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プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL- 第13回 青山公士 パート4

松井プロデューサーが、『ファイナルファンタジーXI』(以下、『FFXI』)とゆかりのある人物と対談を行うスペシャル企画“プロデューサーセッション -WE DISCUSS VANA’DIEL-”。第13回の対談相手は、『FFXI』の“入り口”とも言えるネットワークサービス“プレイオンライン”(以下、POL)において、初代ディレクターを務めた青山公士さん。現在は『FFXI』と同じMMO(多人数同時参加型オンライン)RPGである『ドラゴンクエストX オンライン』(以下、『DQXオンライン』)のプロデューサーを務める青山さんだが、この節目にPOLの開発に関わったころの出来事について詳しく聞いていく。その最終回となるパート4では、『DQXオンライン』に関わるようになった経緯や、プロデューサーとしての心構えについて語っていただいた。

青山公士

『DQXオンライン』プロデューサー。ハドソンを経て1999年にスクウェア(当時)に入社し、POLディレクターに就任。その後『DQXオンライン』のテクニカルディレクターとして開発に参加する。2018年からは齊藤陽介氏の後を継いで2代目プロデューサーに就任。

POLチームから『DQXオンライン』チームへ

  • POLや『FFXI』がサービスを開始した翌年の2003年、『FF』のスクウェアと『DQ』のエニックスが合併しますが、そのときはどう感じましたか?

  • 青山

    本気で驚きました。当時から『FF』と『DQ』は日本のRPGの二大巨頭でしたが、そのメーカーどうしが合併するなんて……と。なんだか他人事のような言いかたですが、「自分の仕事の領域には関係のないことだ」と当時は思っていました。実際はまったくそんなことはなかったのですが(笑)。エニックスは社内に開発部門を持たないメーカーだったので、開発チームとしていっしょに仕事をすることはないだろうと思っていたのです。

  • 松井

    寝耳に水でしたね。本当に箝口令が敷かれていたのだと思います。合併は4月1日に発表されたのですが、成田さん(成田賢氏。『FFXI』元プログラムディレクター、プレイオンラインビューアープロデューサー)からの説明がなければ、エイプリルフールのネタだと思っていたでしょうね。

  • 青山

    自分はそのときPOLのディレクターだったので、プレスリリースの1時間前くらい前に合併を知らせるメールが来ていました。でも、忙しかったのでメールを見るのを後回しにしていたら、ほかのスタッフが「エニックスと合併するみたいだぞ」と話していて。それを聞いて、「なに冗談を言っているんだ。この忙しいときに……」と思っていたら、本当に合併していました(笑)。

  • 松井

    それまで僕らが『FF』を作っていたときは『DQ』の発売日をすごく気にしていたので、合併でそれがなくなるのはいいことだなと思いましたね(笑)。

  • 青山

    ですから、合併が決まった後に、「『DQ』のオンラインゲームを作りましょう」と社長に言ったことがあります。でも、当時は自分自身で作る気はまったくなかったですし、いまの『DQXオンライン』にはまったくつながらない話だったのですが。

  • そんな青山さんが本当に『DQXオンライン』に関わるようになった経緯をお聞かせください。

  • 青山

    齊藤さん(齊藤陽介氏。『DQXオンライン』初代プロデューサー)がプロジェクトを立ち上げてスタッフを集めるとなったときに、プログラマー分科会というプログラマーの配属を調整する場に齊藤さんが出席して、「『DQXオンライン』の核となるプログラマーをくれ」と言ったらしいんです。自分はその分科会のメンバーだったのですがその日はたまたま出席しておらず、また当時はPOLのディレクターをやっていて、とてもじゃないけど抜けられない状況でした。でも、「『DQ』でオンラインをやりたい」と当時の和田社長にも言ったことがありましたし、「『DQ』のオンラインゲームを作るんだったら自分がプログラマーをやりたいなあ」と周囲に漏らしていたこともあってか、前職からの知り合いだった吉田さん(吉田直樹氏。『FFXIV』プロデューサー兼ディレクター。当時は『DQXオンライン』チーフプランナー)に誘われて、齊藤さんや藤澤さん(藤沢仁氏。『DQXオンライン』Ver.1ディレクター)といっしょに飲みに行くことになりました。

