞かせください。『UO』のGMを務められる以前に、最初に触れたオンラインゲームはどのタイトルでしたか?

  • 室内

    最初にプレイしたオンラインゲームというと、ドリームキャストで何らかのタイトルをプレイしていた記憶もあるのですが、それは“触ったことがある”という程度でした。がっつりハマったのは、多くの人と同じで『Diablo(ディアブロ)』(以下、『ディアブロ』。※)ですね。そのコミュニティの中で、「『UO』というゲームが出るらしい」と聞いたのが『UO』をプレイすることになったきっかけです。

    ※『Diablo(ディアブロ)』は、アメリカのゲーム会社Blizzard Entertainmentから発売されたハックアンドスラッシュタイプのアクションRPG。MORPGの先駆け的なタイトル。
  • 『UO』をプレイされていたのは何歳ごろですか?

  • 室内

    大学生なので20歳ごろですね。

  • 『UO』の印象はいかがでしたか?

  • 室内

    プレイを始めると、ブリテイン(※)の街から少し離れた場所にぽつんと立っていて、「これは……どうしたらいいんだろう?」と思いました。この“放り出された感”は『UO』のいいところではあるものの、最初の一歩としてはすごく戸惑ったことを覚えています。その後、「とりあえず、歩いてみよう」とあたりをさまようわけですが、近くにいた鳥に殴りかかってみたら、あっさりとこちらが転がされるという……。そんなところから自分の『UO』は始まりました。

    ※『UO』の世界“ブリタニア”の首都。
  • 広大な場所にぽつんとひとり立たされるのは、『FFXI』にも通じるところがありますね(笑)。

  • 室内

    『UO』のあれは格別でした。最近のゲームからしたら、だいぶ不親切ですよね(笑)。その後、なんとか街にたどり着いて、当時で言うブリテインのメインバンクのところまで行ったときに、プレイヤーたちの会話が見えてきて「すごい!」と思いました。『ディアブロ』の場合は、マッチングして部屋に入る、もしくは自分が作った部屋に人が入って来る形でしたので、誰といっしょに冒険に行くかは事前にわかっていました。しかし『UO』では、広い世界を歩いていたら、向こうから知らない人がやって来る。こうした部分に感動したのです。

  • そこに人が住んでいるという感覚ですね。

  • 室内

    ええ。世界の中に入っていることを実感して、どんどんハマっていきました。そして、もともとそういう気質があったのかもしれませんが、「裏方になりたい」とも思うようになりました。するとある日、プレイヤーが“カウンセラー”になって、ゲームの中で困っている人を助けるというボランティアプログラムが始まると聞いて、おもしろそうだからやってみることにしたのです。そうして、プレイヤーでありつつも人助けをする暮らしが始まると、「もっと『UO』の中に入りたい」という思いが強くなっていきました。そんな中で、『UO』のGMのアルバイト募集告知を見たのです。

  • 『UO』は北米発祥のタイトルですが、日本で募集されていたのですか?

  • 室内

    そうです。『UO』が1997年にサービスを開始し、その後、日本でのサービスが始まったときに、日本版『UO』を運営していたエレクトロニック・アーツ・スクウェア(※)によるアルバイトの募集があって、その中にGMの募集もありました。

    ※当時のスクウェアとエレクトロニック・アーツによって設立された日本の合弁会社。1998年から合弁解消の2003年まで、エレクトロニック・アーツの開発したゲームの日本での販売を行っていた。
  • 実際にGMの世界に飛び込んで、いかがでしたか?

  • 室内

    ひたすら楽しかったです。当時、日本のGMは24時間サポートになっていなくて、夜だけの活動でした。ですから、仕事も夜9時ごろから朝までの夜シフトで、そんな生活をずっと続けていましたが、いま振り返っても本当に楽しくて、仕事の感覚はほぼなかったですね。

  • プレイヤーがアバターとして生活している世界の中に、GMとして介入することが楽しかったのでしょうか?

  • 室内

    そうですね。そういう“ロール”で遊んでいるという感覚がおもしろかったのだと思います。ときには警察官みたいなこともすれば、困っている人の道案内もする、ということがひたすら楽しかったのです。

  • 『UO』はMMORPG黎明期の作品ですし、GMも黎明期ならではの部分があったと思いますが、メインのお仕事としてはどのようなことをされていたのでしょうか?

