『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)の20周年を記念して2022年5月8日にYouTubeで配信された特別番組『WE ARE VANA'DIEL』。番組内では“WE GREW VANA’DIEL”と題し、『FFXI』の開発に携わった方や、他社クリエイターも含めた関係者のさまざまな証言が映像等で公開された。しかし、それらは取材内容のほんの一部にすぎない。ここでは、関係者それぞれが語る“『FFXI』20年の軌跡”を、改めてインタビュー形式でお届けしていこう。
第7回でお話をうかがうのは、『FFXI』の北米コミュニティチームに所属するマット・ヒルトンさんとアンソニー・キャラウェイさん。北米プレイヤーの間ではおなじみのおふたりは、日本側とは異なる視線でどのように『FFXI』を見続けてきたのだろうか。パート1では、おふたりのスクウェア(当時。以下同)入社から『FFXI』に関わるまでの経緯をうかがった。
※本インタビューはリモートにて実施いたしました。
『ファイナルファンタジーXI 20 周年記念放送 WE ARE VANA'DIEL』
スクウェア・エニックス アメリカ オンラインコミュニティディレクター。『FFXI』と『FFXIV』を担当しており、北米における各種イベントではMCとしても活躍しているため、配信などを通して日本のプレイヤーにも知られている。
スクウェア・エニックス アメリカ オンラインコミュニティマネージャー。日本生まれの日本育ちで、英語と日本語を流暢に操り、公私ともに日米の架け橋となる。プレイヤーや日米のスタッフから“トニー”の愛称で親しまれている。
ふたりとも少年時代からスクウェア作品が大好きだった
まず、おふたりが日本のゲーム会社であるスクウェア・エニックスに入社することとなったきっかけからお聞かせください。
- アンソニー(以下、トニー)
自分はもともと日本で生まれ育ったので、子どものころから日本のゲームをプレイしていました。なかでも『テグザー』(※)や『キングスナイト』(※)などをよく遊んでいて、それがスクウェアを大好きになったきっかけですね。さらにその後、友だちが『FFⅢ』を買ったときに、プレイさせてもらったらすごく気に入ってしまって、「将来は絶対スクウェアに入社する!」という夢を持ちました。
※『テグザー』は1985年にゲームアーツから発売された、PC8801MkIISR用のアクションシューティングゲーム。ファミリーコンピュータ版はスクウェア(当時)から発売された。
※『キングスナイト』は1986年にスクウェア(当時)からファミリーコンピュータで発売された、アクションシューティング+フォーメーションRPG。 トニーさんは『FFⅢ』との出会いが決定的な理由となったわけですね。
- トニー
ただその後、事情によりハワイに引っ越すことになり、「スクウェアに入社するのはもうダメだろう」とあきらめたのですが……なんとハワイにもスクウェアのスタジオ(ホノルルスタジオ)があることがわかりました。しかし、けっきょくハワイではスクウェアとは縁がなくて、その後いろいろな職業を経たのち、2014年にスクウェア・エニックスに入社することができました。
- マット
自分も若いころからスクウェア作品の大ファンで、『FF』シリーズや『クロノ・トリガー』などをSuper Nintendo Entertainment System(※)でよくプレイしていました。またプレイステーションで『FFVII』が発売されたときも熱中しましたね。もともと「ビデオゲーム業界で働きたい」という気持ちはあったのですが、中でもやはり大好きなスクウェアに憧れていて、入社を志望しました。
※Super Nintendo Entertainment Systemは、任天堂から日本国外で発売されたコンシューマゲーム機。スーパーファミコンの海外版にあたる。通称SNES。 トニーさんもマットさんも、当初からスクウェアに入ることを第一目標としていて、それが叶った形になるわけですね。
- トニー
ただ自分の場合は、昔から「スクウェアでゲームプログラマーとして働きたい」という夢を持っていたものの、2014年に入社するまではほかの会社でオフィスワークなどをしていました。その後入社できたきっかけは、旧『FFXIV』が発売されたことですね。当時、英語圏のファンコミュニティでは日本語を英語に翻訳できる人がおらず、自分がずっとそれを担当していました。それを見た友人が「トニーならスクウェア・エニックスに入ってもやっていけると思うから、受けてみれば?」と勧めてくれたんです。そこで応募してみたところ、晴れて入社できることになりました。
- マット
自分の場合、ロサンゼルスに当時のスクウェアのオフィスがあったことは運命的でした。遠くへ引っ越すこともなく、地元で大好きなゲームメーカーに入社できたことは、とてもラッキーでしたね。自分が入社したのは2001年なので、もう20年以上も前になります。
それぞれの『FFXI』サービス開始時の思い出
現在、おふたりは北米コミュニティチームの一員ですが、入社時からずっと同じ部署で働いているのでしょうか?