  • 松井

    そんなことが。

  • 青山

    その席で、自分がプログラマーとして『DQXオンライン』に参加する気持ちが固まりました。ただやはり、POLチームを抜けるのがたいへんでしたね。でもありがたいことに、スタッフみんなが「『DQXオンライン』をやるんだったら自分たちがPOLをなんとかするよ」と言ってくれまして。その後、数カ月かかりましたが、なんとか『DQXオンライン』チームのほうに移ることができました。

  • 松井

    みんな快く送り出してくれたのですね。

  • 青山

    はい。ちなみに、齊藤さんとはそれよりも以前、POLの打ち合わせで会っていたのですが、そのときの彼は長髪で、ふてぶてしい感じだったんですよ。自分は自分でかなり頑なになっていて、齊藤さんのことを「なんだコイツ?」と思いましたし、齊藤さんも自分のことを「おカタい奴」だと思ったはずで、お互いに“いっしょに仕事をしたくない相手”だと思ったのではないでしょうか(笑)。そんな中で、吉田さんがあいだを取り持ってくれて(※)、齊藤さんに「青山を誘ったほうがいい」と進言してくれたみたいなんです。それで先の飲み会が実現して、いっしょに『DQXオンライン』をやろう! ということになりました。

    ※青山氏と吉田氏はハドソン時代の同僚。
  • 齊藤さんにインタビューした際は、青山さんに対して「この人とは友だちになれないだろうなと思った。長い時間をかけて、こっそり背中のネジを少しずつ緩めていった」とおっしゃっていました。

  • 青山

    最初のうちの自分はそんな感じでしたね(笑)。でも、会社の合併後から彼のことをずっと見ていますが、齊藤さんは本当に優秀なプロデューサーだと思っています。

プロデューサーになったことで変化した意識とは?

  • 青山さんは現在『DQXオンライン』のプロデューサーですが、ゲームをプロデュースする立場として、プレイヤーなど対外的に意識していることと、スタッフをまとめる立場として内側に対して意識していることを、それぞれお聞かせください。

  • 青山

    自分がそういった立場になった経験は『DQXオンライン』しかないのですが、対外的な面については、「MMORPGはプレイヤーといっしょに作っていくもの」だと思っていて、できるだけプレイヤーの皆さんと意見のキャッチボールをしたいと思っています。一方通行ではなく、プレイヤーの意見をちゃんと聞いて、こちらからも丁寧に説明していきたいですね。

  • 松井

    やはりそこは重要になってきますね。

  • 青山

    一方、開発チームに対しては、いちばん重要視しているのはモチベーションです。人間はモチベーションの高低で能力差が数倍も開くことがあると思っています。ですから、スタッフのモチベーションを高く保って、「何のためにこれをやるのか」、「これをやるとなぜいいのか」をできるだけ明確にするように心掛けています。あとは、なるべく会議で難しい顔をしないようにするとか……。しちゃうんですけどね(笑)。

  • 松井

    僕に関しては、そもそも“プロデュース論”というものを田中さん(田中弘道氏。『FFXI』の初代プロデューサー)がすでに持っていて、それを受け継いだ形です。対外的には、「いかにコミュニティを大切にするか」ということにフォーカスしています。包み隠さずに言うと、現状の『FFXI』はあまり開発スタッフのマンリソースがないということはもう対外的に発信しているので、そのうえで「その中でできることは可能な限り対応するので、意見を寄せてください」ということを言い続けています。チーム内部に関しては、本当に青山さんの言う通り、モチベーションが大事だと思っています。僕自身は、“そのプロジェクトに加わることでどう自身が成長できるのか”ということも重視しています。

  • 青山

    モチベーション、大事ですよね。

  • 松井

    現状『FFXI』は月に1回バージョンアップしていますが、ゲームの開発がこれだけ長期化する中でこのようにひんぱんにプレイヤーとやり取りできる機会はほかにないと思うんです。ですから、スタッフもベテラン揃いではありますが「プレイヤーに育てていってもらおう」という気持ちでいます。いまのスタッフは全員プランナーなのですが、僕よりもはるかにコードを書ける人が揃っているおかげで、いまだにいろいろと拡張を続けることができています。

  • 青山さんはテクニカルディレクターから、松井さんはバトルプランナーからそれぞれプロデューサーになったわけですが、立場が変化することによって仕事の進めかたや取り組みかたにどのような変化がありましたか?