  • 室内

    大前提としてGMは“カスタマーサポート”(※)ですから、プレイヤーではどうにもできない問題に遭遇したときに、現地に行ってプレイヤーと会話をして解決するのが基本の仕事でした。それ以外に特殊なこととして、プレイヤーの皆さんにイベントを提供するということもできました。『UO』のGM専用ゲームクライアントはすごく整備されていて、モンスターの色を変更したり、HPやMPの数値も変えることができたのです。また、鳥のキャラクターモデルにドラゴン用のAI(人工知能)をセットして、プレイヤーに対してブレスで攻撃させる、といったこともできました。

    ※自社のサービスや商品を購入した顧客の窓口となり、トラブルや不満、疑問点などを聞いて解決に導く部署・役割のこと。
  • それはすごい。それほどまでの自由度があったのですね。ちなみに、当時GMコマンドを使っていろいろと遊びすぎて、怒られたというウワサを聞いたのですが……。

  • 室内

    私自身がやったことではないのですが、日本のサーバーでイベントを実施した際、日本の運営チームで勝手に色を変えた武器を作って、報酬としてプレイヤーに配布してしまったのです(苦笑)。

  • そんなこともできてしまったのですね(笑)。

  • 室内

    アメリカの本社から「世界に1本しかないものを、なぜ勝手に作って配布するんだ!」と。確かにごもっともで、あれは怒られましたね。武器自体はすごくかっこよかったのですが。それでも、入手したプレイヤーから取り上げることはしなかったので、そういう意味では本社も寛容でしたね。

  • そこまで権限があると、『UO』のGMはTRPG(※)のGMに近い存在だったとも言えますね。ちなみにGMとなるにあたり、研修のようなものはあったのですか?

    ※テーブルトークロールプレイングゲームの略。ルールブックに従い、会話によって進行するRPG。いわゆる和製英語で、英語圏ではコンピューターゲームと区別するためにTabletop RPG(テーブルトップRPG)と呼ばれたりもする。
  • 室内

    研修のようなものはありませんでしたが、マニュアルはしっかりありました。

  • それは海外のマニュアルを訳したものですか?

  • 室内

    そうです。日本語に訳したものをチームで共有して読み合わせしていました。ちなみに、私が『UO』の日本サーバーの第1期カウンセラーになったときに、初代のGMだったのがSage Sundiさんでした。日本で『UO』のGMチームを作ったときに、すでにSundiさんは社員としてエレクトロニック・アーツ・スクウェアに入っていて、GMのリードを務めていました。

  • 室内さんとSundiさんとの出会いはそのころなのでしょうか。

  • 室内

    時系列ではハッキリとは覚えていませんが、GMとカウンセラーという立場で、オンライン上で出会ったのが初めてだと思います。ただ当時は、有名なGMとして名前を知っていたくらいです。いっしょに仕事をするようになったのは、私がGMになってからですね。

  • そしてその後、Sundiさんといっしょに『FFXI』チームに移籍する形になるわけですが、改めてその経緯を教えてください。

  • 室内

    いままで話の流れで“チームごと移籍した”と思われがちですが、じつはそうではありませんでした。経緯としては、まず当時のスクウェアが『FFXI』のサービスを開始するにあたり、オンラインサービスのノウハウがなかったので、合弁会社であるエレクトロニック・アーツ・スクウェアの『UO』に注目したわけです。どちらの会社も当時は目黒にあって近かったので、『UO』の運営やサポートがどうなっているのかをスクウェアのスタッフが見学しに来ることが何度かありました。その流れで、まずSundiさんがスクウェアに移籍するという話になって、そのときに「いっしょに来てくれないか?」と言われて、「行きます!」となったのが、私ともうひとりのスタッフだったのです。そのあと1年くらいかけて何人か移って来たスタッフもいたのですが、最初に移籍したのは3人だけでした。

  • 時期としては『FFXI』のサービスが始まる前ですか?

  • 室内

    私がスクウェアに入社したのが2001年の12月なので、βテストの直前くらいです。

  • というと、βテストには関わられていなかったのでしょうか。

  • 室内

    βテストの途中からですが、GM機能のテストをしたり、GMの姿をお披露目するために街角に立ったりすることが何回かありました。ただ、βテストの運営自体にはそれほど絡んでいませんでしたね。

  • 『FFXI』のゲーム画面を初めて見たのはβテスト時代だと思いますが、そのときの印象はいかがでしたか?