- トニー
いえ、入社時はオペレーションサポートグループという部署に所属していました。そこではモバイルゲームなどのニュースの翻訳などをしていたほか、『FFXI』や『FFXIV』の不具合報告を共有するための翻訳作業をしていました。そこで1年ほど勤めていたところ、コミュニティチームのほうに欠員ができて、試しにそちらでやってみようと思い、異動することになったわけです。
マットさんは2001年に入社されたとのことですが、すぐに翌年サービス開始となる『FFXI』に関わることになったのでしょうか。
- マット
はい。もともと自分はQAテスター(※)として入社し、『FFX』や『キングダム ハーツ』のテスターを務めました。その後は『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』などのリードテスターを務めていましたが、やがて『FFXI』の開発が始まったので、ネットワークの接続テストやプレイオンラインのテストを担当しました。また、日本で始まった『FFXI』のβテストのときも、ロサンゼルスのオフィスからログインするテストなどを行っています。
※QA(Quality Assurance=品質保証)テスターは、ソフトウェアやサービスが正常に作動するかどうか、成果物の品質テストを担当するエンジニアのこと。 まさにそれ以来、『FFXI』の20年を見守り続けてきたわけですね。そんなマットさんはサービス開始当時、『FFXI』をどのようにとらえていましたか?
- マット
『FFXI』はMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGということもあり、従来のナンバリングタイトルよりもかなり大きな変化があった作品です。当時オンラインゲームはまだ一般的ではなく、しかも『FFXI』は家庭用ゲーム機では初と言っていい規模のものでした。そのような中で、ふだんスタンドアローンのゲームをひとりで楽しんでいる方が『FFXI』をプレイしたらどのような体験が得られるのか、とても楽しみでしたね。結果、日本のゲームである『FF』の最新作がワールドワイドのオンライン作品になり、世界中の人々がそこで交流を持てたのはとてもいいことだったと思います。
ちなみに、βテストから関わられていたということは、日本語版でプレイしていたわけですね。
- マット
はい。発売当時はテスターとして仕事でプレイしていましたが、個人としてもレベルキャップが60のころからプレイしています。『ジラートの幻影』の発売前くらいですね。当時はまだ攻略サイトがほとんどなかったので、全部自分たちで調べてなんとかしなくてはいけませんでした。そこでほかの日本人プレイヤーの言っていることを理解したり、わからないことをこちらから質問するために日本語を覚えて、そのおかげで限界突破クエストをクリアできました。
日本語を覚えるのはたいへんだったのではないでしょうか?
- マット
はい。でも、「『FFXI』を遊びたければ日本語を覚えるしかない!」と思って、がんばりました。当時は友だちに「どれくらい日本語ができるの?」と質問されたら、ジョークで「『FFXI』に出てくる漢字なら読むことができるよ」と答えていましたね(笑)。
いっぽう、トニーさんはひとりのプレイヤーとして『FFXI』の発売を迎えたわけですが、そのころはまだ日本にいらっしゃったのでしょうか?
- トニー
いえ、『FFXI』のPS2版が発売された当時は、もうハワイに住んでいました。そのため“PlayStation BB Unit”を入手することが難しく、Windows版の発売を待つことにしたのです。ちなみに、当時自分が持っていたPCは性能が低くて、『FFXI』が動くか不安でした。でも、当時付き合っていたガールフレンド……つまりいまの妻ですが、彼女が新しいPCをプレゼントしてくれて、そのPCで日本語版の『FFXI』を始めることができました。その後、北米版『FFXI』が発売されて、英語圏のプレイヤーと日本人のプレイヤーが同一のワールドでプレイするようになったのですが、「英語でシャウトされても何を言っているかわからない」という日本人プレイヤーの声が多かったので、それならばと、先に日本語版でプレイし始めていた自分が両者のあいだに入って、お互いに言っていることを通訳していましたね。
トニーさんご自身は、日本語版と英語版のどちらが理解しやすかったでしょうか?
- トニー
両方とも同じくらいですね。ただ個人的には、「日本のゲームは日本語でプレイしたほうがいい」と思っているので、たいていの日本のゲームは日本語版でプレイしています。現在はコミュニティチームの一員として働いているので、日本語版と英語版の両方をプレイしていますね。
プレイを始めたばかりのころの思い出がありましたらお聞かせください。
- トニー
自分はウィンダスからプレイを開始したのですが、レベル8のときに100ギルだけ持ってマウラからセルビナに渡り、ホームポイントを設定してしまって戻れなくなってしまったことがあります。その際は紳士的な日本人プレイヤーであるサブリガ姿のタルタルに助けられて、無事ウィンダスに戻ることができました。そしてこれをきっかけに、「自分もサブリガ紳士になろう」と決心しました(笑)。
※パート2は12月14日公開予定