  • 青山

    じつは、テクニカルディレクターのころから、スタッフに提出してもらう週報などの全体ルールは、すでに自分が決めていたんです。ですから、プロデューサーになっても、そこはあまり変わりませんでしたね。当時から全員の週報に目を通していましたし、スタッフが使うツールなども自分で選んだものが多いのです。部内に関しては、立場が変わって直接管理しなければいけない人数は増えたものの、それほど変化はありませんでした。ただ、プロデューサーになってからは、ほかのゲームやいろいろなコンテンツなどに触れる機会がだいぶ増えましたね。というのも、プロデューサーの立場で最終的に判断しなければいけない局面、たとえばAとBどちらのイラストがいいか、などを決める場合に、一般の感覚とズレていたらまずいのです。合理的に判断ができるものならともかく、感覚的に判断しなければいけないことも多いので、そこは意識的に勉強するようになりました。

  • 松井

    自分の場合、プロデューサーになったことによる変化は「以前のように“ひとりの開発者としての幸せ”を追究してはいけない」という覚悟を持ったことでしょうか。ですから、『FFXI』に関してはキッチリやりますが、もしその後またゲーム開発に携わるようなことがあるなら、「プロデューサーではなく、ひとりのゲーム開発者に戻りたいな」という気持ちはあります。

  • 青山

    わかります。自分もこれまでずっとプログラムを組んできたので、以前のように「ただプログラムを組むだけの立場になってみたいな」と思うことがあります。いまでも、ちょっとしたツールが必要になったときに「しょうがないな、それは自分がやるよ」とか言って、自分で自動化ツールを組んだことがありました(笑)。

  • 松井

    自分も『FFXI』のアンケート集計などを表計算ソフトで作ったりしていました。その最中は「ああ、楽しいなあ」と(笑)。

  • 青山

    逆に言うと、ゲームを作るためのプログラマーにそういったこまごまとしたツールを作らせるわけにはいきませんから。「自分が書けるし、なら自分で書くか!」となりますよね。

  • 青山さんから見た『FFXI』、松井さんから見た『DQXオンライン』、それぞれどのような点に注目されていますか?

  • 青山

    『FFXI』はMMORPGをより多くの人に遊びやすくしたタイトルだと思います。とくに、日本のプレイヤーにとってはひとつの転換期でしたね。さらに『FFXI』は、“それまでのシリーズ作のクオリティを保ちながらMMORPGとして世界に送り出す”という意気込みで作られた作品です。『FFXI』チームが目指していたものはかなり高いところにあって、ある意味「『FFXI』をMMORPGの礎にしようとしている」と感じていました。20年前の作品なので、いまとなっては古いと感じる部分もありますが、その基幹部分は本当にしっかりしているなあと思っています。

  • 松井

    自分は『DQXオンライン』をサービス初期のころにしか遊べていないのですが、やはりその後の展開がすごいな、と感じています。家庭用ゲーム機やPCだけでなく、携帯ゲーム機、スマートフォンなど、じつにさまざまなプラットフォームへの対応、そしてオフライン版の発売。より多くのお客様に作品を届けていることはすばらしいと思います。

  • それでは最後に、青山さんから20周年を迎えた『FFXI』と冒険者の皆さんに対して、メッセージをお願いします。

  • 青山

    『FFXI』20周年おめでとうございます。プレイヤーの皆さん、20年も遊び続けていただいてありがとうございます……と言おうと思っていたのですが、「ありがとう」と言うのはちょっと違うかもしれませんね。というのも、『FFXI』はプレイヤーの皆さんといっしょになって作ってきたものですから、私からはプレイヤーの皆さんに対しても「おめでとうございます」と言わせていただきたいと思います。プレイヤーの皆さんが叱咤激励してくれたからこそ、『FFXI』の開発チームも前へ進むことができたはずです。これからもいっしょに進んでいただけたらと思います。改めまして、『FFXI』20周年、おめでとうございます。

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