  • 室内

    単純に「すごい! (グラフィックが)キレイ!」と思いました。MMORPGはゲームの仕様的にグラフィックをリッチにするのはどうしても難しくなりがちですが、オフラインのゲームにも見劣りしないようなグラフィックで、しかも家庭用ゲーム機のプレイステーション2で動いている。「これが動くんだ!」という驚きがありました。あと、バグの圧倒的な少なさにも感服しましたね。

“初心者を保護する”というポリシー

  • そしていよいよ『FFXI』がサービスインするにあたり、『FFXI』のGMポリシー(行動方針)を作られたかと思います。これは『UO』のものを基本にしつつ、『FFXI』ならではのポリシーを追加された形でしょうか。

  • 室内

    “『FFXI』ならでは”の部分は、それほどないかもしれません。GMポリシーは、あくまで“行動規範”レベルのものが多いですから。ただ、違いがあるとすれば、『UO』は基本的に突き放しの文化で、「なんでもできるけれど、全部あなたの責任ですよ」という自己責任の風潮がありました。わかりやすい例で言うと、私が「そのアイテムをいくらいくらで売ってくれ」と言って他人からアイテムを受け取り、そのままお金を払わずに逃げても、私は裁かれないんです。なぜなら「言葉を信じてアイテムを渡したあなたが、その責任を負いなさい」というのが『UO』の基本的な考えかただったからです。

  • 確かに当時の『UO』はそのようなイメージでした。

  • 室内

    ただ、『UO』のサービスが何年も続く中で問題になったのが、“初心者がそういった詐欺のターゲットになりやすい”ということでした。いくら“なんでもあり”とは言っても、超えてはダメなラインがだんだんとできてきて、“初心者は大事にされてしかるべき”という風潮になりつつあったころに『FFXI』がローンチを迎えたわけです。ですから、“すべて自己責任”ではなく、「プレイヤーとして自己防衛できないラインはどこか」という議論が行われた結果、『FFXI』は初期の『UO』のルールに比べて“初心者を保護する”路線になっていたと思います。

  • なるほど。『FFXI』はちょうどよい時期にサービスを開始できたのかもしれませんね。

  • 室内

    『EverQuest(エバークエスト)』(※)のGMは、トラブルがあったときに気さくに話し掛けてきたり、みんなを蘇生してくれたり、お金をくれたというエピソードが当時からネット上で見られましたが、『FFXI』ではそういうことはせず、「自分の前に現れたGMと、隣の人の前に現れたGMの差を可能な限りなくしていこう」と考えました。とくに日本の場合は、たとえば駄菓子店のおばちゃんが厚意で「これオマケだからね」とサービスしてくれたようなほっこりするエピソードでも、その事実だけ切り取られてインターネットで話題が広がった場合、「ずるい、みんなに配るべきだ」という議論が起こりうるので、そういうことがないようにフラットにしています。その結果、いまから思えば少し対応が冷たくなりすぎた面もあるかと思いますが、そこは統一性のほうを優先しようと意識しました。

    ※『EverQuest(エバークエスト)』は、1999年に米国でサービスを開始した海外産のMMORPG。
  • ということは、行動規範に関するマニュアルもあったのでしょうか?

  • 室内

    そこまで細かくはマニュアル化していません。たとえば、“プレイヤーに対してアイテムを作ってはいけない”とか、“わからないことには「わからない」と言わなければいけない”とか、そういったところですね。

  • そのほかの細かい部分は、ある程度個々のGMの裁量に任せていたと。

  • 室内

    そうです。

  • GMの対応といえば、『FFXI』プレイヤーにとっては「何故ここに転送されたかおわかりになりますでしょうか」のセリフ(※)が印象的な方が多いと思います。

    ※あるプレイヤーがGMによってモルディオン監獄(GMがプレイヤーと会話をするために用意された専用エリア)に呼ばれた際に撮影したスクリーンショットによって広まったセリフ。
  • 室内

    じつはそのセリフは、「いまも働いているGMの中でも、果たして何人が言ったことがあるのかな」というくらい、ほとんど使われたことがないフレーズなんです。インパクトがすごく強いことと、ネタにしやすい部分があるため、広まったのではないでしょうか。

※パート2は11月16日公開予定

この記事をシェアする